私は先月30日、東京電力取締役会の諮問機関として設置された原子力改革監視委員会の委員を辞任した。監視委員の仕事そのものは最初の1カ月で終わったのだが、デール・クライン委員長(元米国原子力規制委員長)から引き留められ、2年半以上も名前だけは残してきた。 その間、私は民主党時代の担当大臣に提出した報告書や著書などで「再稼働のためには、原発事故対応の組織を首相官邸に置くべきだ」などの提案をしてきたが、今日まで何もなされていない。住民の避難計画でさえ、地元自治体任せだ。 東京電力の柏崎刈羽原発を抱える新潟県の泉田裕彦前知事は、知事在籍当時、「事故時に政府内で自分たちのカウンターパート(対応相手)となるのが、どこの組織の誰なのか、問い合わせても返事がない。これでは再稼働はOKできない」と主張し、国ともめていた。そこで自民党は昨年の知事選で泉田氏の立候補を断念させ、前長岡市長を擁立した。だが、県民に見