並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 112件

新着順 人気順

教養主義の検索結果1 - 40 件 / 112件

  • 【追記あり】教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具だろ

    文化資本ガチ勢がガチ勢同士でつるむためのチケットでしかないだろ。くだらねえよ。意味ねえじゃん。 教養なんてあっても幸せになんてなれないし、むしろ邪魔まであるだろ。 自分で言うのもなんだが、俺にはかなりの教養がある。つまりお前に意見をするチケットがある。こんな話は反吐が出るから詳しくは言わないが、文系、理系、文化、芸術などなど、どの点をとっても俺の教養パワーにはほとんど隙がない。なぜ隙が無いのか?文化資本に恵まれているからだ。 どうして俺が反吐を出しつつも、こうして自分に教養があることを声高に主張するのかというと、教養のあるみなさん(笑)は教養の無い人の意見を聞いてくれないからだ。 教養のある皆さんにもよく考えてほしいんだが、教養のある奴が、教養のある故に幸福になっているところを見たことがあるか? 無いよな。 教養があって幸福なやつは、持ち前の向学心によって身についた職業に関する専門的な知識

      【追記あり】教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具だろ
    • あまり読まない人が古典だけを読むのは最高に面白くて効率がいいと思う理由を長々と解説する|山下泰平

      そういう人ではあるけれど、日常生活を送る上で実用的かつ頻繁に活用している考え方は100冊分くらいかなと思う。 それは習得した資格などではなく、もっと抽象的なもので、個別の事例に対処するというよりは、もう少し普遍的でだいたいの場所で使うことができる。例えば「技術は知識で生れるものだから、これをするためにあれを学んでおこう」だとか、「これはなにも生み出さないものだけど、美しいから知っておこう」だとか、そういった感じである。 ものすごく役立つというわけではないけれど、仕事や日常生活のそこかしこで、そういった考え方を使っていて、広くて長い目で見ると正しい決断をするために活用できていると思う。 私が多用している情報、あるいは考え方のほとんどは古典から学んだものだ。もちろん他ジャンルの考え方も使ってはいるが、割合としては3割くらいだろうか、とにかく大昔に古典を乱読しておいて良かったとは思っている。 そ

        あまり読まない人が古典だけを読むのは最高に面白くて効率がいいと思う理由を長々と解説する|山下泰平
      • おすすめ新書リスト200|高見温| On Takami

        とりあえず読んで良かった新書を羅列していきます。人文系に偏っているのは、性格上仕方がないのでご理解ください。とりあえず質うんぬんは大学院から考えて、インプット型の読書は量に限ります。 岩波新書・マイケル・ローゼン『尊厳』 ・スティーブン・グリーンブラット『暴君』 ・原武史『平成の終焉』『昭和天皇』 ・赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』 ・山田隆司『名誉毀損』 ・岡本薫『著作権の考え方』 ・川島武宣『日本人の法意識』 ・諸富徹『グローバル・タックス』 ・枝廣淳子『地元経済を創りなおす』 ・渡邊泉『会計学の誕生』 ・志賀櫻『タックス・イーター』『タックス・ヘイブン』 ・宇沢弘文『経済学の考え方』 ・高島善哉『アダム・スミス』 ・菊地暁『民俗学入門』 ・山出保『まちづくり都市金沢』『金沢を歩く』 ・井戸まさえ『日本の無戸籍者』 ・栗原俊雄『勲章 知られざる素顔』 ・山田登世子『贅沢の条件

          おすすめ新書リスト200|高見温| On Takami
        • J-POPが新聞を殺した - 森の掟

          紙の新聞を読む人が減り続けている 日本新聞協会のデータによると、この20年で新聞の発行部数は3分の2になった。 20年前は一家に一紙かそれ以上とってたのに、今や新聞をとっている家は約半数。 新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ|日本新聞協会 確かに、電車の中で新聞を読んでる人がもう全然いないよね。 世間話の入り口として「新聞で読んだんだけどさ」っていうのもなくなったし。 電車の中ではみんなスマホ見てるし、世間話の入り口はSNSやネットニュース。 今や紙の新聞はニュースソースじゃなく包装紙としての役割にシフトしつつある。 新聞紙 1束(15kg) 【引越・荷造の包装材・緩衝材として】 メディア: おそらく若い世代が購読しなくなったので、既存の読者である高齢者が亡くなるたびに新聞の部数が減っていってるんだろう。 もうかなり前から、新聞広告は定年退職後の豪華客船クルーズとか、いつまでも若々し

            J-POPが新聞を殺した - 森の掟
          • マンガを買うという行為が結構難しい

            日常的にマンガを読む人は感じないだろうけど、マンガを買うという行為は結構ハードルが高い。 最近経験したので書いておく。 マンガの単行本というのを今まで買ったことが無かった。いや、AKIRAは買ったが大分前だ。 一方、無料で公開されてるWEBマンガは結構読んでいて漫画太郎や『アンテン様の腹の中』とか、漫画家の病気体験記とか楽しく読ませてもらっていた。 そこで虚構新聞を見るたびに広告が出て気になっていた『無能の鷹』のリンクをクリックしてAmazonで買ってみた。 めっちゃおもろいやんけ。美人で身のこなしもさまになっていて如何にも仕事が出来そうな女性社員が実はポンコツで仕事も出来ず仕事の話も出来ずに話にならない。 でもその天然ボケなのに威厳がある立ち振る舞いによってポジティブに勘違いされ組織としての仕事はうまい方に転がるって話だ。 主人公の鷹野爪子が三浦瑠璃に似ている。 次に以前かなり人気があっ

