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ブックマーク / www.waypoints.blue (15)

  • 江戸時代に流行した玩具「ずぼんぼ」を作って、遊んでみる - 青い滑走路

    東京台東区の浅草寺には雷門から宝蔵門までの250メートル続く仲見世通りがあります。上の写真はその突き当たりにあたる宝蔵門前で、門から近い方から慶応四年創業の人形焼「木村家店」、その隣りには慶応二年(1866)創業の江戸趣味小玩具を扱う「助六」と江戸末期から現在まで続くお店が並んでいます。助六さんの店舗内には手のひらの縁起物とも称される江戸小玩具が所狭しと並んでおり、長唄を嗜まれる話し好きの店主が彼是と商品の説明をしてくれる愉しい場所。 上の画像は江戸時代に当時流行していた玩具を描いた「江戸二色」より。左の頁はつき猿、右の頁は紐を引くと絵が変わる「引き出し絵」です。江戸小玩具は一説には「奢侈禁止令」を数多く出して幕府財政の立て直しを計る倹約志向の江戸幕府の方針下で、町人は大きく豪華な玩具ではなく小さで簡素な玩具が求めれて生まれたと云われているようです。江戸から明治、大正、昭和と時代を経る

    江戸時代に流行した玩具「ずぼんぼ」を作って、遊んでみる - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2021/02/13
    まず、「ずぼんぼ」の語感が素晴らしい。たぶん二対以上で競うのが正しい遊び方でしょうけど。歴史を探ると民芸品って、面白いモノが多いです。
  • 越後与板打刃物匠会のイベントで 「切り出し小刀」鍛冶屋体験 - 青い滑走路

    「切り出し」と言われてもピンとこず、ナイフですら鉛筆を削った事のない息子に「切り出し小刀」の鍛冶体験をさせたてみた話しになります。切り出しは鋼板先端に斜め刃を付けたもので、身近なモノでは鉛筆を削るのような木工での使用の意図としたものです。現在では簡易な鉛筆削りが普及しており、カッターナイフで鉛筆を削るのも珍しい時代となり久しいのですが、昭和中頃までは切り出しで鉛筆を削るのは一般的だったそうな。 トンチンカンと叩いて金属を求めるカタチに自在に変える鍛冶屋は今世紀に入る前に斜陽な業態となり、多くは鉄工所等に衣替えをしていきました。自分達の身の回りにある金属製品の多くは手で打ったものではなく、名もない機械が作り出した大量生産品ばかしです。切り出しどころかカッターすら無くなりそうな時代ですので、建築で使用する大工道具も手工品は消えていく方向に確実に進んでいます。かつては集落ごとに野鍛冶がおり、関や

    越後与板打刃物匠会のイベントで 「切り出し小刀」鍛冶屋体験 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2021/02/12
    しばれんなぁ…
  • 花街の残照残す「鯛よし 百番」、紫苑殿で宴会をしてみた - 青い滑走路

    訪れてから時間がだいぶ経ってしまいましたが、大阪・飛田新地にある「鯛よし 百番」さんにて会をしました。遊郭建築を利用した事処としては最も有名で、仕事上の事の場所としては不適切と評されても仕方がないところですが、来日する上場企業取締役の希望という印籠を掲げて敢行したのでした。二階に擬宝珠高欄を配した木造二階建て/入母屋造りの建物は登録有形文化財。飛田新地は場所柄、写真撮影が憚かれる雰囲気なのですが、この建物前では堂々と写真撮影していても大丈夫ということでパシャパシャ。紅く灯る提灯と透かし彫りが浮かぶ建物が幻想的です。 天下の商都として名を馳せた大坂には繁華街が幾つも築かれ、新町遊廓を初めとする板塀に囲まれた花街もありました。江戸時代から明治末期まで続いた難波新地が大火(明治45年)で焼け落ちてしまった後、北浜の相場師・高倉藤平氏が阿倍野の崖下を整備して一体開発したのがの飛田新地(上の地

