<どうも今次(こんじ)の新体制に対する演芸界の連中にはこの種のゆきすぎが、まことに少なくないようである>。寄席芸能研究家の正岡容(いるる)が随筆に苦々しく書き残している。太平洋戦争開戦の前年、東京の落語家らが自ら「禁演落語」を制定し、上演を封印した▲すでに戦時体制であり、芸能も「べからずべからず」の自粛を求められていた。約500の演目から時局にふさわしくないとして選んだのは、遊郭や浮気などを扱った53演目。言うなれば、お上へのそんたくだ▲なかには今もよく演じられる「明烏(あけがらす)」「居残り佐平次」「紙入れ」といった名作が含まれていた。正岡によると、当局は改訂してできるものは適当にやりなさい、という反応だったとか。「ゆきすぎ」との苦言はもっともだろう▲開戦の年の10月30日、封印の証しとして建立された「はなし塚」が除幕された。東京・浅草にほど近い本法(ほんぽう)寺に今も建つ。碑の裏面に刻