              マンガを買うという行為が結構難しい
            • サブカルチャーと冷笑|雑誌『広告』

              テキストユニット TVOD 『広告』文化特集号イベントレポート 去る5月15日、下北沢の書店「本屋B&B」にて『広告』文化特集号の発売記念のトークイベントを開催しました。テーマは「サブカルチャーと冷笑」。2010年代以降、SNSでの政治的や社会的な活動の盛り上がりとともに、たびたび話題となった「冷笑」というキーワード。ここ数十年における「サブカル」的な感性のなかで醸成されたものとも言われる冷笑的態度は、どのように生まれ、どこへ向かうのか。文化特集号で「120 SNS以降のサブカルチャーと政治」の記事を寄稿いただいたテキストユニットTVODのコメカ氏とパンス氏をゲストに迎え、『広告』編集長の小野も交えながら語り合ったイベントの模様をお届けいたします。 現代における「冷笑」とは何か小野:最初に、なぜ本日のテーマが「サブカルチャーと冷笑」となったのか。そこからお話しいただいてもいいですか。 コメ

                サブカルチャーと冷笑|雑誌『広告』
              • 2022年下半期に読んで面白かった本5選 - 本しゃぶり

                2022年が終わった。 だから読んで面白かった本を紹介する。 【目次】 2022年下半期に読んだ本 『防災アプリ 特務機関NERV』 『mRNAワクチンの衝撃 コロナ制圧と医療の未来』 『「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる』 『ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ』 『Anthro Vision 人類学的思考で視るビジネスと世界』 終わりに 2022年上半期に読んで面白かった本 2022年下半期に読んだ本 去年は4月まで引っ張ることになったが、今年はさっさと書いてしまおう。俺は反省して対策を講じる人間なので。 2022年下半期に読み終えた本は52冊。上半期も52冊だったので、安定したペースで読めたと言える。年間で104冊は目標通りだ。 2022年の読了数 この52冊の中から特に良かった5冊を紹介しよう。 『防災アプリ 特務機関NERV』 防災アプリ 特務機関NERV 作

                  2022年下半期に読んで面白かった本5選 - 本しゃぶり
                • 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

                  学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか? 2020.10.07 Updated by Yoichiro Murakami on October 7, 2020, 17:47 pm JST 日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、「学問の自由の侵害」と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は「現在の」日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。 日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後

                    学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?
                  • 06_文系不要論の系譜学──「二つの文化論争」から見えるもの|光文社新書

                    人文学の源流を訪ねて 前回私は、日本学術会議問題という時事的問題から、人文学叩きの問題、そして「役に立つ」学問と教育をめぐる問題を論じた。本連載で一貫して論じてきたところではあるが、そこで明らかになったのは、人文学批判、そして人文学を「役に立たない」学問にカテゴライズして葬り去ろうとする動きの文脈には、新自由主義の緊縮財政があり、また緊縮財政を背景とした大学内部での「政治」(人文学を担う旧教養課程が「狩り場」となったことなど)が存在したことだった。 学問が「役に立つ/役に立たない」こと、そして人文学が役に立たない学問の代表として扱われていることには、確かに現代の新自由主義特有の論理があるだろう。しかし、「役に立つ/立たない」という問題設定と人文学の位置づけは、まったく新しいものとは言えない。ほぼ近代の人文学の始まりから存在してきたのではないだろうか。 今回は、一旦現在の日本から離れて、「文

                      06_文系不要論の系譜学──「二つの文化論争」から見えるもの|光文社新書
                    • なぜ「趣味」が社会学の問題となるのか――『社会にとって趣味とは何か』編著者・北田暁大氏インタビュー【後篇】|Web河出

                      いよいよ発売の、北田暁大+解体研[編著]『社会にとって趣味とは何か』。一見わかりにくいタイトルの本書は、いったいどんな書物なのか。北田暁大さんに訊いてみた。前篇・後篇、2回に分けてお届けする。 (前篇はこちら) :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 3◇「差異化の論理」との向かい合い方 ――本書のように趣味を捉えると、従来のサブカルチャー論などとどのように違ってくるのでしょう? 北田■たとえば、『神話解体』が出される以前の80年代~90年代初頭の文化論って、ものすごく記号論的、というか、他者との差異を示す記号として趣味を捉えるという志向性が強かったと思うんです。商品や消費対象である文化的生産物の「内実」の序列ではなく、横並びの記号化された商品・生産物の、記号的な差異を示すことに強い意味がみいだされる。ファッション、モードが一番良く採りあげられてい

                        なぜ「趣味」が社会学の問題となるのか――『社会にとって趣味とは何か』編著者・北田暁大氏インタビュー【後篇】|Web河出
                      • SNSにおける教養は「人を殴るための棒」...民衆に殺される時代に「ジャーナリズムの未来」はあるのか?

