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politicalとliteratureに関するmicrotestoのブックマーク (16)

  • 「それ」は、自分が本来的にそれに対して抵抗していることを見せるためにこそ、執拗に規律権力を描く - HODGE'S PARROT

    D・A・ミラーの『小説と警察』より*1。小説(フィクション)というリベラルな空間が、いかに「自由」を生産しているかのように見えながら実際は権力に組み込まれているのではないか。”ミラーの図式では、犯罪者は自分の「自由」を信じて、権力の外部に立って体制を翻弄しようとするのだが、結局捕えられ、「自由」はむしろ体制に順応し、その内側にとどまる者にこそ属する、という教訓が読者に与えられる。”*2。 ……規律によって警察を補完する力が警察を「否認」することによって、この力は別のもっと目に見えにくいレベルで、別のもっと効果的な様式で、警察権力を行使することができる。これと同じように、小説自身による警察権力の拒絶は、この控えめな止揚から遠ざかるどころか、これを推し進めているとみることができるだろう。小説は、警察権力を非難するときにはいつでも、まさに小説という表象行為の実践によって、その権力をすでに再建して

    「それ」は、自分が本来的にそれに対して抵抗していることを見せるためにこそ、執拗に規律権力を描く - HODGE'S PARROT
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    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

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  • 机の上の空 大沼安史の個人新聞: 〔For the Record〕 ハロルド・ピンター氏、ノーベル文学賞 受賞演説(全文)

    パタゴニア ジャケット (すべての子供は、彼らが得意な何かを持っているし、そこから教え取得する予定です) ケノーベルからリンクのご案内(2014/02/12 08:43) (ケノーベル エージェント) NHK経営委員発言:騒動収まらず  長谷川三千子は選民思想の持主? (自分なりの判断のご紹介) イツデモココカラ | 消費者詐欺被害センター (イツデモココカラ | 消費者詐欺被害センター) 株式会社アクアライフテクノロジー | 消費者詐欺被害センター (株式会社アクアライフテクノロジー | 消費者詐欺被害センター) Hな女の子を探せ | 消費者詐欺被害センター (Hな女の子を探せ | 消費者詐欺被害センター) 嘘つき晋三 (へなちょこ自然保護) アウモバ/出会い系サイト詐欺被害の返金なら≪あすなろ総合調査≫ (アウモバ/出会い系サイト詐欺被害の返金なら≪あすなろ総合調査≫) 副島隆彦を囲む

  • 0007 文藝檸檬

  • 彼はよい作家だ。縛り首にしよう。/オーウェルさん! - アケガタ

    帝国主義的だとか親ファシスト的だとして作家や詩人、表現者が批判にさらされると、「作品それ自体は素晴しい」という弁護がなされる。私の頭に浮かぶのは何年か前になくなったレニ=リーフェンシュタールだ。ベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』、ナチス党大会記録映画『意志の勝利』などを撮った映画監督で、それがために戦後その存在を業界から抹殺された。でも市川崑の『東京オリンピック』なんかを見ると技法とかはこの世界に生き残っている。高校時代の担任は映画が好きで、『東京オリンピック』に感動して涙を流した話をして、「ファシズムって怖いんだよー」と言っていたが、最近ようやくその意味がわかってきた。大学に入って所属していない研究室のお茶会でリーフェンシュタールの話をしたら、「当たり前でしょう。美しいものは美しいのよ」と先生に言われた。「それが美しいというのは、それ以外の意味なんてないの」。だから

  • 寝言@時の最果て: 小林秀雄「ヒットラアの『我が闘争』」

    ありゃま、珍しいものを見てしまいました。「ヒットラアの『我が闘争』」(初出:『朝日新聞』(昭和十五年九月) 『小林秀雄全集第七卷』(平成十三年十月 新潮社)所収 119-120頁)。下の方で、現代仮名遣いで記しております。「『居宣長』は、それまで他人の作品に光をあて『裸形』にしてきた小林が、自らを裸形にすべく、しかし、自分で自分に光をあてるわけにはゆかず、宣長の光の下で自分を裸形にしたという感覚です」などと思わず「寝言」を口走ってしまいましたが、この文章は、すさまじい。ヒトラーとの間合いに微妙な感覚を残していた小林秀雄が一刀両断、「贋作」とわかった骨董品をぶったぎるようなすさまじさがあって、『朝日新聞』におかれましては、戦前の御社の記事を墨で塗りつぶすのではなく、こんなコラムも載せていたのだと胸を張っていただきたいものだと思いました。 とはいえ、小林秀雄でも、ヒトラーとの間合いには迷いが

  • 絓秀実「1968年」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ちくま新書 2006年10月10日初版 著者は1949年生まれとあるから、わたくしより2歳年下ということになる。背表紙にある著者の写真はドテラをきてタバコをふかした狷介なおじさんという感じであるし、紹介には元「日読書新聞」編集長とある。この「日読書新聞」はほとんど目にしたことはなかったけれども、論敵を粉砕することのみをめざしているようにしか思えないすさまじい文がたくさん載っていた印象があり、おそろしそうなだなと思ったのだが、小阪修平氏とは違うあのころの見方を参照しようと思って読んでみた。 案に相違して文章はわたくしなどよりもよほど丁寧だし、読んで教えられたこともたくさんあったが、基的な部分で何がいいたいのかということがよくわからなかった。前半と後半では主張していることがまったく違っているような印象さえもった。いずれにしても小阪氏とはまったく違った視点からのである。 書は1970

