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クオリアの検索結果1 - 40 件 / 730件

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (6)一秒で集中する方法

    勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 なお、ここで解説する勉強法は、大人になってももちろん活用できます。脳は、「完成型」のない「オープン・エンド」。意欲さえあれば、何歳になっても新たな学びを積み重ねることができるのです。 6、1秒で集中する方法 はっと気付いた瞬間に、集中する。1秒で集中する。そんなことができたら、苦労しないよ、という子がいるかもしれません。 確かに、どれくらい集中できるかどうかには、個人差があります。一方で、それは、鍛えることができるものでもあります。生まれつきの「性格の差」で、集中できる、できないということが決まっているわけではありません。 腕立て伏せや、腹筋

    • 茂木健一郎 クオリア日記

      はっと気づいて外を見ると、もうとっぷりとくれていた。 塩尻の駅に、近づいていた。目的地は、もうすぐだ。 「まつもと〜 まつもと〜」 この声を聞く度に、郷愁を感じる。この地をふるさと呼ぶ人ならば、なおさらのことだろう。 ホームに降り立ち、階段をあがると、こんな夜に、と思うほど多くの人たちがあふれていた。 ゆかたを着た女の子が、髪の毛をつばめの尾のようにきれいに流して、男の子といっしょに歩いている。 幼い兄と、妹と、ちょっと疲れたようなお父さん。 お母さんがこっちよ、と叫んでいる。 歩くのが、少したいへんなくらいだった。 通りすがりの女の子が持っていたうちわに、「松本ぼんぼん」の字が見えた。 もともとの「ぼんぼん」は、女の子のための祭りなのだそうである。城下から始まった夏の習慣。 「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と言いながら歩く。 タクシーの運転手さんが、目的地がわから

      • 茂木健一郎 クオリア日記: 京都大学等におけるカンニング事件について

        今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。 京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。 その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。 入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。 1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日本の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。

        • クオリア - Wikipedia

          この項目では、「感覚質」と呼ばれる主観的な感覚について説明しています。その他のクオリアについては「クオリア (曖昧さ回避)」をご覧ください。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年10月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年10月) 正確性に疑問が呈されています。(2020年10月) 出典検索?: "クオリア" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL この画像を見る者の網膜には波長 630-760 nm の成分の際立つ光が十分な密度で届くはずであり、このときいわゆる「赤色」に対応するクオリアを体験するであろう。[注 1] クオリア(英語: qua

            クオリア - Wikipedia
          • 茂木健一郎 クオリア日記: ギャップ・イヤー

            東京の某所のカフェで、仕事をしていた。たくさんやらなくてはならないことがあって、ちょっとあせっていた。 ふと顔を上げると、ヨーロッパから来たらしい青年が、前のテーブルに座っていた。バックパックを背負い、真剣な顔をして本を読んでいる。その本が、Roger PenroseのEmperor's New Mindだったので、思わずはっとした。 ちょっと背伸びをするふりをして、テーブルを立って、滅多にそんなことはしないのだけれども、声をかけてみた。 「こんにちは、失礼ですが。ペンローズを読んでいるんですね?」 「ああ、はい。」 「学生さんですか?」 「いや、そうではありません?」 「旅行中?」 「はい。去年、大学を卒業ました。」 「どこの大学を出たのですか?」 「ケンブリッジ大学です。」 「ああ、ぼくもケンブリッジに留学していました! 何を専攻していたんですか?」 「物理学です。」 「じゃあ、ぼくと

            • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本の大学のガラパゴス化

              最近、さまざまな大学では、「就職」への対応を売り物にしているのだという。大学三年の秋から就職活動が始まるという日本の企業の「慣行」に合わせて、一年生の時からキャリア教育をするのだという。 このような風潮は、二重三重に間違っていて、最終的には日本の国益を損すると私は考える。 日本の大学が、日本の企業の予備校化するということは、日本の大学のガラパゴス化をますます加速化させる。現状でも、日本の大学は、日本で生まれ、日本語を母国語とする学生しかほとんど志望しない「日本でしか通用しない商品」となっている。日本の企業への就職の予備校となることは、つまりは、日本の大学が日本の企業に就職することに興味がある人以外には、進学することを検討するに価しない存在になることを意味する。 日本の大学で学ぶ学生たちにとっても、就職予備校化は長い目で見れば致命的な欠陥となりうる。なぜならば、大学で身につけるスキルが日本の

              • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

                斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち

                • 茂木健一郎 クオリア日記: どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。

                  昨日、代々木公園野外音楽堂で「就活生の本音フェス」があった。明治神宮の森を抜けて、駆けつけた。ちょうど、定刻の10時。しかし、少し押した。 「ユーストリームするのか?」と聞いたら、「機材がありません」などと言うので、その場でマックブックを出して、e-mobileでつないで自分でユーストリームした。生中継しながら、録画した。 最初の僕のセッションが終わって、次の杉村太郎さんが喋っている時に、舞台のそででMacBookのそばに座っていたら、実行委員の女の子が来て、「あのう、お客さんから見えないところに下がってくださいと、ディレクターから指示が来ていまして」と言う。 その女の子には全く罪がないのだが、オレはカチンと来て、「邪魔なのか?」と聞いた。そうしたら、「メディアの方もいらしてますから」というので、ますますアタマに来て、「どうせベタ記事にしかならねえぜ」と言った。 今朝の朝日新聞東京版に記事

                  • 茂木健一郎 クオリア日記: ○○は脳に良いですか?

                    いろいろな方とお話していて、良く聞かれるのが、「○○は脳に良いですか?」という質問である。 ○○を食べるのは脳に良いですか? 朝○○をするのは脳に良いですか? メディアの中で、「○○は脳に良い」という言い方がしばしば見受けられるので、一つの思考の型として流布しているのだろうと思われる。しかし、科学的には、「○○は脳に良い」という言明には、あまり意味があるとは言えない。 だから、私は、このような質問をされると、一瞬絶句して、それからどのように答えようかと、一生懸命言葉を探す。 なぜ、科学的には、「○○は脳に良い」という言い方をしないのか。きちんと説明をする必要があるように思う。 「○○が脳に良い」という言い方の背景にある考え方は、科学的な言葉におきかえれば、脳の状態について、ある評価関数があって、○○によってその「数値」が上がるということを意味する。 たとえば、「朝チョコレートを食べるのが脳

                    • 茂木健一郎 クオリア日記: Facebookの謎

                      このところ、Facebookに対する注目が集まっている。米国内ではアクセス時間でGoogleを超えたのだという。「検索」から、人と人の結びつきを通して情報が流通する時代、という変化は概念としては理解できる。どうしても理解できないのが、なぜ人々がそんなに長い時間をFacebook上で過ごすのか、ということである。 日本のSNSとしては、mixiが先行した。私もかなり初期に登録したが、「マイミク」が500人を超えたところで、わけがわからなくなってやめてしまった。「あしあと」とか、そういうことに対応している時間が、もったいなくなってしまったのである。 mixiに比べて、Facebookは実名が基本であるなど、いろいろ違う点があるという。日本でFacebookが伸びない理由を、日本のウェブの匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが本質だとは思えない。 Facebookのインターフ

                      • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者はいいわけをしてはいけない

                        しばらく前に、京都大学の 学園祭での私の講演を聞かれた方から、 「表現者はいいわけをしてはいけない」 という言葉の意味について ご質問をいただいた。 これには二重の意味がある。 一つは表現者の側から見た場合、 もう一つは、鑑賞者の側から見た場合である。 表現者にとってみれば、 作品というものは一度自分の手を 離れれば勝手に流通していって しまう。 自分のコントロール不可能な 領域に入っていってしまう。 その拡散の全ての局面に、 付き添っていっていちいち説明 することはできない。 「本当は、こういう意味だったんです」 「あなたのその意見は誤解です」 などと、補ったり、修正したり することは、表現者としての本分に反する。 どんなにひどい曲解をされても、 真意をつかんでくれなくても、 我慢しなければならない。 自分の表現がまだ拙いから わかってもらえなかったのだと、 修練による向上を志向しなけれ

                        • 茂木健一郎 クオリア日記

                          はっと気づいて外を見ると、もうとっぷりとくれていた。 塩尻の駅に、近づいていた。目的地は、もうすぐだ。 「まつもと〜 まつもと〜」 この声を聞く度に、郷愁を感じる。この地をふるさと呼ぶ人ならば、なおさらのことだろう。 ホームに降り立ち、階段をあがると、こんな夜に、と思うほど多くの人たちがあふれていた。 ゆかたを着た女の子が、髪の毛をつばめの尾のようにきれいに流して、男の子といっしょに歩いている。 幼い兄と、妹と、ちょっと疲れたようなお父さん。 お母さんがこっちよ、と叫んでいる。 歩くのが、少したいへんなくらいだった。 通りすがりの女の子が持っていたうちわに、「松本ぼんぼん」の字が見えた。 もともとの「ぼんぼん」は、女の子のための祭りなのだそうである。城下から始まった夏の習慣。 「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と言いながら歩く。 タクシーの運転手さんが、目的地がわから