                        『アステイオン』1986年の創刊号から、初期の原稿をたどり「ああ、寄稿者の多くがご逝去されていて、本当によかった」と思ってしまった。あの方々がいま生きていらしたら、誰か一人くらいは民衆に殺されていただろう。 普段、イエロー・ジャーナリズムで日銭を稼いで暮らしている私だが、たまに堅気の文も書く。ちょうど数日前に初稿をあげたのは、日本の「弱者男性」に関する特集で、日本人の3人に1人は、障害や貧困などに苦しめられる、弱者男性によって占められているという話であった。 つまり、男性の過半数は何らかのハンデを背負って生きているという推計である。そんな彼らが、当時の好景気に後押しされた教養主義にあふれる創刊号を目にしたら、革命の狼煙があがったやもしれぬ。 2号には袴田茂樹氏の「『知識人群島』ソ連」が掲載されており、そこにはロシアの民衆へ、同情的な言葉が並ぶ。 「『不足経済』の状況下では、商品や物的環境は

                          SNSにおける教養は「人を殴るための棒」...民衆に殺される時代に「ジャーナリズムの未来」はあるのか?
                        • 『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』批判

                          10月16日付け朝日新聞の書評欄に標記の本(中村文孝・小田光雄著、論創社, 2022年8月刊)の書評が出た(https://book.asahi.com/article/14744652)。「とんでもない本を手にとってしまった」で始まる記事の書き手はサンキュータツオという人である。これを要約しておこう。 図書館の数は1970年代からの半世紀で4倍近くになったのに対して、書店は、1990年代以降減り続けている。年間の書籍販売部数よりも図書館の個人貸出冊数の方が多くなった。本の購入はアマゾンをはじめとするネット購入と「公営無料貸本屋」である図書館が代行するようになった。こうなった理由が、図書館流通センター(TRC)のMARCの利便性にあるが、図書館が自らの存在意義を再定義し損ねた部分もあり、それによって職員は嘱託で済ませ専門性を育めることもない。おしゃれで新刊雑誌や書籍をお茶を飲みながら読める

                          • 「風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつ」で思い出す筒井康隆 - 紙屋研究所

                            www.kaiseisha.co.jp これを読んで当然この箇所に目がいく。 風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつのだと思います。 そこにこの記事。 m-dojo.hatenadiary.com 筒井康隆の風刺・パロディ論争を思い出す(「笑いの理由」/筒井『やつあたり文化論』、新潮文庫所収)。 最近「差別語」論争について振り返る機会があって久々に読み返していたために、記憶に残るところがあったのだ。 やつあたり文化論(新潮文庫) 作者:筒井 康隆 新潮社 Amazon 筒井は風刺とパロディを区別して、パロディにおいて「原典の本質を理解していない」という批判を厳しく批判する。 なぜかというと、原典の本質を衝いているというだけでは創造性に乏しいことがあきらかで、ある程度以上の文学的価値は望めない。そこで途中から原典をはなれ、その作品独自の世界を追求したり、自分の主張をきわ立た

                              「風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつ」で思い出す筒井康隆 - 紙屋研究所
                            • 映画を観ていて新鮮な感情を抱く事がなくなってきた。 ガキの頃にスターウ..

                              映画を観ていて新鮮な感情を抱く事がなくなってきた。 ガキの頃にスターウォーズやマトリックス観た時の「かっけぇ……」って気持ちがある訳でもない。 テーマが琴線に触れる作品もあるけど、それも目から鱗が落ちるような体験というよりは自分が大切にしているものを改めて確認するに留まっているような気がする。 惰性で観てる感がある。 それでもSNS見てるよりは楽しいかもしれない。 いやどうなんだろう、配信で観てるとすぐスマホポチポチ始めちゃうし。 この間映画館でゴジラ観た時は中々かっこいいじゃんと思ったけど、それもなんかプリミティブな感性が揺さぶられる感じではない。 映画館のフカフカの椅子とデカいスクリーンと迫力ある音響で怪獣映画の代表格シリーズを観る贅沢、的な楽しみ方をしている。 それこそ、例えば純粋にデザインが好きなだけじゃなく「あのブランドの服を着ている自分」だとか「あの有名人と同じ服を着ている自分

                                映画を観ていて新鮮な感情を抱く事がなくなってきた。 ガキの頃にスターウ..
                              • 海外文学入門者に贈る海外文学の買い方、選び方、探し方【基礎編】 - ウラジーミルの微笑

                                もうすぐ絶滅するというリアルの書店に寄せて(上) この記事は、海外文学の世界を渉猟するためのガイドマップとなることを目指している。 前編として海外文学にまつわる基本情報を、後編として各出版社/各種レーベルの解説記事を載せている。なお、この記事の末尾には執筆の動機を示した前書きを置いている。 なぜ海外文学か 最初に、なぜ日本語で書かれた作品がこれほど沢山存在しているのに、敢えて外国語で書かれた作品を偏愛するのかを述べておこう。 一つ目の理由は、それが知的好奇心を満たしてくれるからである。特に、馴染みの薄い国の文化・歴史を知ることができる点は、間違いなく海外文学の楽しみの一つに数えられるだろう。歴史好きか、あるいは外国文化に興味がある人であれば、ハマれる要素は十分にある。私はヒキコモリの出不精で旅行は嫌いだが、紙と想像の次元で世界中を飛び回るのは大好きである。 もう一つの理由は、端的に作品のレ

