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美学に関するquasimoto_sanのブックマーク (56)

  • bigakukenkyujo.jp

  • 感性 - Wikipedia

    感性(かんせい)は、人間の持つ知覚的な能力のひとつである。 概説[編集] 感性とは、美や善などの評価判断に関する印象の内包的な意味を知覚する能力と言える。これは非言語的、無意識的、直感的なものであり、例えば何らかの音楽に違和感を覚えるように人間に作用することもある。感性についての研究は古くは美学や認識論、また認知心理学や芸術学などで行われてきたものであり、歴史的には19世紀に心理学者・フェヒナーが黄金比についての実験美学研究にその起源を求めることもできる。 定義[編集] 感性の定義は哲学的、心理学的にさまざまに行われている。認識論では悟性の対極にあって受動的な知覚を担うものであり、また、人間的な理性よりも下位にあるために、より動物的なものだと論じられることもある。近代ドイツの哲学者カントが『純粋理性批判』にて「悟性的な認識の基盤を構成する感覚的直感表象を受容する能力」と言ったが、この場合の

  • John Hyman「芸術の理論における写実主義と相対主義」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    http://philpapers.org/rec/HYMRAR http://www.queens.ox.ac.uk/academics/hyman/files/realism_and_relativism.pdf Hyman, John (2004). Realism and relativism in the theory of art. Proceedings of the Aristotelian Society 105 (1):25–53. 写実性を自然への類似として理解するような素朴な写実主義観を否定し、グッドマンの「写実性とは私たちが慣れ親しんだ慣習にすぎない」という相対主義も否定しつつ、どちらでもない写実性の定義を探りましょうという論文かな。美術史上の例を豊富にあげている。 しかしなんでこの論文Schier[1986]とかLopes[1995]とかに言及しないんだろう。

    John Hyman「芸術の理論における写実主義と相対主義」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • Abell, Bantinaki編『描写の哲学的視座』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Philosophical Perspectives on Depiction (Mind Association Occasional) 描写depictionの哲学についてのアンソロジー。とりあえずイントロダクションだけ。 1. 描写のプロジェクト 1.1 アプローチの用語法 1.2 さらなる制限ー適切さの基準standard of correctness 1.3 適切さの基準の認識的含意 1.4 適切さの基準の美的含意 2. 図像の経験 2.1 内に見ることseeing-inの質 2.2 内に見ることの射程 2.3 屈折inflectionとミメーシスのパズル 3. 図像知覚ー哲学的含意 3.1 図像知覚のメカニズム 3.2 図像知覚の内容 3.3 図像知覚の機能 結論 描写depictionの問題は、図像一般に関わる問題であり、描写の哲学を美学の下位分野にするのは、言語哲学を文学

    Abell, Bantinaki編『描写の哲学的視座』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
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  • 「美学」の喪失 室井尚 - garage-sale

    「美学」の喪失─<芸術>の死後どこに行くのか? (このファイルは、2005年3月26日に、東京大学郷キャンパスで開かれた美学会東部会で口頭発表したものの草稿です。自分では大変面白いものだと自信があるのですが、誰も「美学」に掲載させて欲しいと言ってこないので、ここに載せることにしました。) 前置き、あるいは美学の喪失 去る2月2日に吉岡健二郎先生が亡くなられた。密葬だったのでまだ知らない方もおられるかもしれない。私が京都大学文学部美学美術史学研究室に入った時の主任教授である。1975年のことだった。もう1つ、一昨日の3月二24日、私は満50歳になった。身体は全然元気だし頭の中身もさほど成長しきっていないのだが、それでもこれまで半世紀も生きて来たと思うと、やはりやや回顧的な気持ちにはなる。この2つの出来事に遭遇したことが、今日の美学会で「美学」そのものについて話をしてみようと思ったきっかけで

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  • 12/8(日)、ポピュラー音楽学会のワークショップで音楽の存在論の話をします。 - 昆虫亀

