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761全共闘に関するoguoguのブックマーク (18)

  • asahi.com(朝日新聞社):反乱の背景に「現代的不幸」 「1968」の小熊英二氏 - ひと・流行・話題 - BOOK

    反乱の背景に「現代的不幸」 「1968」の小熊英二氏2009年8月25日 60年代末、日列島を揺るがした若者の反乱とは何だったのか。小熊英二・慶応大教授(歴史社会学)が書き下ろした『1968』(新曜社)が、反響を呼んでいる。反乱の背景には当時の日が直面していたアイデンティティー危機、心の問題ともいうべき「現代的不幸」の洗礼があったとする主張を、上下巻2千ページ超で展開した意図を聞いた。 機動隊との対決の武勇伝、バリケードの中の青春という祝祭的側面が強調される一方、内ゲバや連合赤軍事件へと至る負のイメージが人々の脳裏に刻まれてきた「あの時代」。62年生まれの小熊さんが目指したのは、断片でなく全体像を、社会科学的手法によって解き明かすことだった。 「天命ですね。誰もやらないから、仕方なく、と言うしかない。業みたいなものでした」。全共闘や新左翼セクトのビラから運動参加者の回顧録、当時の文化

    oguogu
    oguogu 2009/08/25
    本の値段を見て吹いた。上下巻で1万5000円する本が評判を呼んでも読者は広がらないだろ。図書館需要でも当て込んでるのかな?
  • 【さらば革命的世代】番外編 テロリストの女王、重信房子被告に聞く (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】番外編 テロリストの女王、重信房子被告に聞く (1/4ページ) 2009.6.25 22:39 連載「さらば革命的世代」では、昭和49年にオランダ・ハーグの仏大使館が占拠されたハーグ事件など3事件で殺人未遂や逮捕監禁などの罪に問われ、東京高裁で懲役20年の判決を受けた日赤軍の元最高幹部、重信房子被告(63)に面会を試みた。《積極的に話したいことなどある訳ではありませんが、質問があれば答えます》と東京拘置所の重信被告から回答が届き、6月中旬、ようやく面会が実現した。重信被告が新聞メディアのインタビューに答えたのは異例だ。やりとりを番外編として紹介したい。 「創造性があった」 重信被告は白いシャツに青い上着姿。支援団体などによると、昨年末に大腸がんが判明、今年2月に手術を受けたといい、経過観察で検査を繰り返しているという。面会時間はわずかだったが、終始にこやかな表情で質

    oguogu
    oguogu 2009/06/25
    この産経新聞の連載は、もっと評価されるべき。しかし、重信房子も出所するのにカウントダウンが掛かっているのか。
  • 【さらば革命的世代】第4部(6)ぼくは二十歳だった 40年前と40年間 (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】第4部(6)ぼくは二十歳だった 40年前と40年間 (1/3ページ) 2009.6.19 18:13 逃走中に追いつめられた連合赤軍メンバーが立てこもった「あさま山荘事件」。警察は鉄球で山荘(左端)の壁を破壊し、放水しながら強行突入した=昭和47年2月、長野県軽井沢町 ■連赤に行き着いた 「全共闘崩れのなかには自分は企業の管理職に収まってるくせに、いまだ『オレたちは破壊してきた世代だ』と喜んでる人がいる。同窓会を開いてあのころを懐かしむ人もいる。恥ずかしい話だと思います」 評論家、小浜逸郎さん(62)は全共闘世代に厳しい視線を送るが、自身も同世代だ。昭和41年に横浜国立大に入学し、「時代の気分」で、ノンセクトの活動家になった。ヘルメットをかぶって教授をつるし上げたこともある。 それでも批判するのは、昭和47年の連合赤軍事件と自分たちが無関係だと装う全共闘世代が多すぎる

    oguogu
    oguogu 2009/06/19
    全共闘に参加した人が総括できないのは、なまじ当時はエリートだったから、自分の事を先の見えない馬鹿でしたとは言いたくないのかも知れない。
  • 【さらば革命的世代】第3部(11)還暦過ぎても革命家…彼はラーメンをすすっていた (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】第3部(11)還暦過ぎても革命家…彼はラーメンをすすっていた (1/4ページ) 2009.2.28 18:00 ■かつては350万人 「日は約140人もの人が集まりました」。司会の言葉に会場から拍手が沸いた。昨年12月、都内で開かれた「60年安保ブント結成50年記念集会」のひとこまだ。ブント(共産主義者同盟)とは、日共産党から分裂してできた新左翼組織で60年安保を担ったとされる。この組織からその後、多くの新左翼セクトが生まれていった。 発言台には共産主義を象徴する赤い旗がかけられ、機動隊とのもみあいで亡くなった東大生、樺美智子さんや全学連の唐牛健太郎委員長、ブントの島成郎書記長らの遺影が並んだ。60年安保闘争を支えた全学連世代の元活動家たちも顔をそろえ、壇上では東大の加藤尚武特任教授や菓子メーカー、タカラブネの元社長、新開純也さんらが発言した。会場には、その後の全