                                  海外文学入門者に贈る海外文学の買い方、選び方、探し方【基礎編】 - ウラジーミルの微笑
                                • 「教養」についての雑感 - ねずみのすもう

                                  現代ほど「教養」という言葉がときに称揚され、時にpgrされている時代はないのではないか。 ときは明治大正・旧制高校のエリート教育華やかなりし頃、「教養」はステイタスであった。学生は古今東西の著書を読み漁り、ちょっとイイ感じになった婦女子を「Mädchen」と呼び、森鴎外の「雁」でみるようにいきなり「Silentium!」と叫ぶなどドイツ語、ラテン語にも通じていた。あるいは通じている風が良しとされた。ドイツ浪漫派や、時代が下ってトーマス・マン、ヘッセあたりの大河小説を読破することが人格の陶冶につながるとされ、そうした雰囲気のもと過ごした人々はいずれ有為の人材としてしかるべき待遇を与えられた(らしい。わたしの生まれる半世紀以上前の話なのでよく知らないが)。 こういう、古今東西の古典や語学に通じることが知的人種の証でありカッコイイという風潮は、戦後の1970年頃の学生運動まで続くこととなる。実際

                                    「教養」についての雑感 - ねずみのすもう
                                  • 【書評】『地下出版のメディア史』表と裏を越境することで人文知は更新されるか

                                    【書評】『地下出版のメディア史 エロ・グロ、珍書屋、教養主義』/大尾侑子・著/慶應義塾大学出版会/4950円 【評者】大塚英志(まんが原作者) 梅原北明と聞けば、ぼくより上の世代はにやりとするだろうが、本書は八九年生まれの著者によって書かれ、その学術的意義や研究書としての細部への目配りには別の誰かが評価すればいいが、近頃、気になるのはこの研究のことを言うわけでないが、かつての「在野」で自明のことであった人や領域や事象がアカデミズムにあたかも新しいことのように「発見」される傾向だ。そして、それがあたかも従来の硬直したアカデミズムの更新に寄与するようにしばしば語られる。 ぼくの世代の印象であれば、梅原北明やカストリ雑誌は、総会屋雑誌あたりで屈折しまくった左派だか右派だかわけのわからない人々が熱心に論じていた対象で、その上に得体の知れない「在野の」などと穏当に形容のしようのない怪物じみた蒐集家が

                                      【書評】『地下出版のメディア史』表と裏を越境することで人文知は更新されるか
                                    • 日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳

                                      コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

                                        日本で「教養主義」が失われた2つの納得する訳
                                      • 完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑

                                        輝く時間を分けあった あの日を胸に今日も生きている 2017年7月13日に最初の一冊を読んで、約5年半もかかったこの企画。途中に『失われた時を求めて』を再読したり、ナボコフ・コレクションを読んだり、まるっきり初心者から1年かけて将棋の段位を取得したり、さんざん寄り道をしてようやく完結をした。1記事5000字として、42作品*121万字。原稿用紙500枚分だから、厚めの文庫本1冊分は書き散らかしたことになる。 既に、第1集、第2集、第3集とそれぞれの総括記事を挙げているので、各作品の短評等はそちらをご参照いただきたい。 これとは別に今回は総まとめとして、いくつかの観点から本全集を眺めなおし、最後に本全集の企画全体に対する感想を述べて締めくくりとしたい。 面白かった作品3選 最初は、記事としては一番面白みのない「面白かった作品」から。何が面白くないって、セレクトがあまりにベタで、我ながら恥ずか

                                          完読総評! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 全冊 - ウラジーミルの微笑
                                        • ついに日本語化されたもはや伝説のアドベンチャーゲーム『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』レビュー

                                          編注:本レビューは小説家でもある藤田祥平氏の脳内会話を言語化した一風変わったレビューとなっており、内容はわかりづらいかもしれない。しかしその結果、あなたは本作のストーリーの核心(……あるのだろうか)触れないまま、本作の雰囲気を存分に体験することができる。またゲームプレイの内容は存外わかりやすく書かれているため、肉体装置がネタバレ警報を出さない場合は一読をおすすめする。 インターネット上のランダムな文章―― 『ディスコ エリジウム』だ。このタイトルを片仮名で書けるのは、嬉しい。日本語訳の発表まで、三年かかった。そのあいだにわたしたちの世界は疫病に侵され、500万の命が喪われ、欧州の東で戦争が始まった。たしかに、いい頃合いなのかもしれない。現実といういまいましい世界を忘れ、べつの世界にどっぷりとはまるのに。 本作はテキストを主体としたアドベンチャーである。英語で発表された原文のワード数は、10

                                            ついに日本語化されたもはや伝説のアドベンチャーゲーム『ディスコ エリジウム ザ ファイナル カット』レビュー
                                          • 国立国会図書館デジタルコレクションで調べるコツ - 山下泰平の趣味の方法