    花街の残照残す「鯛よし 百番」、紫苑殿で宴会をしてみた - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2020/12/21
    きっと百番の宴会終わりには、飛田遺産「妖怪通り」に逝かれたことでせう。
  • 中央フリーウェイ 調布基地を追い越し 山に向かって行けば - 青い滑走路

    minminzemi81
    minminzemi81 2020/12/01
    この「中央フリーウェイ」を完全再生するには、乗るクルマは「白のベレG」でないとダメなのです!それかギリ「だるまセリカ」ですかね。後年、ユーミンワールドに登場しますから。問題点はどちらのクルマもお高い💦
  • 鮭遡上の南限、利根川・利根大堰でサケ遡上・採卵観察会 - 青い滑走路

    埼玉県行田市にある利根大堰にて毎年開催されている「サケ遡上・採卵観察会」に子供達と行って参りました。実際に訪れたのは吹く風が冷たい冬の迫った2017年の11月11日でした。この日は週末でしたが仕事で出掛けており、子供達ふたりを連れて東北自動車道を飛ばして目的地へ向かいました。羽生ICで降りて一般道を暫く走ると、埼玉県行田市と群馬県千代田町に架かる堰長691.7メートルにもなる堂々たる利根大堰の姿が目に入ってきます。 利根大堰は、多摩川に強く依存していた東京の水不足を解消する為に昭和43年(1968)に利根川に設けられた大きな堰です。急増する人口により東京砂漠とも呼ばれた渇水状態は大きく改善され、此処から南に導いた水は都民の7割を含む1,300万人以上の水需要を満たすまでになりました。東京23区は言うに及ばず日野市あたりまで利根川系に現在は依存しており、この利根大堰がその要となっているの

    鮭遡上の南限、利根川・利根大堰でサケ遡上・採卵観察会 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2020/10/26
    鮭は四年間を海外赴任の激務で過ごし、最後の気力振り絞り生まれ故郷に凱旋帰国し、その殆どは悪い人間に捕獲され辛うじて子孫残し死す。この帰巣本能の凄さと潔さに、畏敬の念を抱きつつ喰う鮭茶漬けの旨さは格別!
  • 備瀬のフクギ並木にある「古民家かねや」に一棟貸し滞在 - 青い滑走路

    家族で沖縄旅行に以前出かけた時に、防風林として植えられた常緑高木フクギの並木で有名な部町の備瀬を散策したことがありました。緑の壁にも見える屋敷林、舗装されていない道と味わいがある昔ながらの景観を現在に伝える集落として有名な場所です。第二次世界大戦の戦火や、戦後の大開発で多くの"村"を失い、現在では離島である竹富島や渡名喜島など限られた場所だけとなった景観が残る場所です。 備瀬のフクギ並木を撮った、自分のデジタル写真で残っていた最も古いものは9年前に息子を写したモノ。娘はまだ産まれておらず、息子がまだオムツを穿いてヨタヨタと歩いていた頃に親子三人で訪れたのでした。今回は親子4人でフクギの里・備瀬にある古民家にお邪魔した話しとなります。 沖縄戦の大火でも焼けることのなかった備瀬のフクギ並木は、平成十四年(2002)に新規開業して現在でも絶大な人気を博している「美ら海水族館」からも歩いても行け

    備瀬のフクギ並木にある「古民家かねや」に一棟貸し滞在 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2020/09/17
    備瀬の海は、素晴らしい!寅さん映画🌺ハイビスカスの花を思い出しました。ロケ地はここじゃないけれど。
  • 「犬神家の一族」のロケ地、那須ホテル(望月宿、井出野屋旅館) - 青い滑走路