                          • 茂木健一郎 クオリア日記: 中居クンの判断

                            第58回紅白歌合戦のゲスト審査員を させていただく。 NHK放送センターには、 午後3時に入った。 まずは、10階の『プロフェッショナル』班 がある社会情報番組の部屋に行き、 有吉伸人さんと合流。 ラジオセンターに向かい、 15時30分から16時15分まで、 ラジオ第一で、古屋和雄さん、 有江活子さんとともに、 「守りたいもの、守るべきもの」に ついてお話しする。 そのままNHKホールへ。 審査員席に座る。 青木功さん、新垣結衣さん、上田桃子さん、 岡島秀樹さん、陣内智則さん、板東眞理子さん、 中村勘三郎さん、藤原紀香さん、宮崎あおいさん とご一緒する。 本番中の移動など、段取りについて 説明を受ける。 舞台上では、マッスルミュージカル の方々によるリハーサルが行われていた。 「舞台転換はすごいことになっていますよ。 舞台の裏は外につながっていて、使い 終わった大道具はどんどん出していって

                            • クオリア問題はChatGPTで説明がつく - きしだのHatena

                              クオリアというのは、たとえば赤い色をみたときに、それがカラーコードとして同じであっても、リンゴの赤と血の赤で想起される「赤らしさ」が違うよね、そのそれぞれの「赤らしさ」とは?みたいな話です。 それがChatGPTの挙動と対応づけれるんではないだろうか、と。 ※ クオリアを解明できるという話ではありません もしくは、「りんご」と言ったときにあの赤い果物の直接的なイメージだけではなく「こないだ食べたのはちょっと固かった」だとか「スーパーで300円で並んでた」だとか「皮をむくのがめんどかった」だとかいろいろ想起されることも含めた「りんごらしさ」のことです。 正確にいえば、何かの単語や物体を意識したときに「らしさが生まれること」をクオリアと呼んでるんだと思います。 そいういうクオリアというのが結局なんなのか、というのが問題になってると思うのだけど、ChatGPTを見るとなんとなくクオリアというのが

                                クオリア問題はChatGPTで説明がつく - きしだのHatena
                              • 茂木健一郎 クオリア日記: 今は明治。

                                「はてな」で梅田望夫さんと お目にかかる。 表札に「?」と描いてあり、 それだけ。 そのあたりから予感がしていたが、 中に入るとおもちゃ箱がひっくりかえった 大学院生部屋のようだった。 「これは何ですか?」 「お菓子の棚です。」 「これは何ですか?」 「サーバーですよ。」 「えええ! これがですか。」 素っ頓狂な声を上げてしまった。 ごろんと床の上に置かれている。 「こう見えててもなかなか スルドイ技術的な工夫がしてあって ですねえ。この冷却のためのファンが 回転すると、空気が下から上にちゃんと 流れるようになっているのです。」 普通の「オフィス」の感覚から すると、色が溢れていて、関係の ないものがあふれている。 「ふふふ、最近、畳のスペースを 導入したので、仮眠しやすくなったのですよ」 あれれ。 空間が、遊び心のつぶつぶに満たされている。 最初はとっても 驚いたが、「はてなはやっぱりそ

                                • 茂木健一郎 クオリア日記: 田中角栄氏に関しての連続ツイート

                                  昨日深夜の田中角栄氏についての連続ツイートを、ここにまとめて掲載します。 茂木健一郎 金曜またぎの深夜でもあるし、帰って来ながらいろいろ考えたので、いつもは朝やる連続ツイートを、もう少ししたらやりたいと思います。 角栄(1)あれは数年前だったか、学生たちとカラオケをしている時に、「まあ、その〜国民のみなさまにはですね、まあ、その〜」と田中角栄のものまねをしたら、誰もわからなかった。昭和を象徴するあの人のダミ声を知らない世代が生まれてきているのだと知り、ショックだった。 角栄(2)その頃から、なぜか、田中角栄さんのことが気になった。最近になって、いろいろな意味で田中さんと比較される小沢一郎さんについての、マスコミの報道ぶりを見ていて、なぜ角栄さんのことが気になっていたのか、わかった気がする。角栄さんは、私たち日本人にとって、一つの「宿題」なのだ。 角栄(3)田中角栄さんは、高等小学校と中央工

                                  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」である

                                    日本の大学入試問題は、文部科学省の定めた「高校」までのカリキュラムの中で、思考能力を求められる問題が出題される。 そのレベルは、たとえば、アメリカのSAT(Scholastic Aptitude Test)、ACT(American College Testing)などの試験に比べて、格段に高い。 そのことは、たとえば、このSAT practice test http://www.proprofs.com/sat/exams/practice-tests.shtml# と、2010年度前期 東京大学入試問題 http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/recent/tokyo/zenki/index.html を比較すれば明かだろう。 このことは、大学入学時点での日本の高校生の学力水準を高めに保つ効果を持つかもしれない。一方で、日本の大学入試は、「プロクラス

