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*_Sen:戦後民主主義と*_R:歴史認識に関するo_keke_nigelのブックマーク (18)

  • 加藤典洋氏と高橋哲哉氏の

    加藤典洋氏と高橋哲哉氏の「論争」 ~『敗戦後論』と『戦後責任論』を中心に~ 総合政策学部3年 70108602 松 純平 Ⅰ、発表の形式 著者紹介→加藤氏の主張の論点→高橋氏の論点→具体的な論争部分 Ⅱ、著者紹介 ・加藤典洋氏 1948年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業仏文科卒業、現在、明治学院大学国際学部教授、文芸評論家。主な著作に『アメリカの影』、『ホーロー賞』、『戦略的思考』、『可能性としての戦後以後』などがある。 ・高橋哲哉氏 1956年、福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業、同大学大学院哲学専攻博士課程単位習得。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。主な著作に『記憶のエチカ』、『断絶の世紀 証言の世紀』、『ナショナル・ヒストリーを超えて』などがある。 Ⅲ、加藤氏の主張 1、戦後日の分裂 ・ジキル氏と、ハイド氏 戦後において、日社会は人格的に

  • 日本近代史について議論する前に知っておくべきこと - tukinoha’s blog

    歴史を語るということは自分の歴史観を語ることと同義である、と僕は考えています。 ところでその「歴史観」という言葉についてですが、「あの時のAの判断は正しかった/誤りだった」という価値判断のことだと考えられていたり、あるいは「Bはあった/なかった」という事実認定のことだと考えられていたりと、使う人によって意味が変わるため議論にズレが生じる、というのもよくある話。 それに対して僕が「歴史観の定義とは○○だ!お前らはみんな間違っている!」と主張しても、所詮は「自分定義」ですから、何の意味もありません。ただ、仮に「歴史観」という言葉の定義が上に例として挙げたようなものであるならば、歴史観なんて無い方が良いんじゃないの?とも思うわけで。 つまり「Aは正しい。Bは悪い」という価値判断を歴史学に持ち込むのであれば、それは戦前の皇国史観と同じものか、あるいはそれを裏返したものにしかなり得ません。また「あっ

    日本近代史について議論する前に知っておくべきこと - tukinoha’s blog
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/25
    「日本近代史学の問題点は、大局的な「歴史観」を失ったことによる、個別論への逃避と「歴史=物語」の強調に集約」/「近代全体を見据えた「必然としての歴史」を提示し、無制限な相対主義にストップをかけること」
  • 記事一覧 - CLick for Anti War 最新メモ

    (▼コメント欄が見やすい「携帯版ページ」は→こちら。) ・・・忙しい毎日の片手間に、ちょっと戦争に反対してみる。 最短30秒からの反戦と平和のアクション。萌える反戦運動! だいたい1日に10分くらいで、鼻歌まじりに更新していきます。 ▼ホームページ ▼旧HP跡地 ▼サイトマップ ▼CL.A.W.ギャラリー ▼アンテナ ▼ブックマーク ▼管理人:九郎政宗 (ID:claw) clawsince2003「@」yahoo.co.jp ←スパムよけに@を「@」にしています。送信時は元にもどしてください。▼プロフィール ▼従軍慰安婦 ▼嫌韓下流 【リンク→】 ▼Yahoo!News「イラク」 ▼Yahoo!News「パレスチナ」 ▼日史▼『国が燃える』弾圧事件 ▼南京大虐殺&百人斬りFAQ ▼『イヌxワンGP』 ▼BBC ▼阿修羅 ▼2ちゃんねるイラク板 ▼「荒らし」最終解決 ▼2ちゃんねる検索

    記事一覧 - CLick for Anti War 最新メモ
  • 歴史と謝罪 - Oblivion? Oblivion!