    プールで逆立ちをして水面に両足を出すポーズ、通称「犬神家」、もしくは「スケキヨ」に興味を持った子供と市川崑氏監督の映画「犬神家の一族」を見たのが事の発端でした。山梨県北杜市で友人が開いていた個展を見に行くついでに、犬神家の一族のロケ地を見に行ってみるかとなり、長野県佐久市にある井出野屋旅館さんにお邪魔しました。 その井出野屋旅館は望月宿、中山道六十九宿のうち軽井沢/追分から下諏訪に抜ける街道の途中にある、江戸側から25番目の宿にあたる宿場町にあります。この辺りは奈良時代に牧場が拓かれ、古くは馬の名産地として知られていました。毎年旧暦八月十五日頃に朝廷に献上した駒に「望月」の名が付いたのが地名の名前の由来だと伝わり、その望月の牧は宿場町から2km程北側にあります。また、寛保二年(1742)に鹿曲川が洪水をおこし、元は右岸にあった宿が現在地の左岸へと移動しています。上の赤マルが井出野屋旅館さん

    「犬神家の一族」のロケ地、那須ホテル(望月宿、井出野屋旅館) - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2020/09/12
    あれれっ?金田一さん、犬神家の再現写真?!
  • 三河湾の絶景を望む、蒲郡クラシックホテルに宿泊 - 青い滑走路

    一年以上前になってしまいますが、愛知県に出張で訪れた時に蒲郡市で宿を求めました。宿泊したのは戦前に建てられ、現在も運営がなされている国内"クラシックホテル"の名前を挙げると必ず出てくる「蒲郡クラシックホテル」でした。三河湾の竹島望む小高い丘に立つ同ホテルは、昭和初期の外国人旅行者を誘致を目指した政府の施策に添って昭和九年(1934)に開業し、前身にあたる料理旅館・常盤館(創業明治四十五年)を含めると100年を越す歴史誇る宿泊施設なのです。 常磐館時代には聚美堂と呼ばれていた六角堂。現在は鉄板焼きレストランとなっているのですが、到着した時間が遅かったために既に入口は閉ざされていました。どこかの仏堂を移築したとも感じられる渋めの建物で、ホテル開業当初はお土産屋さんだったのだとか。 渥美半島と知多半島によって両腕で囲まれているか様な姿の三河湾は、旅客機が上空を通る飛行ルートにあたり良く目にします

    三河湾の絶景を望む、蒲郡クラシックホテルに宿泊 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2020/09/05
    すげぇ~VIPやぁ!次は川奈キボンヌ⛳
  • 全日空ANA1267(岩国→那覇)南西諸島の島々を上空より観察フライト - 青い滑走路

    家族旅行で沖縄に行って参りました。5泊6日の中国・四国駆け足旅行を終えて、飛行機に乗る為に山口県・岩国空港に到着。旅行中は岩国から羽田に直接飛んで帰宅するような素振りを家族には見せ続けていました。全日空のカウンターで搭乗手続きをして、自分が家族に手渡した搭乗券の上には"那覇"行き文字が...。自称イタズラ(他称ワルふざけ)好きな自分がこの手の遊びをするのは慣れている筈の/子供も意表を突かれたようで、海で泳ぐぞと喜ぶ子供達と、「またやられた」と唖然とする...。 家族に秘密にしていた沖縄経由での帰京。空港で何も言わずに渡した搭乗券を見た娘の反応( ☉_☉)Wow!! pic.twitter.com/rJfvTJSg3B— たまパパ (@akabekosan) 2019年8月6日 搭乗待合室からボーディングブリッジを渡ってボーイング737-800型に乗り込みました。自分たちの座席は機体後方

    全日空ANA1267(岩国→那覇)南西諸島の島々を上空より観察フライト - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2019/10/13
    すでにCAのあしらい方をマスターしている、未来のキャプテンに逞しさを感じますね!👏
  • パイロット志望の息子と羽田空港JAL工場見学に行ってきました - 青い滑走路