                                    • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。

                                      表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。 風花のドアを開けたら、中森明夫さんの姿がまずは見えて、カウンターに近づいたら、すぐ横に東浩紀さんのグループが座っていた。それで、東さんと久しぶりにいろいろ話した。 元気で、言葉に力がある。ブンガク的な言い切りのセンスというのはなかなか世にはないものだから、東さんさすがだな、と思って聞いているうちに、ああ、そうかと気付きが訪れた。 表現者は言い訳をしてはいけない、ということはさ、つまり、伝えることはディスコミュニケーションと不可分ということなんだよ。 そうだったのだ。表現するということは、つまり、相手とのコミュニケーション打ち切りの宣言でもあり、だからこそ、表現者は言い訳をしてはいけないんだ。 なぜか、湾岸スタジオでの松本人志さんの表情がうかんだ。松本さんの顔の表情、しぐ

                                      • 茂木健一郎 クオリア日記 : 日本のクリエィティヴにダメ出し。クリエイター

                                        Creativity Now 2005に参加するため、 原宿のラフォーレ・ミュージアムに行く。 始まる前に、文藝春秋の山田憲和さんと 打ち合わせ。 『クオリア降臨』の件。 ゲラの最終チェックと、 表紙のデザインについて確認する。 表紙は、かなりキックの効いた感じに なっており、 発売が楽しみである。 本番が始まり、 自分が司会をするセッション 3つが、宇川直宏さんが司会を するセッション1を挟んで進んで 行った。 最後のファッションのセッションで、 私はついに爆発してしまった。 徐々にたまっていったのである。 直接のきっかけは、ファッション雑誌を 巡る対話の中で「ざけるんじゃねえ」 となったことだが、 根本的な原因はもっと一般的で深いところに あった。 過度の一般化をするつもりはないが、 当日の会場の雰囲気を一言で言えば、 日本の「クリエーター」たちは、自分たち の世界を他者に対して語る言

                                        • 茂木健一郎 クオリア日記: 勉強法に悩んでいるみなさんへ (1)

                                          いよいよ受験シーズンも本格化してきました。今年受験する人たちは、そろそろ追い込みかもしれません。来年以降受験する人たちも、少しずつ緊張感が高まってきているかもしれません。 勉強が苦手だとか、成績が伸び悩んでいる人たちの中には、勉強法がわからずに苦しんでいる人たちもずいぶんといるのではないかと思います。 以下、小学高学年の子どもでもわかるように、できるわけわかりやすく「勉強法」を解説したいと思います。参考にしてください。 1、根拠のない自信をもって挑戦しよう。 勉強は、いやだな、苦手だなと思っている人がいるかもしれません。でも、そのような考え方は、本当は間違っています。勉強することは、脳にとって、一番うれしいことの一つなのです。 なぜならば、「学習」することで、世界について新しいことを知ったり、今まで気付いていなかったことに気付いたりすることは、とても深い脳の喜びにつながるからです。 最も深

                                          • 暁美ほむらの慟哭「紫色のクオリア」

                                            「まどかマギカの種本」と教えてもらって手にする。 本書は、真っ二つに割れている。前半は、「人間がロボットに見える少女」の話だし、後半は、「その少女の親友が彼女を救けようとあがく」話になる。なるほど、後半は、まどかマギカをホーフツとさせる設定が見え隠れする。 特に、どうやっても救えない助けられない瀕死で微笑む手遅れ状態のまどかに向かって銃口を向けながら「う゛ーーーっ!!」と叫んだ暁美ほむらの咆哮を、確かに共有できる。後半の主人公に移入して、あの、身を揉むような絶望をシンクロする。 ただ、誰かを助けること+「時」やり直すこと、たくさんの可能性をくり返し試し続けること……といった設定だと、湯水のように使われる設定になる。うる星とドラえもんとハルヒのゴッタ煮のなかに、アルフレッド・ベスターやシュレディンガー、哲学的ゾンビのネタが混ぜ込んである。書いた人、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」を泣

                                              暁美ほむらの慟哭「紫色のクオリア」
                                            • Amazon.co.jp: 紫色のクオリア (電撃文庫 う 1-24): うえお久光 (著), 綱島志朗 (イラスト): 本

                                                Amazon.co.jp: 紫色のクオリア (電撃文庫 う 1-24): うえお久光 (著), 綱島志朗 (イラスト): 本
                                              • 茂木健一郎 クオリア日記: いわゆる研究費「流用」の報道について