    どうも違和感を感じるのは、謝罪が求められているものなのか、ということ。 たとえてみれば、牛を要求されているのに馬を与えて、馬をいくら与えても牛を要求されるから、また馬を与えて、そしてまた馬を与えて、そして「普通は一頭で満足するのが標準だ、何頭やったと思ってるんだ、不当だ!」と怒っているように見える。根的にすれ違っている。そして、欲しいのは牛で、馬は要らない、といわれると、「返さず受け取ったじゃないか、何だかんだいって欲しいんだろう?」あるいは「売って牛を買えばいいじゃないか」と返答してるような。そういう、無神経さというよりも、或る、奇妙な無自覚さがある。 謝る必要はない、なぜなら正当だったから、という言説には、ひとつの思想として耳を傾けることができるし、反論もできるし、少なくとも理解はできる。 しかし、さんざん謝ったじゃないか、という言説には率直に言って同意も共感もできない、というか、始

    歴史と謝罪 - Oblivion? Oblivion!
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    o_keke_nigel 2007/04/05
    「大日本帝国が理念的に現在の日本国の「敵」ということになっても、その「敵」に属した父祖を敬えないというのならば、そのひとは基本的なところで政治に侵食されている。」
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    o_keke_nigel 2007/04/03
    戦前と戦後の断続と連続について…日本とドイツの対比、西尾幹二氏の論考の批判的検証。
  • 自殺を強制したにせよしなかったにせよ、軍隊が「その国の国民を守らなかった」ことは事実。 - 想像力はベッドルームと路上から

    命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか! - Munchener Brucke 「空気」を気にする日人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984 沖縄戦「自決強制」を検定削除──また「狭義の強制」論ですか - モジモジ君のブログ。みたいな。 「空気」を気にする日人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984 keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。 多分、僕らが「あの戦争」から繰り返し学ばなければならないことがあるとしたら、それは単に「軍隊はその国の国民を守らない」という事実であるように思う。 何隻の軍艦を沈めようが、何機の戦闘機を撃ち落とそうが、何人の敵を撃ち殺そうが、何日硫黄島を守ろうが、自殺を強制しようがしなかろうが、その一点において日軍の存在価値は全否定されて然るべきだ。

    自殺を強制したにせよしなかったにせよ、軍隊が「その国の国民を守らなかった」ことは事実。 - 想像力はベッドルームと路上から
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    o_keke_nigel 2007/04/03
    「多分、僕らが「あの戦争」から繰り返し学ばなければならないことがあるとしたら、それは単に「軍隊はその国の国民を守らない」という事実であるように思う。」
  • keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「「空気」を気にする日人の精神主義的教育論@Backlash to 1984」に対して、コメントつけたら、反論されたので、返事を返す。たいした内容じゃありません。 米軍はソ連軍とは違い、投降しておれば救われた命は多かったでしょうね。しかしそれは結果論でしょう。「恐怖を煽って」と言いますが、ソ連軍は強姦も拉致も殺害も略奪もし放題だが米軍は投降すればそんなことは少ないよ…などと敗戦前にどうやって知ることができたのですか? 都市への無差別の空襲などを見るにつけ、当時の日人なら「鬼畜米英とはまことであった」と感じていたに相違ありません。 責任転嫁はやめましょう。そんな知ることができたかどうか以前に、日軍としては投降されては不都合だという状況があり(陣地構築などで住民を徴用し、機密が広く知れ渡っていたため)、そのために組織的に投降阻止することを軍の方針にしたんです。それが「軍官民共生共死の方針

    keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。
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    o_keke_nigel 2007/04/03
    コメント欄について。枕詞の言葉尻に噛みついて煽り口調というのはいささかいただけない感あり。ただkeya1984氏の「意図」は「サヨクの反戦観」をdisることだろうと思われるのでお互いそうなるのか。
  • 「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984

    歴史教科書における沖縄戦の記述をめぐる検定意見に、またぞろ感情的な反発が起きているようだ。一般人に対して自決するよう軍命令が出ていたわけではないが多数の集団自決があったことは史実であって、それを誤解させないように記すべしとの意見が、なぜに「旧軍の関与を否定した」ことになるのか。このような主張は、それこそ、「集団自決せよとの軍命令があってはじめて旧軍がそれに関与したと言えるのであって、そのような命令がなかったのであれば、住民の集団自決に軍の関与があったことにならない」と主張しているのと同じであろう。つまり右派がそんな馬鹿げた主張をしているのではなく、実は左派こそが主張しているのも同然ではないか。 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか! - Munchener Brucke 題名のとおり、そのとおりである。「命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろ

    「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/04/02
    コメント欄での「左翼流の腐った反戦論」ここに筆者の本音があると見た。スローガン化してしまった戦後の左派における反戦運動への異議申し立ては理解できるところもあるが…。mojimoji氏の反論にも要注目。
  • 自虐史観の種を見つけた。 - 練習帳@blog