                                            国立国会図書館デジタルコレクションで過去の文化を効率的に調べる方法はありますかと質問されたので書いてみました。 この記事ではバンカラを題材にして調べる方法を紹介します。 難しいことは書いてなくて、 まとめられている本があればそれを読む 検索する単語を選ぶ ヒット件数を増やしたり減らしたりする 調べながら新たに検索できる単語を見付ける くらいのことしか書いてありません。 既存の本を読む 検索してみる (近代の文化に限っては)時代はあまり関係ない 同じジャンルを百冊読むのは難しくない 全文検索する 周辺知識は必要だけど 既存の本を読む 当たり前の話で申し訳ないんだけど、すでに調べた人の本を読むのが効率が良い。バンカラなら、横田順彌さんのものが有名だと思う。 快絶壮遊〔天狗倶楽部〕: 明治バンカラ交遊録 (ハヤカワ文庫JA) 作者:横田 順彌早川書房Amazon 本の選び方については、「ちゃんと

                                              国立国会図書館デジタルコレクションで調べるコツ - 山下泰平の趣味の方法
                                            • kemofure on Twitter: "山本弘さんが評論「扉を開けて、目を開けて」で、山形浩生さんが「新教養主義宣言」で、筒井康隆さんが「文学部唯野教授」で、批判したタイプの言説そのものなんですが、これをSFファンが揃って褒め称えているというのは、物凄い後退なのでは..… https://t.co/4ZKj8dBePV"

                                              山本弘さんが評論「扉を開けて、目を開けて」で、山形浩生さんが「新教養主義宣言」で、筒井康隆さんが「文学部唯野教授」で、批判したタイプの言説そのものなんですが、これをSFファンが揃って褒め称えているというのは、物凄い後退なのでは..… https://t.co/4ZKj8dBePV

                                                kemofure on Twitter: "山本弘さんが評論「扉を開けて、目を開けて」で、山形浩生さんが「新教養主義宣言」で、筒井康隆さんが「文学部唯野教授」で、批判したタイプの言説そのものなんですが、これをSFファンが揃って褒め称えているというのは、物凄い後退なのでは..… https://t.co/4ZKj8dBePV"
                                              • 【素面のダブリン市民】第1回 プロローグ(北村紗衣)|書肆侃侃房 web侃づめ

                                                皆さんこんにちは。今日から『素面のダブリン市民』の連載を始めることになりました、北村紗衣です。ふだんはシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史を研究している他、映画批評なども書いています。書肆侃侃房からは『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を2019年に刊行し、もとになったウェブサイトwezzyの連載の一部もWeb侃づめのアーカイブにありますので、興味がある方は見て頂けますと幸いです。 『素面のダブリン市民』では、私が1年間、サバティカルで滞在することになったアイルランドのダブリンでの出来事を毎月ゆるくお話する予定です。1年間お付き合い頂けますと幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。 サバティカルって何? さて、まず上の文章で出てきた「サバティカル」って何?という方も多いと思います。大学で働いたことのない方には全く馴染みのない言葉だと思います。まずはこちらから説明します。 サバティ

                                                  【素面のダブリン市民】第1回 プロローグ(北村紗衣)|書肆侃侃房 web侃づめ
                                                • 第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

                                                  著者: 輪島裕介 2022年にデビュー60周年を迎えた北島三郎。日本の演歌界をリードしてきた不世出の歌手の名前と、「函館の女」「与作」「まつり」といった代表曲を知らぬ人はいないでしょう。しかし、そのキャリアや音楽的功績について、どれだけの人が正しく認識しているでしょうか――。著書『創られた「日本の心」神話』で、演歌というジャンルの“起源”に鋭く斬り込んだ音楽学者が、「北島三郎とは何者か」という壮大な問いに挑みます。 音楽学者、北島三郎に挑む これから北島三郎について論じる。 いうまでもなく北島三郎は、現在日本で活動する演歌歌手のなかでおそらく最も有名な、そして圧倒的に「大御所」感が漂う歌手といえる。レコードデビューは1962年なので、今年2022年に60周年を迎える。1960年代の「なみだ船」「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」、さらに70年代後半の「与作」など多くの有名曲を持ち、東映の任

                                                    第1回 俺がやらなきゃ誰がやる | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
                                                  • [書評] ケマル・アタチュルク (小笠原弘幸): 極東ブログ

                                                    中公新書の新刊とされている『ケマル・アタチュルク』の表紙を見たとき、ほんの数秒だが、私にはちょっとした混乱があった。「あれ?改版したのかな」と勘違いしたのである。「ケマル・アタチュルク」という表題のインパクトが強く、その上部に記されている著者の小笠原弘幸氏の名前にふとした失念があった。が、すぐに、「ああ、『オスマン帝国』の小笠原さんか」と思い出しつつ、本書を開いた。 冒頭、「トルコ共和国の首都、アンカラ。その丘のひとつに建立された、巨大な廟がある。」と読むや、私も見た、壮大なアタチュルク廟の思い出が蘇った。 本書を見たときの、この、自分の、わずかだが、混乱の理由は、「すでに中公新書には大島直政氏の『ケマル・パシャ伝』があるではないか?」と連想したからである。勘違いである。それは新潮選書であり、大島直政氏の中公新書の書籍は『遠くて近い国 トルコ』である。この新書は1968年の刊と古く、先の新