                                                今朝の朝日新聞に、阪大の研究室が550万円の研究費を「流用」したという記事が出ている。 まるで「風物詩」のように、時々このような記事が出る。その度に、私は二つのことを考える。日本の「官」 の杓子定規の駄目さ加減と、日本の新聞の浅薄さである。特に後者はジャーナリズムの名に値しない。 中には、真に悪質なケースもあるかもしれない。しかし、大抵の場合、研究費の「流用」として報じられるのは、日本の文部科学省、JSTなどの研究費が余りにも使い勝手が悪いことの副産物に過ぎない。 たとえば、秋葉原に行って、実験に必要な器具を臨機応変に現金で購入するということができない。「費目」というのが決められていて、異なる費目に使えない。研究というものは、流動的なもので、当初のもくろみとは異なることにお金を使う必要があることもある。むしろ、そのような研究の方が、ドラマティックな進展が見られることが多い。しかし、予算申請

                                                • 日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

                                                  日本はクオリアなる言葉が一般にも知られている奇妙な国だが、しかしその一般的なクオリア理解はもともとの哲学的なクオリア理解とはあまりに異なっていてとてもおかしい。日本でクオリアなんて用語が流行ったのは、小泉旋風真っ只中のポピュリズム時代でのある脳文化人Mの活躍のせいなのだが、未だにその後遺症はあちこちに残っている。それを正すのがこの論考の表向きの目的だ*1。 もうひとつの目的は、心の哲学における機能主義を正しく理解してもらうことだ。今でも機能主義は心の哲学どころか認知科学でも主流の立場だ。日本ではごく少数の例外を除くと心の哲学における機能主義がろくに受け入られておらず、まともな擁護どころかましな解説さえろくに見かけない。まともな解説も理解もされてないから、まともな批判がされているといえない。クオリア概念はもともと機能主義批判として現われたのだから、クオリア解説と機能主義解説をセットにするのは

                                                    日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
                                                  • 紫色のクオリア読書会とライトノベルの限界? な話 - Nth Library日記

                                                    先日のライトノベルサイト管理人連合ローカルリフレッシュコンベンション、 略してラ管連ロリコン! というふぁぼったーでは禁止ワードに指定されているようなイベントで、紫色のクオリアの読書会がありました。 紫色のクオリア (電撃文庫) 作者: うえお久光,綱島志朗出版社/メーカー: アスキーメディアワークス発売日: 2009/07/10メディア: 文庫購入: 101人 クリック: 2,229回この商品を含むブログ (306件) を見る結論としては、「紫色のクオリアはラブプラス」となったわけですが、 そこに至までには活発な意見の交換などがありました。 で、ちょっと考えたのは、紫色のクオリアの中で使われているワードが難しい、よくわかんない、 という話から発展して、ラノベでSFをやるにはこれが限界、という話。 例えば、量子論とか平行世界とか、そのあたりのワードが使われている訳ですが、 そのあたりって、

                                                      紫色のクオリア読書会とライトノベルの限界? な話 - Nth Library日記
                                                    • ITmedia アンカーデスク:【第14回】質感ってなんだろう? 〜クオリアの謎

                                                      今回は、科学じゃなくて映画の話から入っちゃうけど、筆者はこの1カ月ほどのあいだに、いわゆる夏の大作映画というやつを立て続けに何本か見たわけですよ。 「スパイダーマン3」、「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールズ・エンド」、「ファンタスティック・フォー 銀河の危機」などだ。ついでに言えば「トランスフォーマー」の長い予告編も見た。 これらはどれも、CG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使した特撮がウリなわけで、特に「パイレーツ・オブ・カリビアン」に出てくる幽霊船に乗った怪人たちを特殊メイクじゃなくてCGで表現しちゃったところとか、トランスフォーマーのロボットたちが街中で暴れるところとか、あまりにもリアルですばらしい。 ただし、ここまですごいCG映像っていうのは、そんなに多くない。今や、ありとあらゆる映画やTVでCGが使われてるけど、まあほとんどの場合は、「あー、CGだねえ」って思っちゃうレベ

                                                        ITmedia アンカーデスク:【第14回】質感ってなんだろう? 〜クオリアの謎
                                                      • 茂木健一郎 クオリア日記: 当事者として

                                                        当事者として 真剣に仕事をしようとしていたら、内田樹さんのツイッター上のつぶやきがタイムライン上に出現し、手が止まってしまった。 http://twitter.com/levinassien 「アルテスの鈴木くんが「怖い」話を紹介してくれていたので、読んですっかり考え込んでしまいました。その結論は・・・http://blog.tatsuru.com/というわけで、アルテスの本もいつ出るかわからなくなりました。バブルがこわいよう。」 リンク先の内田樹さんのブログには、ブックファースト店長の遠藤さんのこのようなコメントを含む記事が引用されていた。 (「一個人」サイトより、「ブックファースト・遠藤店長の心に残った本」というコラム) http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html _____ 池上彰「伝える力」 [2010年8月12日] いま書店界で一番

