江戸時代を代表する画家の一人、堀江友声(1802~1873)は、写生にもとづき鮮やかな色を使って、花や鳥などをきめ細かく描きました。 友声は、現在の島根県雲南市に生まれました。小さい頃から絵を描くことが大好きな子で、15歳の時、京都へ行き、日本の画家集団の中でも最も大きな狩野派や、京都で大きな勢力だった四条派の写生を重視した絵を学びます。 10代から20代と、絵を描くために各地を歩いた後、1830年に再び京都を訪れ、頼まれて約1年間ほど、安土桃山時代から続く絵の名門、海北家の養子になります。京都の画家集団の中において高い評価を受けていました。 公家の養女が、第13代将軍であった徳川家定に嫁ぐ際の贈り物を描く名誉も授かっています。 その後、京都府の北部、日本三景の天橋立で有名な宮津城下で数年を過ごし、数多くの作品を世に残しました。 宮津藩から藩士として待遇したいとの話が出るほどだったのですが