    oguogu
    oguogu 2009/02/28
    60年安保で死んだ樺美智子を総括できなかったのが失敗。死者を悲劇のヒロインとしたから死に対する恐れが無くなった、というのは考えさせられる。しかし、「内ゲバ」に説明が必要な時代になったとは。
  • 【さらば革命的世代】第3部(10)いちご白書をもう一度 (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    ■全員が髪を切ったのか フォークグループ「バンバン」のヒット曲「『いちご白書』をもう一度」は、卒業を前にした全共闘世代の学生の心情を歌った曲である。「就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと君にいいわけしたね」というフレーズが印象的だ。 全共闘運動にかかわった学生のほとんどは結果的に一般企業などに就職した。そのことが「無節操に企業戦士として突き進んだ」と批判的に語られることが多い。大学を出た後も社会運動を続けた人はごくわずか。情熱はあっさりと冷めたように見えるが、それほど単純ではないという人もいる。 かつては髪を伸ばし、昭和40年に入学した大阪市大で学生運動にかかわった千葉進さん(65)=仮名。今は白髪頭で衣料関係の零細企業を営んでいる。全共闘運動が一段落した後も大手企業には就職せず、零細企業を営みながら生計を立ててきた。社長と呼ばれるようになって30年がたつものの正社員はゼロ。

    oguogu
    oguogu 2009/02/21
    参加した者は、自ら責任を感じようが勝手だけれど、東大入試を潰したりして、確実に下の世代に迷惑を掛けているよね。全共闘に参加した多くの人には、良い思い出だけ残って、迷惑を掛けた事は忘れられてるらしいが。
  • 第63回毎日映コンの顔:/下 若松孝二/三浦春馬/仲里依紗 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇腹立てぬと映画撮れない--監督賞・若松孝二 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」での受賞に「よく選んだな、と感心してんですよ」。毎日新聞とは浅からぬ因縁がある。1965年、監督したピンク映画「壁の中の秘事」がベルリン国際映画祭で上映された際、毎日の記者に「国辱」とかみつかれたのだ。 政治的で過激なピンク映画を量産し、一時代を築いた。70歳を過ぎ、荒々しさこそいささか影を潜めたものの、映画作りの姿勢は変わらない。 「腹立てないと、映画を撮れない」。怒りが創作の源という。今回は、事件を警察側から描いた「突入せよ!あさま山荘事件」を見て、「表現者が権力側から撮っちゃいけない」と製作を決めた。 72年の連合赤軍事件。その時代状況を丹念に説き起こし、当事者の証言を基に山荘内部の様子を克明に再現した。「事件を知らない若者にウソの歴史を見せちゃいけない」との思いだった。 連赤メンバーとは今も親交があ

    oguogu
    oguogu 2009/02/18
    連合赤軍がいたから『今でも日本には徴兵制がなく、日本人は戦争に行かずに済んでいる』というのは彼等のお陰で社会党政権ができずに、その後にあったであろう革命もできなかったという意味ですか。
  • 【さらば革命的世代】第3部(9)社長「島耕作」の全共闘総括 弘兼憲史さん (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】第3部(9)社長「島耕作」の全共闘総括 弘兼憲史さん (1/3ページ) 2009.2.14 18:00 資論は最初の5ページ 漫画キャラクターの“出世”が一般ニュースになるのは異例のことだ。平成20年5月、弘兼憲史さん(61)が描く人気連載漫画シリーズの主人公「島耕作」の社長就任を報じる記事が新聞各紙に掲載された。「日一有名なサラリーマン」と称される島耕作も団塊の世代。わずかながら全共闘運動を経験したという設定だ。サラリーマン社会を生き抜く彼は、当時をどう総括しているのだろうか。 島耕作が早稲田大学に入学したのは全共闘運動の先駆けとなる早大学費値上げ反対闘争が盛り上がった昭和41年。東大安田講堂の攻防戦が起きたのは3年生の終わりごろにあたる44年1月で、まさに最盛期に学生生活を送ったことになる。漫画にはこんな述懐シーンもある。 「俺は雀荘に入りびたり資論を最初の