    羽田空港に息子と行って参りました! 息子の将来の夢がまだパイロットだった頃の話しですが...。工場見学として不動の人気誇るJAL工場見学。とある正月明けの日にJALホームページ上の工場見学予約状況を覗いて見たところ、子供の冬休み期間中にちょうど2席空きがあるのを発見してしまいました。次に予約が入れられる週末の日を試しに確認をすると、1番近い日程はなんと7月末まで1席もなしという状態に驚き、その幸運に感謝しつつ予約ボタンを押したのでした。 羽田空港敷地の東南側、湾岸環八IC近くの整備場地区にあるJALの大きな建物が会場です。自分は何度も訪れていたものの、息子にとっては初めての訪問で航空教室開始前の時間に展示エリアをぷらぷらしていました。シミュレータの機長席に座ってみたり、客室乗務員として制服を着ての記念撮影、旅客機を到着ゲートへと誘導するマーシャラーの疑似体験と多彩な体験ができる場所でした。

    パイロット志望の息子と羽田空港JAL工場見学に行ってきました - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2019/10/08
    Jal✈️Hungerの見学は、飛彦なら垂涎の場所!きっとテンション(´∀`∩)age⤴︎︎⤴︎︎あ、ワタシは飛オタではない「空弁買って見学デッキで、食するのが大好き♡」でも、さすがに一日中はキツいので、シュミレータを…
  • 不時着したら塀の中、子供と一緒に成田空港をアチコチ歴史散歩 - 青い滑走路

    の表玄関とも称される成田空港。羽田空港の倍にもあたる年間3,500万人の国際旅客数を誇る世界でも有数の巨大空港です。1978年5月20日の開港日より40年の年月を経た現在では2の滑走路と3つの旅客ターミナルビルを持つまでとなりました。今後も右肩上がりで増える旺盛な航空需要に応えるために、新たな滑走路/ターミナル建設が10年内に計画されており今後の更なる発展が期待されています。 自分が初めて独りで海外に行った時のアラスカ行きの便は「新東京国際空港」と当時呼ばれていた成田空港からの出発でした。「国際線は成田、国内線は羽田」との国の政策による棲み分けがあり、政治的配慮がなされた中華航空(台湾)を除いて国際線は全て成田発着が当たり前の時代でした。“国際線は成田”は2002年のワールカップ日韓共同開催を機会にして、羽田空港を日のハブ空港にとの新方針が出されるまで続いていました。これ迄の2-3

    不時着したら塀の中、子供と一緒に成田空港をアチコチ歴史散歩 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2019/10/06
    三里塚闘争ですねぇ…。哀しい歴史話だけは、パイセンから聴いて少しだけ知っています。ええ、ワタシはまだまだワカゾーですからね。笑
  • 千葉県外房・和田漁港、深夜のクジラ解体作業を息子と見学 - 青い滑走路

    千葉県外房の漁村に息子と一緒に行って参りました。自宅を出発したのが午後11時。既に寝ている息子をクルマの後部座席に放り込み、首都高、アクアラインを経由して片道120キロ/2時間の深夜ドライブです。訪れる時間が決定したのは前日夕方過ぎで、2018年中の最後だと言われた日のスケジュールは午前2時よりと書かれていたのでした...。 この先は解体作業の写真が多数あります。血が流れ続ける場面ですのでご注意を。 普段は子供達と一緒に9時過ぎに寝てしまう自分には夜間の運転は結構キツく、これは帰ってから職場に行っても使い物にならないぞと自覚しながらハンドルを握っていました。和田漁港に到着するも、真っ暗な港には黒い波がザバン、ザバンと打ち寄せる音が聴こえるばかしで誰も見当たらず。寝ている息子をクルマに置いたままにして、目的地の建物を探すべく港を暫く歩きました。この夜に訪れたのは江戸時代からの鯨漁が続く外房の

    千葉県外房・和田漁港、深夜のクジラ解体作業を息子と見学 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2019/10/05
    牛や鯨の解体場は非公開で、まして写真撮影も難しいと聴いていましたが、OKなのですね。
  • 霊峰・大峰山の麓、修験道の里・天川村洞川の「旅館いろは」に宿泊 - 青い滑走路