                                                    • 学校図書館は何のためにあるのか? - 内田樹の研究室

                                                      こんにちは、今ご紹介いただきました内田でございます。こうやって見回すと、みなさんまだ顔真っ白なのに、講師一人が顔真っ黒に日焼けしておりまして(笑)、誠に申し訳ない。みなさんはまだおそらくギリギリまで学校あって、遊びに行っている暇なんかないと思うんですけど、僕は海水浴に行ってまいりまして、3日間、京丹後。海がきれいなんです。 僕は凱風館という道場をやっているんですけども、毎年凱風館海の家というのをやっておりまして、旅館一棟貸し切りにするんです。10人以上滞在したら一棟貸し切れにしてくれる。そこでみんなで泳いだりご飯食べたりお酒飲んだりおしゃべりしたりということをやってるんです。 武道の道場なんですけれども、作った時のコンセプトは「昭和の会社みたいなもの」です。僕の子どものころ、昭和20年代30年代ぐらいの日本の会社って終身雇用で年功序列だったんで、疑似家族的で穏やかな雰囲気だったんです。いろ

                                                      • かわりのものを用意できないのであれば止めないほうがいいとは思うけど - 山下泰平の趣味の方法

                                                        かわりのものを用意できないのであれば、止めないほうがいいというのが最近考えていることで、少し前に大学生が週刊漫画雑誌(マガジンだったと思う)を、電車の中で読むことが問題視された時代があった。なぜ問題なのかというと、基本的に学んでいる若者(15歳くらいより上の子供)は、難しい本を読むべきだと考えられていたからである。こういった考え方は教養主義と呼ばれていた。 教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書) 作者:竹内洋中央公論新社Amazon 太平洋戦争が終って、市民が本屋に殺到し様々な本を購入した(発禁処分を受けていた共産主義関連の本を……っていうバージョンもあった記憶がある)みたいなエピソードがあるんだけど、これも教養主義があったから起きた(あるいは作られた)現象であろう。 教養主義なんてものは、今となっては知らない人もいるのだろう。私自身は教養主義にわりと影響を受けていて、岩

                                                          かわりのものを用意できないのであれば止めないほうがいいとは思うけど - 山下泰平の趣味の方法
                                                        • 現在地からオブジェクト指向プログラミングを捉えなおす、リ・オリエンテーション【OCC2024基調講演レポート】

                                                          AI時代の開発にオブジェクト指向は必要か、現代の開発における「オブジェクト指向プログラミング」とは何か──。3月24日に開催されたObject-Oriented Conference 2024で「オブジェクト指向のリ・オリエンテーション〜歴史を振り返り、AI時代に向きなおる〜」と題して羽生田 栄一氏が基調講演を行った。 「オブジェクト」とは? Alan Kayより、3つのメッセージ 講演冒頭、羽生田氏は「リ・オリエンテーション」と題した本セッションの意図を、以下のように説明した。 株式会社 豆蔵 取締役 羽生田栄一氏 「一つは『オブジェクト指向ってこんなもんだよ』というオリエンテーションをするということ。もう一つは、そうは言っても『AI時代にオブジェクト指向いらないんじゃないの』という声もあるので、単純にオブジェクト指向にどういう方向性があり得るのか『向き直る』という意味をかけています」

                                                            現在地からオブジェクト指向プログラミングを捉えなおす、リ・オリエンテーション【OCC2024基調講演レポート】
                                                          • 若林 宣 on Twitter: "「民族主義=民族自決主義は左側のロジック」 教養主義の衰退や国立大学「改革」などについて、いろいろと考えさせられる文言だな。 https://t.co/cTbpTvWjDG"

                                                            「民族主義=民族自決主義は左側のロジック」 教養主義の衰退や国立大学「改革」などについて、いろいろと考えさせられる文言だな。 https://t.co/cTbpTvWjDG

                                                              若林 宣 on Twitter: "「民族主義=民族自決主義は左側のロジック」 教養主義の衰退や国立大学「改革」などについて、いろいろと考えさせられる文言だな。 https://t.co/cTbpTvWjDG"
                                                            • 来客を威嚇するため、ニーチェなどを置いていた友人...そんな彼の本棚に”上巻と下巻しかない”ハイデガー『存在と時間』を見つけた話

                                                              zgkzw @zgkzw 父の時代にはまだ大学に「古典を読んでいるとカッコいい」という教養主義の風潮が残っていて、家に来た友人を威嚇するために本棚にニーチェなどを置いていたらしいんだけど、友達の家の本棚にはいつもど真ん中に岩波文庫のハイデガー『存在と時間』の上巻と下巻が並べてあって、中巻が抜けていたという 2020-07-10 13:53:25 zgkzw @zgkzw 高校倫理になじめなかったけれど哲学史にもう一度ふれてみたいという方は飲茶( @yamcha789)著『史上最強の哲学入門』がダントツでおすすめです。西洋編と東洋編があります。平易に噛み砕かれていますが、それぞれの思想家の視座や問題意識が忠実に再現されていると感じます amazon.co.jp/dp/4309414133/… 2020-07-07 17:02:18

                                                                来客を威嚇するため、ニーチェなどを置いていた友人...そんな彼の本棚に”上巻と下巻しかない”ハイデガー『存在と時間』を見つけた話
                                                              • はてなの空気って変わったよね?