    いろいろとネタにされている「オマニー*1」。 編集長vs岡田有花の戦いを見物していて、偶然「自虐史観」の種を見つけた。編集長vs岡田有花は大体以下の流れ ブログでも2chでもない「市民新聞」とは――オーマイニュース鳥越編集長に聞く - ITmedia ニュース 「批判があれば記事を書いてほしい」オーマイニュース鳥越編集長 - ITmedia ニュース どの情報を信じますか? - ITmedia ニュース 問題の箇所は、この一番先のインタビューの中の以下の一文だ。 ――2ちゃんねる2ch)やブログなど、発言の場はたくさんあるが。 2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る。日の社会を良くしたい。日を変えるための1つの場にしたいという気持ちがある。 オーマイニュースも、基的にはブロ

    自虐史観の種を見つけた。 - 練習帳@blog
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/11/10
    「自虐」をいう人たちは…歴史や社会を「プライド」で語りたいのかな。じゃあ彼らが罵倒して止まない「かの国の人たち」と同じじゃないの?
  • http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1155309139/

  • http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1145445496/

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/10/31
    オルタナティブ板。「自虐史観」なぞ学校でついぞ習った記憶がないのだが…そもそも近現代史はいつも尻切れトンボで。
  • MIYADAI.com -論座 2001年3月号 元原稿

    『論座』3月号に同じタイトルで、インタビュー起こしを元にした原稿を書きましたが、とんでもないミスをしてしまったのです。200字×30枚と依頼されていたのを、400字×30枚だと勘違いして、倍の分量書いてしまったのです。しかも原稿を編集部に送ったのが、校了直前。編集さんがぼろぼろの状態でバサバサ削って、半分の分量にしてくれました。ということで、ここに元の倍の分量ある原稿をアップします。 ■日のことばをめぐる状況は、もはやどこが悪いここが悪いという病巣局在論的なレベルをとうに超えています。永田町のことばが信じられないとか、あるいは特定の個人や組織のことばが信じられないとか、あるいはお上は信じられないが民衆は信じられるとかいった次元ではなく、全部がだめ。すべてのことばが信じられない状態になっているのです。 ■ことここに至っては、ことばを支えるフレーム自体を、まるごと取り替える以外に道はないとい

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/10/19
    宮台さん「エンツェンス・ベルガー」じゃなくて「ハンス=マグヌス・エンツェンスベルガー」…はともかく、「僕たちは戦争で負けたのに、実はいまだかつて「何よりもダメな日本」を身に浸みて実感したことがない」。
  • 2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」

    近日中に風刺画の続きをてがけますが一息のあとのまた一息に日語記事クリッピング↓ 関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件に対する解釈が、映画『ホテル・ルワンダ』との関係で、論争になっているのを id:gachapinfan さん、id:travieso さんのところで知る。この映画も見ていなければ、論争のきっかけになった映画評論や複数いる論争参加者の記事もきちんと読んでいず、なんだかややこしいことになっている論争に参加する気はないが、このきっかけをとらえて、この事件に関して以前から気になっていた証言を、あるから引用紹介することにしたい。コメントも論争の展開を追わずにひとりよがりに適当につけます。さて問題のは、 比嘉春潮『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969) 著者の比嘉春潮は1883年沖縄生まれ。没落士族出身の知識階層に属し、小学校校長、新聞記者、県庁の役人を勤めながら、一方で社会

    2006-03-07 - fenestrae 「この人なら知っています。沖縄の人だ」
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/09/07
    沖縄の社会活動家の関東大震災時の体験をテーマに。コメント欄も読み応えあり。
  • REVの日記 @はてな 核武装について

    ひとんちのBlogとコメント欄に、うだうだと書き込みたくなってやめる。 KOOLにいこう。 ファシズムについて 狭い意味でのファシズムは、第二次大戦前のムッソリーニ、ヒトラー達のアレを指し、選挙によって選ばれた、(没落しつつある)中産階級独裁体制を指す、という「話」があります。資家階級には「資主義(今ならネオコン)」があり、労働者階級には共産主義があるが、中産階級を代弁する思想は無い。というわけで、国粋主義を唱えて中産階級の支持を得て政権を獲得し(で、実は資家に奉仕する)体制を、狭い意味でのファシズムと呼ぶ。なので、戦前の日は、単なる軍部独走のボナパルティズムだ、と。現在でも第三世界に多い、軍部独裁みたいなものですね。 根拠もなくファシズムというラベルを貼り*1、ファシズムだから悪い、という論法が良く使われます。 アニメの10年周期について http://grev.g.hatena