    oguogu
    oguogu 2009/02/14
    一番輝いていた時代を思い返す。今のメディアがやっている事は、それなんじゃないのか。
  • 【さらば革命的世代】第3部(8)実行犯が語る37年目の連合赤軍 植垣康博さん (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】第3部(8)実行犯が語る37年目の連合赤軍 植垣康博さん (1/4ページ) 2009.2.7 18:00 スナック「バロン」 静岡市役所近くの小さな雑居ビルにスナック「バロン」はあった。スキンヘッドの店主、植垣康博さん(60)は37年前の連合赤軍事件で、12人が殺害されたリンチ事件にかかわり、懲役20年の実刑判決を受けた。出所したのは平成10年10月。バロンは当時の彼のあだ名だ。取材について、「私は事件から逃げることはできませんから」と言い、半生を語り始めた。 子供のころは鉱物や天文が好きな理系少年。鉱山の多い東北の土地柄にひかれて昭和42年、弘前大学理学部に入った。京大大学院への進学希望があったが、「物理学は核や原子力に協力してもよいのか」と全共闘に加わった。 弘前大全共闘には「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインなどで知られる漫画家、安彦良和さん(61)もいた

    oguogu
    oguogu 2009/02/07
    この連載で、一番、いや、初めて共感できたインタビューだ。逆に、他メンバーは、どうして共感できるような事を言ってくれないのだろうか。
  • 【さらば革命的世代】第3部(7)アイドルと闘士の恋 加藤登紀子さん (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    ■卒業写真はデモの現場 「卒業証書を持ったところを撮影させてください。安田講堂の前で振袖着てね」。昭和43年3月、東大生歌手として人気を集めていた加藤登紀子さん(65)は卒業式を前に女性誌のカメラマンから、そう頼まれていた。在学中にシャンソンコンクールに優勝してデビュー。バラエティー番組にも出演するアイドル歌手として、お茶の間でも知られた存在だった。 この年の1月には東大医学部自治会が無期限ストに突入するなど、全共闘運動は高揚期を迎えていた。多忙な芸能活動で6年生を迎えていた加藤さんは学内事情には疎かったが、兄の影響で高校のときに60年安保闘争に参加したことがあり、思うところもあった。 卒業式をボイコットする動きがあると聞き、思い切ってデモ隊に飛び込んだ。振袖姿を撮ろうと待ち構えたカメラマンたちがとらえたのは、Tシャツにジーンズ姿でこぶしを振り上げる加藤さんだった。 その記事を偶然目にした

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    oguogu 2009/01/31
    この人が売れない時代もメディアでの露出が多かったのは全共闘のお仲間のお陰だったりして。
  • 「【さらば革命的世代】第3部(2)闘争の舞台はネットへ」リビング‐暮らし経済ニュース:イザ!

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    oguogu 2008/12/20
    全共闘は、ネットのどこら辺にいるんだろう。やはり、見内で固まっているのだろうか。
  • 【さらば革命的世代】第3部(1)暴徒か知性の反乱か 東大生も感心抱く40年前の運動 (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    【さらば革命的世代】第3部(1)暴徒か知性の反乱か 東大生も感心抱く40年前の運動 (1/5ページ) 2008.12.13 18:28 「今も見えない」 11月23日、東京大学駒場キャンパス。定員350人の教室は立ち見が出るほどの盛況だったが、その8割近くが団塊の世代だった。学園祭企画で開かれたシンポジウム「今、語られる東大、学生、全共闘」。ジャーナリストで東大特任教授の立花隆さん(68)のゼミ生らが企画したものだ。 壇上に上がったのは、最首(さいしゆ)悟さん(元東大助手共闘)ら3人の元闘士。最首さんは「若い諸君には分からないと思うが、当時の教授は恐ろしい存在だった。その権威を壊したのが全共闘。大衆団交で、なぜ研究するのかという問いにきちんと答えられた教授はほとんどいなかった」。 別の元闘士は「今の状況なら学生運動はしてなかった」「壇上から何かを訴えることは快感だった」と当時の心境を告白

