→紀伊國屋書店で購入 講義ノートの三巻目は1978-1979年度と1979-1980年度の二年分をおさめる。最後の二年間の講義は「小説の準備Ⅰ」、「小説の準備Ⅱ」というひとつづきの内容だからである。 批評家のバルトがなぜ「小説の準備」というテーマを選んだのだろうか。 バルトは1977年10月25日、最愛の母親を亡くす。極度のマザコンだったバルトは『喪の日記』にあるように悲嘆にくれ絶望の淵をさまよったが、二年目の『<中性>について』の講義の準備によってかろうじて自分を支えたらしい。 転機となったのは母の少女時代の写真を発見したことだった。幼い母の写真に魂を揺さぶられたバルトは母の思い出を写真論としてまとめることを思いたち、一年余の熟成期間をへて『明るい部屋』を一気呵成に書きあげる。 読んだ方はおわかりと思うが、『明るい部屋』は知的で冷静な批評の体裁をとりながらも、きわめて内密でプライベートで