                                                        • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 「書く」

                                                          書く(1)『脳をやる気にさせるたった1つの習慣』(ビジネス社)は、「書く」ことの効用を巡る本である。先日取材を受けて、書くことの意味について話していて、いろいろなことを思い出した。 書く(2)書くというと、すでに脳の中にある情報が出てくるだけだと思いがちだが、そうではない。「書く」という文脈を設定することで、その場で情報が生成される。出てきたものが、自分にとっても驚きということはしばしばある。 書く(3)何を書いてわからないから書かない、というのが一番もったいない。書いてみれば、自分が何を書きたかったかがわかるはず。とにかく、手を動かすことが大切なのである。 書く(4)私が生涯の研究テーマである「クオリア」に出会ったのも、「書く」ことと関係していた。理化学研究所からの帰り、ノートにものすごい勢いでアイデアを書いているうちに、突然、電車の「がたんごとん」という音が質感として聞こえた。その日は

                                                          • 茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理

                                                            金曜日の夜。 どうも疲れていたらしく、 9時間くらいは眠った。 一度起きたのだけれども、 それから眠って、「時差スイッチ」 が入ってしまったらしい。 フジテレビで 『ベストハウス1、2、3』 の収録。 NHKで『プロフェッショナル 仕事の 流儀』の打ち合わせ。 須藤ユーリさんが 干したマンゴを「ほい」と くれる。 現在フィリピンに取材中で、 一時帰国したユーリさん。 「マンゴ」の複数形は、 「男は行く」というスペルに なることに初めて気付いた。 男ユーリ、ひとりフィリピンを行くのである。 竹内薫が、7月22日の日記で、amazonに載った自著の書評について嘆いている。 日本のネット文化において「匿名性」 が強いことについては、様々な 歴史的要因があるのだろう。 個人が言挙げしにくい文化風土、 俳句や短歌などの「雅号」、 巨大匿名掲示板の隆盛。 インターネットというと、 世界共通のように思う

                                                            • 紫色のクオリアから始まった「ライトノベルの限界」に関する誤解 - 平和の温故知新@はてな

                                                              紫色のクオリア読書会とライトノベルの限界? な話(Nth Library日記) 数日ネットから離れてたら気になるエントリがあったので。 議論してた人たちの間で認識のすり合わせは済んでいるようなので、個人的に思ったことなど書いてみます。 この話題のきっかけになった読書会には私も参加してたんですが、 要するに下記2点の主張があったという認識でした。 ライトノベルには限界がある ただしここでいう限界とは「商業的」な制約のこと。 (例「SF要素が強すぎると売れない」) ライトノベルには限界はない ただしここでいう限界とは「作品内容」についてのこと。 (例「特定レーベルから出てれば中身がなんであれライトノベル」 この二つ、両方にそれぞれ頷ける部分があるんですよね。 カテゴリエラーで売れずに打ち切られたり、別レーベルから再刊された作品もあれば、 ライトノベルと呼ばれるレーベルから出てるのに、ふだんラノ

                                                                紫色のクオリアから始まった「ライトノベルの限界」に関する誤解 - 平和の温故知新@はてな
                                                              • 茂木健一郎 クオリア日記: 「偏差値が低い」とされている大学の関係者のみなさんへ

                                                                まずは、人間の能力はペーパーテストで測れるものではない、ことを再確認しておくべきでしょう。 その上で、もし、日本の受験のあり方がすぐには変わらないのだとすれば、また、人々が、日本の教育の中で「洗脳」されて、「偏差値」という、奇妙な迷信を信じ続けるのだとすれば、その中で、予備校たちによって「偏差値が低い」と勝手に決めつけられた大学の関係者がとるべき「戦略」は、「そういうのうちは関係ない」と断固拒否することだと思います。 各予備校は、まことしやかな「偏差値表」のようなものを配って、それが各高校に掲載されているという実態があるわけですが、ます、そのような「偏差値表」に大学の名前が掲載されることを拒否してみてはいかがでしょう? また、実際に、入試においては、志願者の能力、資質、将来性、志願動機を総合的に判断して合否を判定しているため、各予備校が計算する「偏差値」などは、うちの入試には一切関係ないと

                                                                • 茂木健一郎 クオリア日記: 白魔術

                                                                  竹内薫の日記を読んで、イラン人の親子の 退去の問題について、何かコメント しようと思ったが、やめた。 竹内薫が、怒りを表明する。 わが親友に対する信頼が深まる。 最高裁判所、および件の法務大臣の判断は 私のコモン・センスと違う。 しかし、日本の法の実務家にはそもそも コモン・センスを尊重する風土がない。 それにしても、最近の政治状況はどうか。 小泉純一郎首相の時には、 インテリの間でも支持する声が 聞こえたが、 今の首相を支持する人は周囲には ほとんど見られない。 政権から 伝わってくるのは、弱者や少数者に 対する想像力ではなく、 傲慢さと無知と偏見のいやなグルーヴ だけである。 これでは、まともな感性を持った 人が離れていくのは当然だろう。 ボクは白魔術の人間でいたいと思う。 モーツァルトのように、あくまでも ポジティヴな感情、志向性を発して 行きたいと考える。 Steve Jobsのス