    oguogu
    oguogu 2008/12/13
    全共闘を評価する若者が出て来るとは。これは評価が一巡した事を意味するのか、それとも団塊の世代のノスタルジーに乗せられているのか。
  • 【さらば革命的世代】第2部(10)あのころ私は不愉快だった (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    機動隊との攻防戦を経て“落城”した東大・安田講堂。ガラス片や木片が散乱する場に光が差し込んでいた=昭和44年1月 古屋に市大の 大阪市立大学の文学部教授会は昭和44年春、学部長を補佐する評議員に、教授になったばかりの歴史学者、直木孝次郎さん(89)=現大阪市大名誉教授=を選んだ。当時50歳。「学生との対応は長期戦。若手が担当した方がよい」というのが理由だった。 教授会に学生たちがなだれ込んだのは、その直後だった。「教授会の予算を公開せよ」「傍聴を許可しろ」。騒ぎは深夜になっても収まらず直木さんは、時計の針が評議員の任期が始まる4月1日午前0時にあわせ、前任教授に代わって交渉の席に着いた。 「殺気立つ学生たちをなだめるだけで精いっぱいだった。予算公開ぐらいは譲歩してもよいと思っていたが、とても話し合いをする雰囲気ではなかった」 その約10年前、助教授だった直木さんは第1次安保闘争で学生た

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    oguogu 2008/11/08
    図書館の本を盗んでいたとは知らなかった。本当に、この頃の大学関係者は大変だったんだろうな。
  • 【さらば革命的世代】第2部(9)とめてくれるなキャラメルママ (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    キャラメルを配って流血を避けるよう呼びかける母親ら。後ろの立て看板には「闘争貫徹」「自己批判」などの文字も見える=昭和43年11月、東大郷キャンパス 背中のいちょう 《とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く》。この有名なフレーズは、昭和43年秋に行われた東大教養学部の学園祭、駒場祭のポスターに記されたキャッチコピーだ。ポスターを製作したのは当時東大生だった作家の橋治さん(60)だった。 東大闘争では、44年1月の安田講堂攻防戦がクローズアップされることが多いが、実際には前年の43年春から数カ月にわたって学生たちが大学を占拠した長期戦だった。駒場祭が行われた時期は、全共闘学生と民青系(日共産党系)学生の関係が緊迫したころでもあった。双方が全国の大学から応援部隊を呼び寄せてゲバ棒などで武装準備し、当時の新聞はその様子を連日報道した。大がかりな衝突がいつ起こ

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    oguogu 2008/11/01
    これは、せつないなあ。
  • 【さらば革命的世代】第2部(8)シラケ世代の視線「生身の声を聞かせてほしい」 劇作家 鴻上尚史さん (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    ■祭りの後 機動隊との衝突で意識を失った学生運動の闘士が30年ぶりに突然目覚め、現代の高校2年生として復学する−。全共闘をモチーフにした小説「僕たちの好きだった革命」を描いた劇作家の鴻上尚史さん(50)は団塊世代よりも10歳ほど年下。最初に全共闘を意識したのは高校時代だった。 「実際に運動が盛んだったころは小学生で記憶もあいまい。高校で学校側を批判する生徒に対して過剰反応する教師をみて、『これは学生運動の影響だな』と思ったのが、全共闘を考えるきっかけでした」 昭和50年代前半、愛媛の県立高校に通っていた鴻上さんは生徒会長。「柄付き下はなぜ禁止か。そんな話ですら教師たちはおびえ、怒っていた。田舎の高校だからたいした反乱もなかったのにね。若者たちにやりこめられた学園紛争時の記憶がよみがえったんでしょう」 時折組まれる雑誌の全共闘特集をむさぼり読むこともあったが、田舎の高校生が全盛期の雰囲気を

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    oguogu 2008/10/25
    そういえば全共闘は、リーダー的立場の人以外は黙して語らずだよね。
  • 【さらば革命的世代】第2部(7)「あいつらがナショナリズムを代行した」新右翼の鈴木邦男さん (1/3ページ) - MSN産経ニュース