  • 2006-10-15

    すが秀美『1968年』ちくま新書、2006年。 「革命的な、あまりに革命的な」の続編に位置づけられる書は、1968年の思想的転換点において「新左翼」の論理と行動がいかなるものであったか、またそれが今日的にいかなる意義を有しているのかを論じている。 書が、あまり知られていない事実の発掘につとめている点は興味深い、たとえば、従来の党派性から一線を引き反戦「無党派市民運動」としての側面が高く評価される「ベ平連」が、実際には共産党から除名されたか距離を置いた「ソ連派」の強い影響力の下にあり、事実、脱走米兵の幇助に重要な役割を果たした山口健二が、ソ連のKGBとつながりを持ち、1960年代末には中国において林彪事件に連座して逮捕監禁経験があるという、おおよそ「市民運動」はほど遠い距離であったということは、単純な反米・親共の構図ではなく、中ソ対立という東側の国際的変動が日の革新運動にいかに影響を及

    2006-10-15
  • 『テヘランでロリータを読む』(3) - charisの美学日誌

    [読書] A.ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(市川恵理訳、白水社、2006年9月刊) 書は我々に「文学と現実の関係」という重い問いを投げかけている。ナフィーシーは、読書会で選んだ作品の作者はいずれも「文学の決定的な力を信じている」(p33)と述べている。そして彼女自身もまた、この点では変わらない。彼女の文学観を示す箇所を見てみよう。「フィクションは現実の複製ではない。私たちがフィクションの中に求めるのは、現実ではなくむしろ真実があらわになる瞬間である」(p13)。「『ロリータ』や『ボヴァリー夫人』は[不愉快な内容なのに]、なぜ我々にこのうえない喜びを与えてくれるのか。・・・どれほど苛酷な現実を描いたものであろうと、すべての優れた小説の中には、人生のはかなさに対する生の肯定が、質的な抵抗がある。・・・あらゆる芸術作品は祝福である。・・・形式の美と完璧が、主題の醜悪と陳腐に反逆す

    『テヘランでロリータを読む』(3) - charisの美学日誌
  • 『テヘランでロリータを読む』(2) - charisの美学日誌

    [読書] A.ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(市川恵理訳、白水社、2006年9月刊) (写真は、書の中国語訳、イタリア語訳、そして著者近影) 書には、ナフィーシーの教え子たちがたくさん登場する。男子学生はほとんどがイスラム主義の活動家だが、女子学生は出身階層も思想もかなり多様だ。イラン革命は最初からイスラム主義一色だったわけではなく、西洋近代主義を目指す党派や、モジャヘディン・ハルクのような左翼も含めて、多様な潮流がテヘランの各大学で激しく覇を競っていた。ナフィーシーと彼女の授業に出た学生たちは、そうした革命の喧騒と興奮のるつぼの中で一緒に「文学を読む」ことになった。そこでは、「文学を読むこと」自体が政治的な意味をもつ痛切な体験であった。 第3部の25、26節は、女子学生ラージーエの想い出に捧げられている。「やせぎすの小さな体、細い顔、梟のような、あるいは物語の中の子鬼のよう

    『テヘランでロリータを読む』(2) - charisの美学日誌
  • 『テヘランでロリータを読む』(1) - charisの美学日誌

    [読書] A.ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(市川恵理訳、白水社、2006年9月刊) 優れたなのでコメントしたい。1995年のある日、イラン人の女性英文学者である著者アーザル・ナフィーシーは、テヘランの自宅に優秀な女子学生だった教え子たちを集めて、ナボコフ『ロリータ』やオースティン『高慢と偏見』などの秘密の読書会を始めた。ナフィーシーは、テヘラン市長の父やイラン初の女性国会議員だった母をもつエリート家庭の出身で、13才からヨーロッパやアメリカで生活し、アメリカで博士号を取って、20代の末にテヘラン大学の英文学の専任教員に迎えられた。それは、1978年のイラン革命直後、1979年のことである。リベラルな彼女は、イスラム原理主義が支配する中で英文学を講じてきたが、1981年、ベールの着用を拒否してテヘラン大学を追放された。それ以降、他大学に移り英文学を教えたが、1995年にイスラム

    『テヘランでロリータを読む』(1) - charisの美学日誌
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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • http://d.hatena.ne.jp/samurai_kung_fu/20070122

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

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  • 無言の日記−五月の庭 高橋源一郎×望月哲男『テクストと読者 ―〈読み〉の在り方を問い直す―』講演会レポート

    1月14日日曜日に開催された講演会に(珍しく)行って来ました。私にとって高橋さんは一連の日文士パロの人、望月さんは『ドストエフスキーの詩学』の訳者さんという認識で、こりゃあ行かない訳にはいかんだろう、ということでお邪魔しました。教室には80名ほどの聴衆。 ■高橋源一郎パート 「日の現代小説は世界一」 しょっぱなから、この講演が早稲田大学文学研究会の中でプレゼンを勝ち抜いて決定したということに「厳正なプレゼンでの審査というのは文学的ではないですね」とか、「僕は〈テクスト〉という言葉が嫌いなんです」とか飛ばしまくりの高橋源一郎さんの1時間程度の語りをまとめました。 ◆ さっそく『百年の孤独 ニッポンの小説』の話に。「文学界」で連載している18回分がまとまっているパート1は「ニッポン近代文学100年の孤独」がテーマということ。あと3年、パート3まである。 「小説について語る」ということの特殊

    無言の日記−五月の庭 高橋源一郎×望月哲男『テクストと読者 ―〈読み〉の在り方を問い直す―』講演会レポート
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