    大阪仕事で訪れる事がここ1-2年多くなりました。自分の勤めている会社は出張時の宿泊に関しての明確な規定がなく、金額さえ"常識"の範囲内であれば何処に宿泊しても良いとなっています。これ迄で自分がしたことのある最も極端な滞在は、福岡市内の仕事だったにも関わらず、200キロ離れた宿を訳あって選んだ事もありました...。 大阪での仕事を終えて、自分が向かったのは奈良県南部の天川村。大阪の次には奈良/京都を仕事で訪れる予定だったので、若干遠回りですが観光客でごった返す大阪市内での宿泊を避ける事にしました。街中よりも郊外の温泉旅館にでも宿泊した方が値段も安く、身体も休められ、翌日の仕事も頑張ろうという気分になるものです。 橿原から山を越えて吉野に入り、下市→黒滝村→天川へと進んで行きました。下市の市街地あたりではクルマのワイパーを最速で左右に振る程の激しい雨に襲われるも、山中に入っていくと次第に収ま

    霊峰・大峰山の麓、修験道の里・天川村洞川の「旅館いろは」に宿泊 - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2019/06/29
    大阪出張で洞川温泉に泊まれる自由さが羨ますい!
  • そして、放射能がやってきた。国道114号線と被曝した大地 - 青い滑走路

    8年前に襲ってきた東日大震災。そして、福島原子力発電所の放射能拡散。40年ばかしの自分の人生の中で、自分の手が届く場所で起こった物の大災害でした。大津波によって自分の故郷が呑み込まれていくのを呆然と見つめるしかなかったわけでも、原子力発電所の爆発音が聞こえ、見えない放射能に追い立てられ避難を余儀なくされたわけでも自分はありません。計画停電も我が家には起こらず、水や料に事欠くこともなく、自分達は福島第一原子力発電所から200km以上離れた場所でテレビやインターネット等を介した錯綜する情報に翻弄される日々を送っただけでした。 まだ1歳だった息子がいた我が家は、子供に影響があるのかないのかが当時の最大関心事でした。最悪の事態を政府が当時提示できなかったために、ソ連・チェルノブイリで30年前に起こった史上最悪の原発事故が想起され、30キロ圏内への長期立ち入り禁止、小児甲状腺がんや白血病、

    そして、放射能がやってきた。国道114号線と被曝した大地 - 青い滑走路
  • 東京大学の下宿街・本郷に残る鳳明館・森川別館に泊まってみました - 青い滑走路

    少し前になりますが、東京都文京区にある鳳明館・森川別館に宿泊して参りました。写真は最寄り駅から宿へと向かう途中に通った梨木(なしのき)坂です。この郷あたりは武蔵野丘陵の東端にあたり坂道が多い場所です。 地図で見ると鳳明館(赤丸は森川別館の場所)はこのような位置にあります。中央右の青線で囲われた場所は東京大学の敷地で、鳳明館と東京大学の間には国道17号線が走っています。ここはかつて江戸の五街道・中山道と呼ばれ、多くの大名屋敷が建ち並んでいました。東京大学の中心部は加賀藩上屋敷、東京ドームのあたりは水戸藩上屋敷と聞きます。 東京大学のお膝元・郷界隈には学生の下宿街や旅館が集まっていました。最盛期には100軒を越す宿泊施設があったものの、時代の移り変わりに合わせて郷館、朝陽館(経営者が鳳明館の親族)等の有名どころも含め廃業/取り壊しが続き、鳳明館は当時の面影を残す数少ない宿となってしまいま

    東京大学の下宿街・本郷に残る鳳明館・森川別館に泊まってみました - 青い滑走路
    minminzemi81
    minminzemi81 2018/08/01
    ビルが建ち並ぶ大都会の一角に「鳳明館」がある。時代から完全に取り残され、でもひっそりと往時の姿を留めているのは、ホントに素晴らしいと思う。東京大学の間近にある立地、きっと著名人も宿泊したことだろうね。
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