「3、2、1、発火」 カウントダウンが終わると同時に、海面が白く沸き立ち、いきなり高さ100メートルもの水柱が上がった。 轟音(ごうおん)が響き渡り、約500メートル離れた海上自衛隊の掃海艇も大きく揺れた。 本州と九州に挟まれた関門海峡付近で14日に行われた、戦時中の機雷の爆破処理。午前と午後の2回に分けて実施され、無事に終了すると、海上自衛隊第43掃海隊司令の伊藤晃・3等海佐は「確実に処理することができた」と話した。 「飢餓作戦」の名残り 関門海峡は、日本の海上交通の要衝。こうした爆破処理が行われたのは9年ぶりだ。 米軍は太平洋戦争末期の1945年3~8月、日本の物流のまひを狙う「飢餓作戦」として、関門海峡周辺に大量の機雷を投下した。海自下関基地隊(山口県下関市)によると、その数は約5千個とされる。 日本全国に敷設された米軍の機雷は約1万2千個といわれており、その半数近くがこの海域に集中