                                                                新型コロナウィルスの流行で家で過ごす時間が長くなったので、暇を持て余して学生の時以来15年ぶりくらいに長時間はてなに入り浸っている。相変わらず、リアルの職場や友人とは話さないであろうネタが多くていい気分転換になるのだが、気になったのが、「全体的に話題が浅く内向きになった?」感だ。あまり上手く説明できないので箇条書きにするとこんな感じ。 ・海外情勢の記事減ったよね?2000年代半ばだとシリコンバレーの文化や流行みたいなの記事が結構あったような。梅田望夫氏とか人気だったよね?今だと中国のIT企業の裏側とかのネタもっとあってもいいと思うけど、俺の観測範囲では見ていない。 ・経済の話題が出なくなったよな?経済だと昔はリフレ派の主義主張を結構見た記憶が。最近だとMMTの話題や各国の中央銀行のコロナの経済対策とかの話題がありそうでない。 ・科学技術もそうで、惑星探査機はやぶさに、地球シミュレータ、PS

                                                                  はてなの空気って変わったよね?
                                                                • 柳樂光隆が語る、専門性の大切さ アーティストの微細な違いを知る | Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA

                                                                  サンダーキャット、フライング・ロータス、ソランジュやジェイコブ・コリアー、果てはロックバンド、Alabama Shakesのフロントマン、ブリタニー・ハワードまでもが、ジャズのネットワークの中で音を鳴らしている――音楽評論家の柳樂光隆が監修したムック『Jazz The New Chapter 6』は、そう語っている。上記したミュージシャンの多くが近年の『グラミー賞』受賞者であること(しかも多部門にまたがっていること)を踏まえれば、ジャズをとりまく宇宙を考えることは、そのまま今の音楽を考えることにつながるだろう。 「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」を謳った、2014年の衝撃的な『Jazz The New Chapter』シリーズ開始から早6年。本シリーズを世に送り出してきた柳樂に、話を聞いた。もう一度、耳を世界に開くために。 音楽に関するテキストで、最も多く触れてきたのはライ

                                                                    柳樂光隆が語る、専門性の大切さ アーティストの微細な違いを知る | Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA
                                                                  • 司馬遼太郎人気を支えた「大衆歴史ブーム」はなぜ生まれたのか?福間良明『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』 - 明晰夢工房

                                                                    司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義 (中公新書 2720) 作者:福間 良明 中央公論新社 Amazon 「司馬さんの書かれるものは日本外史とでも呼ぶべき種類の史書ではあるまいか」とは、有吉佐和子の『坂の上の雲』評だ。このように、司馬遼太郎作品はたんなる歴史小説の枠をこえ、一種の教養本として読まれている。司馬作品は物語中にしばしば「余談」がさしはさまれ、そこでは司馬の政治や軍事、世論などへの見解が自在に語られる。こうした特徴は吉川英治や山岡荘八といった、それまでの歴史作家の作品にはないもので、読者の歴史への知的関心をかきたてるものだった。なぜ司馬の「歴史教養本」は時代に求められたのか。『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』によれば、司馬作品の人気を支えていたのは、昭和50年代に起きた「大衆歴史ブーム」だという。 昭和50年代に司馬作品を愛読していたのはおもに中年男性だが、かれらは教養主

                                                                      司馬遼太郎人気を支えた「大衆歴史ブーム」はなぜ生まれたのか?福間良明『司馬遼太郎の時代 歴史と大衆教養主義』 - 明晰夢工房
                                                                    • 本とは繰り返して読める本のことである

                                                                      最近、本を読むことについての論が時々掲載されている。 そのなかでも、雨宮紫苑さんの4月13日の「「頭を使わなくてもいい本」がどんどん増えている気がする」という稿にはいろいろと考えさせられた。 以下、それに触発されて考えたことを少し書いてみたい。 雨宮さんは、「本をよむ」というのは、⦅著者の知識や経験を知ることで何かの気づきが得られる》とか、《小説やエッセイや詩集を読んで、作者の作った世界に浸る》ことなのだと自分では思っているが、最近、単なるネットの記事を集めただけの本であるとか、まったく平板なマンガやライトノベルのようなものがどんどん増えてきているのをみて、これはちょっと困った事態なのではないかということを述べられている。 以下書くことは基本的にその論に沿うものとなっていくと思うが、微妙に異なるとところもでてくると思う。 まず自分のことを紹介しておくと、来年、後期高齢者入りする人間で、マン

                                                                        本とは繰り返して読める本のことである
                                                                      • 進学できなかった数学の得意な少年が、農作業の傍ら数のことを考え続けた、話(有名なあのエピソード・資料) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                                        この記事からの続きというかスピンオフというか。 m-dojo.hatenadiary.com 「教養」とか「学問」にまつわる有名な話です。 呉智英は宮崎市定が直接知っている数学者の体験談、としている。 宮崎の本も、読んだときにこの記述が出てきて、あーあの話か―、と思った記憶があるから、記述の存在自体は間違いないところだとは思うけど、だいぶ前だったので細部の文章は覚えてない。 ただ、呉智英はちょっと膨らませてというか 描写を細かくして、また宮崎が余談として扱ったものに 強いスポットライトを浴びせたので、こちら経由で有名になった部分もあるかもしれない。 このブログではすでに何度か紹介している話だけど 「教養」関連の話題&「しばしば引用される話題の資料」として、ここに独立させて置いておこう。 …宮崎市定という学者がいる…(略)‥‥宮崎の知っているある数学者の話だ。 この数学者は、また誠実な教育者