    REVの日記 @はてな 核武装について
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/09/06
    「日本の戦前はファシズム、と言うよりは軍部独走のボナパルティズムだ」という件について。ファシズム論って結構難しい。
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - 靖国神社参拝問題のややこしさ

    まあ、無事参拝は行われたわけだけど。 ひとつの潮目となったのは、日経の富田メモであることは間違いなく、これの真偽については各メディア各知識人がいろいろ検証している最中なんで、門外漢のわたくしがあれこれいう必要は特にないし、言ったところでどうなるもんでもない。ただ、一応現段階でいろいろ読んだところ、まあ事実なんだろうなという心証。まあ、モノ自体は四年ぐらい前に文春で報じられてますしね。 一連の議論における否定派の代表格は岡崎久彦氏。岡崎氏やその周辺は基的な政治姿勢が従来からアレであったことから、否定以外選択肢がないのかなとも思う。解釈の説得力は微妙。いくつかの媒体では、件メモに関する議論の土台となっているので、否定派の一般的解釈として一読に値する以上のものはある。 一方、左派の件メモに関する議論にはかなり失望した。昭和天皇の意向がどうであったかを議論することイコール昭和天皇の言い

  • 2005-09-13

    http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050907#p1 の続き 下記コメント欄で、kuronrkobousyuさんとcharisさんの議論が、継続中です。 http://d.hatena.ne.jp/charis/comment?date=20050910 下記に一部だけ抜き書きし、野原の感想を書きます。誤解を与えてしまうといけないので、ぜひ全文を読んで欲しい。 charis 「英霊は<心ならずも>戦争に動員されたのではなく、<自らの意思で>行ったのだ」というのが、靖国派の主張ですから、「英霊の心が一番分るのは自分たちだ」と思い込んでいる。だから、内田氏の主張は、靖国派にとって「大いに不愉快」なものである可能性もあります。 「英霊」と呼ばれる人たちはたとえ自らの強い意志で参戦しようとも、彼らの人生を中断されたわけだ。狭義の自衛戦争ならともかく倫理的にいかがわしい

    2005-09-13
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2006/08/17
    「そのような死者に対し国家が為さなければならないことは謝罪であり、君の死は無駄ではなかったという顕彰などではない」
  • 2005-08-20

    私にとって第一の関心事は、「私においてどのような表現が可能なのか?」「どのような私が可能なのか?」にあります。 「私は有罪だ。」という表現は成立可能でしょうか。不可能だと思います。有罪とは、それを言表することにより致命的なダメージを私が受けるという意味である。したがって何らかの裁判装置に私が受動的に掛けられるなら、「あなたは有罪だ」という言表は装置から発せられるであろう。もちろんわたしの内にも良心がある。良心は反省し認罪することができる。だが実行した私も、認罪した私も同じ私に過ぎない。前者ではなく後者が優越すべきだとする根拠は何処にあるだろう。戦争の時代に戦争に加担し、反省の時代に反省に加担する。それでは時流に合わせているだけですね。時流としてはまさに現在、反省への反動が押し寄せている。 わたしというものが“どこまでも述語となって主語とならない時間面的自己限定にほかならない”*1なら、反省

    2005-08-20
  • 2005-08-16

    http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050807 への応答です。 gkmondさん 応答が遅れ失礼しました。数日間パソコンから離れていたもので。 さて、 小泉氏が何を罪とし、何を反省としているのかは知りませんが、個人的な見解としては、「反省する」材料以外はすべて隠す(略)という歴史認識は否定されるべきだと思います。 一般論としては異論ありません。 ただ、具体的には(ここでいう隠された材料とはnoharraさんが「ネット右翼」と呼ぶ人たちが熱心に発掘しているエピソードや事実)というものがどの程度のネタか、という評価の問題になりますね。 ☆ 私の理解するところによれば、情報量の少ない「辺境の寒村の住民」(どこのことでしょう?)は、情報の相対化ができなかったのだから、自由はなかったと言いたいのだということになります。 であるならば、「軍が悪かった」以外の情報に、あるいは

    2005-08-16
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