    盾の会のメンバーとともに陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監部のバルコニーで演説する三島由紀夫さん=昭和45年11月25日 弱小組織のリーダー 「全共闘の連中には数え切れないほど殴られた。ただ、正直あこがれる部分もあった」 全共闘の先駆けともいわれる早大闘争がピークを迎えた昭和41年、後に新右翼団体「一水会」を創設する鈴木邦男さん(65)は政経学部の3年生だった。新左翼系の学生集会が数千人規模で行われるのを尻目に、わずか20人程度で細々と気勢を上げた新右翼グループを率いていた。 「左翼全盛の時代で右翼学生は1%もいなかった。議論の場はあったが、論破もされたし、暴力もふるわれた」 母親が信奉していた宗教団体「生長の家」の影響で、愛国心を大切にしたいという意識が強かったという鈴木さんは「そうでなければ考えもせずに、全共闘の側に加わっていたと思う。右翼か左翼かなんて最初の人間関係がきっか

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    oguogu 2008/10/18
    鈴木邦男か。最近の発言が朝日新聞によく引用されるのは、この人の思想が右翼だったのではなく、西村真悟と同じ愛国リベラルだったからなんだろうな。
  • 【さらば革命的世代】第2部(2)当初は理ありと感じた 佐々淳行さんが見た「象牙の塔」 (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    安田講堂事件で放水する機動隊員。佐々淳行さんは警視庁警備1課長として指揮を取った=昭和44年1月19日、東京大学 ロッカーに2億円 「逮捕された全共闘メンバーの中には国会議員の息子さんや娘さん、警察の最高幹部の親戚なんて人もいた。特別扱いはしなかったが、親御さんはずいぶんお困りだったと思いますよ」 元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(77)は学生運動の収拾に最前線であたった警察幹部の一人だ。昭和44年1月、警視庁警備1課長として38歳で安田講堂事件の攻防戦を指揮。47年の連合赤軍によるあさま山荘事件も担当するなど、警察側から見た歴史の証言者である。 意外にも思えるが、警察幹部らは当初、学生たちの行動に理解を示していたという。「反抗する学生さんにも言い分があるのではないか」。会議でそういった意見が出るほど、当時の大学の腐敗は傍目から見ても深刻だった。 まさに「象牙の塔」という言葉がぴったりで、

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    oguogu 2008/09/05
    問題なのは全共闘なんだけど、団塊の世代全体が、そう云う目で見られてしまう。若者から見れば勝ち組だしね。
  • 【さらば革命的世代】第2部(1)機動隊員が見た許せぬ光景 バリケードの外から (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学 ノーサイド 行く手を阻んだのは、机やロッカーを積み上げたバリケードだけではなかった。狭い階段は炎と黒煙に包まれ、頭上からは学生たちが放り投げる火炎瓶や頭大の石、さらにはガソリンや塩酸までが降ってきた。 昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学。1月の東大安田講堂攻防戦から約9カ月。各地に広がった全共闘と呼ばれる学生たちの反乱はとどまるところを知らず、この日朝、全国の公立大で唯一「紛争重症校」と呼ばれた市大当局からも、大阪府警部に機動隊の突入が要請された。 「あいつらと僕らはほとんど同じ世代。こちら側にすれば、親のすねをかじって好き放題しやがってという思いは、確かにあった」。この日、最前線でバリケードに突入した元府警機動隊員の宮崎二郎さん(66)=仮名=は

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    oguogu 2008/08/29
    共産主義の脅威を感じた財界が産経新聞を作ったって云うのは本当なのだろうか。
  • 【さらば革命的世代】(第1部総括)読者の声は… (1/4ページ) - MSN産経ニュース

    ■「下の世代にバトンを」 全共闘世代はなぜ沈黙するのか−。その答えを模索した第1部「隣の全共闘」。当事者にとっては“触れられたくない”テーマであることはわかるが、連載を通じて読者からいただいた50通を超える手紙やメールの9割以上は「全共闘以外」の世代からだった。 以前にこの連載で、「全共闘世代は、この連載を読まないだろう」と書いたが、実際にそうだったのだろうか。あるいは、当然のように“沈黙”を守り通しているだけなのか。逆に、群を抜いて多かったのは40代から50代前半の意見であり、一世代上の全共闘世代に対する「反発」が予想以上に目立った。 《小学生時代の同級生の父親が無責任な過激派活動で重傷を負わされた》という大阪府内の会社員(43)の意見。《彼らは、学校では教員、企業では上司の世代に当たるが、非常にわがままな集団にしか見えませんでした。彼らは「主義」は立派なのですが、結果を出すための具体的

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    oguogu 2008/07/18
    いまだに時代を清算することが出来無い、この世代の知識人は何をしているんだろう。この連載に反応があってもいいはずなんだけどなあ。
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