                                                                  • 茂木健一郎 クオリア日記: 市川海老蔵さんについて

                                                                    11月26日にこのブログに書いた日記を、入院中の市川海老蔵さんが読んで下さったらしい。 連日の報道については、いろいろと思うことがある。考えは全く変わっていないので、改めて、当日に書いた日記を再掲する。 これまで、忙し過ぎたんだから、これを「休む」良い機会だと思って、ゆっくりと治していただきたい。一日も早いご快復を祈る。海老蔵さんの笑顔を見るのを、みんな待っています! 「海で荒波にもまれている漁師が、数日間陸に上がる、そのような狭間」 歌舞伎役者というものが、いかに過酷な稼業であるか、なかなか想像できるものではない。 公演が始まれば、ほぼ一ヶ月、休みなしで演ずる。一番大変なのは、昼夜通し公演で、朝から晩まで、休みなしに台詞を吐き、舞台を飛び回り、見得を切らなくては行けない。 声を整え、体調を維持する。その努力は大変なものである。だから、本公演中は、市川海老蔵さんは文字通り劇場と家、あるいは

                                                                    • SF小説の視点のレイヤ、あと物語感覚の加速について - うえお久光『紫色のクオリア』 - 魔王14歳の幸福な電波

                                                                      背景 発売当初から、『紫色のクオリア』が凄い、という話は繰り返し聞いていました。だから、まず傑作なのだろう、とは思っていはいたのです。ただ、「傑作」程度の作品は年に何十作も生まれてくるし、過去を含めると膨大な数に上ります。その全てを読むのは土台無理なことなので、「傑作」だと聞くだけでは、特に食指は動きませんでした。 でも、しばらく様子を見ていると、どうも様子がおかしい。「傑作」は稀少ではありますが、それでも相当の数が世に出回っているのは間違いないです。ある傑作を堪能したら、次は新たな傑作を求めてさまよい歩く。それが、フィクションを悦びとする多くの人の習性です。ただ、そのわりには、『紫色のクオリア』はあまりに長いあいだ話題に上り続けていました。 夏頃に出版されてから、もう半年。それなのに、『紫色のクオリア』の話題は、いまだにちょくちょく見かけます。具体的にはid:kaienさんとこのチャット

                                                                        SF小説の視点のレイヤ、あと物語感覚の加速について - うえお久光『紫色のクオリア』 - 魔王14歳の幸福な電波
                                                                      • 茂木健一郎 クオリア日記: 歴史を忘れる者は

                                                                        羽生善治さんと対談する。 途中、柳川透が来た。 アメリカ行きの飛行機のチケットを 研究所に取りに立ち寄る時間がなくなって しまったので、 柳川に持ってきてもらったのである。 羽生さんの話が聞けるという「ボーナス」 付きである。 記憶の話が中心になった。 「羽生さんは、やはり谷川さんが最大のライバル という感じですか?」 「そうですね、何となく感性が合うというか、 他の人との間では起こらないようなことが 起こる、という感覚はあります」 「今までに、どれくらい指しているんですか?」 「そうですねえ、160局くらいでしょうか?」 「どんな感じで対局されているんですか?」 「今までにあったパターンは、二度と起こらないように 気をつけて打っているんだと思います」 「谷川さんと指した対局は、全て覚えて いるんですか?」 「それは、当然です。それで、前と同じパターン でやっているのでは、谷川さんと指して

                                                                        • 茂木健一郎 クオリア日記: 「10ドルになります」

                                                                          梅田望夫さんにお目にかかる。 山の上ホテルに向かって歩いていると、 「あっ、茂木さんが見えますよ。トラックの横」 と筑摩書房の増田健史が耳元でささやく。 ふりかえると、手を挙げる 男がいた。 たけちゃんマンの登場である。 梅田さんがちょうど部屋から出てきた。 「どうも、お久しぶりです。」 福田恭子さんはタケシのことを 「増田クン」と言う。 それがちょっと新鮮である。 しゃべり初めて2時間経った時、 福田さんが「そろそろいったん休みますか?」 と言った。 ボクと梅田さんは、ほとんど同時に 「いや、いいです。まだダイジョウブです」 と言って、 そのまましゃべり続けた。 終了後、たけちゃんマンが 「いやあ、茂木さん、今日は燃えてましたね」 と言った。 それで気付いた。ボクは、きっと、 ウェブの問題については かなり熱い思いを持っている。 インターネットが切り開いた、 誰でも知を得られるという状況