                                                                          進学できなかった数学の得意な少年が、農作業の傍ら数のことを考え続けた、話(有名なあのエピソード・資料) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                                        • 調べる場所を広げる方法、あるいは学びたいことの見付け方 - 山下泰平の趣味の方法

                                                                          私はずっと調べている 最近は独学や大人の学びといったものが流行している。軽く検索した範囲だと、なにを独学すればいいのか分からない人は、プログラミングや英語を選ぶことが多いらしい。それはそれでいいんだけれど、別のものを調べたくなったり、学びたくなったりできるようになっておくと、選択肢が増えて便利だと思う。 私はというと明治の娯楽文化を調べはじめて、だいたい20年くらいたった。一時的に中断したりはあるけれど、ずっと同じようなことを続けている。飽きずに同じことができているのは、調べる場所を広げるコツを身に付けたからだ。 具体的になにをどうしていうのかというと面と点を意識しているだけの話でしかない。これは別に難しい技術ではなく、誰でもできることだと思う。 私のやり方が他の人に役立つかどうかは分からないが、なにかを調べたい学びたいっていう時に、こういう方法もあると知っておくと多少の参考くらいにはなる

                                                                            調べる場所を広げる方法、あるいは学びたいことの見付け方 - 山下泰平の趣味の方法
                                                                          • やってみたいことリストをやってみた結果 - こけし日記

                                                                            kokeshiwabuki.hatenablog.com 早々にもういいかとなった やりたいことに制約が多くてそんなにできない 一個やると満足度が高い 備忘録の代わりになっていた それでもリストを作る理由 自己肯定感につながる どうしてやりたいことリストが自己肯定につながるのか やってみたいことリストを生かすために やってみたいことリストに囚われない 自分の幸せを自覚する 早々にもういいかとなった 年始に前から興味があったやってみたいことリストを作った。 12月にコロナウイルスに罹患して、2月まであまり出歩けなくて、回復してきた2月中旬からいろいろやってみたのだけど、3つか4つくらいやった時点で、もういいかなという気持ちになってしまった。飽きたというより、満足したという感じ。 早すぎる・・・。 やりたいことに制約が多くてそんなにできない 理由はいろいろあると思うんだけど、「やりたいこと」の

                                                                              やってみたいことリストをやってみた結果 - こけし日記
                                                                            • 「小学校卒の学歴」だからではない…田中角栄が毛沢東から"無教養"を皮肉られた本当の原因 「28個の漢字」で作った自作の漢詩だったのに…

                                                                              中国とはどんな国なのか。著者である紀実作家の安田峰俊さんは「日本には古典中国を現代的な学問手法で研究する『中国学(シナ学)』の伝統が戦前から存在する。ただ、シナ学的な知見からの現代中国の分析は、戦争に利用されたことでながらくタブー視されてきた。ただ、こうした知識は中国との外交やビジネスを成功させるためにも欠かせないものだ」という。ライターの西谷格さんが聞いた――。(後編/全2回) 「漢文不要論」こそ不要である ――中国社会では、日本人が思っている以上に歴史や古典といった教養が重んじられるようですね。 一定以上の知識レベルの人は、会話の途中にしばしば「中国にはこういう言い回しがある」と言って古事成語や古典、歴史の知識を持ち出してきたりします。日本も昭和の頃まではそうでしたが、政治家でも経営者でも、リーダーたる者は十分な教養を備えるべきという教養主義が中国ではなお健在です。 いっぽうで日本です

                                                                                「小学校卒の学歴」だからではない…田中角栄が毛沢東から"無教養"を皮肉られた本当の原因 「28個の漢字」で作った自作の漢詩だったのに…
                                                                              • なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか

                                                                                堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。 淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。 山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京セ

                                                                                  なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか
                                                                                • 中曽根康弘の遺言「歴史認識、憲法改正……言い残しておきたいこと」【特別公開】|文藝春秋digital

                                                                                  11月29日朝、中曽根康弘元首相が亡くなりました。101歳でした。中曽根氏は1918年、群馬県生まれ。東大卒業後、旧内務省に入り、海軍主計少佐を経て、1947年に衆院に初当選。防衛大臣、通産大臣、自民党幹事長を歴任後、1982年に第71代内閣総理大臣に就任しました。中曽根政権は、戦後5番目に長い政権です。ロナルド・レーガン米大統領とは「ロン・ヤス」と呼び合う関係で、日米関係の良好化に貢献したことで知られています。 そんな中曽根氏が、『文藝春秋』(2015年9月号)で「大勲位の遺言」と題する文章を発表し、若者たちへのメッセージを残していました。今回、その全文を特別公開いたします。 中曽根氏のご冥福をお祈りいたします。日本人としての誇りや責任をどう考えるか まもなく70年目の終戦の日を迎える。70年前の8月15日、私は海軍主計大尉として香川県高松で玉音放送を聞いた。電波の状況が悪く、雑音も多い

                                                                                    中曽根康弘の遺言「歴史認識、憲法改正……言い残しておきたいこと」【特別公開】|文藝春秋digital