                                                                          • 第4章-2 生物がクオリアを獲得した理由 「受動意識仮説」で解く3つの謎

                                                                            人とロボットの秘密 ロボット工学を「究極の人間学」として問い直し、最前線の研究者にインタビューした書籍「人とロボットの秘密」(堀田純司著、講談社)を、連載形式で全文掲載します。 バックナンバー: まえがき 自分と同じものをつくりたい業(ごう) 第1章-1 哲学の子と科学の子 第1章-2 「アトムを実現する方法は1つしかない」 第2章-1 マジンガーZが熱い魂を宿すには 第2章-2 ロボットは考えているのか、いないのか 第2章-3 アンドロイドが問う「人間らしさ」 石黒浩教授 第3章-1 子どもはなぜ巨大ロボットが好きなのか ポスト「マジンガーZ」と非記号的知能 第3章-2 「親しみやすい」ロボットとは 記号論理の限界と芸術理論 中田亨博士の試み 第4章-1 「意識は機械で再現できる」 前野教授の「受動意識仮説」 ←前回「第4章-1 「意識は機械で再現できる」 前野教授の「受動意識仮説」」へ

                                                                              第4章-2 生物がクオリアを獲得した理由 「受動意識仮説」で解く3つの謎
                                                                            • 茂木健一郎 クオリア日記: 脱・就活―朝日新聞社説について

                                                                              2010年9月19日付の朝日新聞社説で、新卒一括採用の問題が取り上げられました。(ツイッター上で、私に教えて下さった方、ありがとう)。 日本の新聞社のwebは、いつ記事が消えるかわからないので、ここにまずは全文引用します。 引用元:http://bit.ly/aKT7XO ___________ 脱・就活―「新卒一括」を変えよう 若者の悲鳴が、毎週のように投書欄に載る。「就職が決まらない。この言葉が明けても暮れても心の中に住みついて離れない」「内定が取れないと、学内でも負け組扱い。就職するために大学に入ったんじゃない」 大学生の就職活動は、3年生の秋が来る前から本格化している。既にいくつかのインターンシップを終え、これから企業のセミナーや説明会シーズンだ。冬はエントリーシートをせっせと埋め、春をまたいで面接を繰り返す。 就活という長距離レースに、大学教育は大きく侵食されている。 企業は採用

                                                                              • 茂木健一郎 クオリア日記: アメリカの大学の入試制度について

                                                                                このところ、アメリカの大学の入試制度について、いろいろ面白いことというか、知らなかったことを知るに至った。 TEDx TokyoをオーガナイズしているPartick Newellから聞いた話は、Harvard大学の入試について。 東京に住むパトリックの友人は、日本の高校生の志願者をいろいろとインタビューし、ハーバードに合格させる権限を持っているのだという。 その彼が、残念ながら日本の高校生にはハーバードが求めるような(英語で)自分の考えを述べて、議論できるような人がいなくて、ごく少数しか合格させられないのだと嘆いているのだという。 そして昨日。TEDx Tokyoの会場で、Azby Brownに会った。金沢工業大学で、田森佳秀の同僚だという。 AzbyはYale大学の卒業生で、Azbyもまた、日本の志願者をインタビューし、Yaleにレポートを送って合格させる仕事をしている。 そのAzbyが

                                                                                • 果たして「他者」はどこにいるのか? ――『シュタゲ』と『クオリア』 - 鳥籠ノ砂

                                                                                  『シュタインズ・ゲート』は、その物語から『紫色のクオリア』と比べられることが多い。どちらも、大切な人が死んでしまったために、主人公がタイムリープを繰り返してその人を救おうとする点が共通している。『シュタゲ』ならば岡部倫太郎が椎名まゆりを、『クオリア』ならばマナブがゆかりを、それぞれ助けようとする。 ところで、しばしば『シュタゲ』よりも『クオリア』の方がテーマ的に優れているという批評が存在する。すなわち、前者には「他者」がいないが、後者にはその「他者」がいる、ということらしい。ここでの「他者」とは、たんなる他人ではなく、なにか主人公とは異なる主体性を持った者のようだ。 具体的に見てみよう。『シュタゲ』は椎名まゆりを助けようとする際、彼女の気持ちを重視していないという。この作品では、まゆりの命を救えば、一方でもう一人のヒロインである牧瀬紅莉栖が死ぬことになっている。どちらを生かし、どちらを殺す

                                                                                    果たして「他者」はどこにいるのか? ――『シュタゲ』と『クオリア』 - 鳥籠ノ砂