    12/7(土)-8(日)、関西学院大学で開催される、ポピュラー音楽学会でシンポに登壇します。 http://jaspm25.wiki.fc2.com/ 出るのはワークショップAです。 音楽の存在論において「録音物」というカテゴリーをどのように捉えられるべきか、録音物の出現によって作品概念はどのように変わるのか、といったところがテーマになっております。 ワークショップ 12月8日(日) 14:00〜17:00 ワークショップA G号館3階301 ポピュラー音楽の美学と存在論(2):今井論文をめぐるオープン・ディスカッション 問題提起者:増田聡(大阪市立大学;コーディネーター) 問題提起者:今井晋(東京大学大学院) 討論者:森功次(日学術振興会特別研究員/山形大学) 司会:谷口文和(京都精華大学) ポピュラー音楽学会では去年もこのテーマでワークショップが行われてまして、Ustreamもされて

    12/8(日)、ポピュラー音楽学会のワークショップで音楽の存在論の話をします。 - 昆虫亀
  • エリオット『伝統と個人の才能』 - 日本式論

    エリオット(Thomas Stearns Eliot, 1888~1965)は、イギリスの詩人であり、劇作家であり、文芸批評家でもあります。エリオットが1919年に出版した『伝統と個人の才能(Tradition and the Individual Talent)』を見ていきます。 ※ 『伝統と個人の才能』は、岩波文庫の『文芸批評論』に収録されています。 第一節 伝統 まず伝統について、エリオットは、〈伝統を相続することはできない。それを望むならば、たいへんな労力を払って手に入れなければならない〉と述べています。その上で、〈伝統はまず第一に、二十五歳をすぎても詩人たることをつづけたい人なら誰にでもまあ欠くべからざるものといってよい歴史的意識を含んでいる〉と語られています。 歴史的意識については、〈この歴史的意識は一時的なものに対する意識であり、永続的なものに対する意識であり、また一時的なも

  • 芸術学研究室│美学芸術学論集

  • 悲しい音楽はロマンチックな感情ももたらす | 理化学研究所

    ポイント 音楽家でなくとも、誰でも悲しい音楽を聴くとき快の感情も体験することを示す 芸術場面で体験する悲しみは、日常場面で体験する悲しみと異なる 芸術鑑賞場面での悲しみを理解するために、「代理感情」の概念を新しく提案 要旨 理化学研究所(理研、野依良治理事長)と東京藝術大学(宮田亮平学長)は、悲しい音楽は悲しみだけでなくロマンチックな感情をも聴き手にもたらし、また、その作用が音楽経験の有無に関係なく引き起こされることを実証しました。この成果は、「聴いた音楽を悲しい音楽と判断すること」と「音楽を聴いて実際に悲しみを体験すること」が別であることを示しており、なぜ私たちが悲しい音楽をあえて聴くのか、について考える重要な手がかりとなります。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)情動情報連携研究チームの岡ノ谷一夫チームリーダー、川上愛ジュニアリサーチアソシエイト(現客員研究員、JS

    quasimoto_san
    quasimoto_san 2013/06/12
    ホラー映画や絶叫マシンも似たような話聞いたことあるな。
  • 『分析美学入門』解説エントリ2、分析美学とは何か、その二 - 昆虫亀

    『分析美学入門』解説記事、その2です。 今回は前回の続きとして、分析美学の60年代以降の発展をざっと(ほんとにざっと)書いていこうと思います。 60年代以降、分析美学は様々なトピックで議論を発展させていきますが、なかでも大きな発展をみせたのは、「芸術の定義」についての議論でした。これは64年のダントーの論文「アートワールド」が、ひとつの契機として挙げられます。(そこに至るまでの細かい流れもあるのですが、そのへんは『分析美学入門』の第五章を読むべし。) 私の見るところ、この芸術の定義の議論が発展したひとつの重要な要素は、芸術の価値についての議論と「芸術」というカテゴリーについての議論をちゃんと分ける、という姿勢が美学者たちの間でしっかり共有されたことだと思います。ダントーやディッキーは「価値が低い芸術作品も芸術ですよ」という考え方をしっかり保ちながら、芸術の定義を練り上げていきました*1 ま

    『分析美学入門』解説エントリ2、分析美学とは何か、その二 - 昆虫亀
    quasimoto_san
    quasimoto_san 2013/06/07
    “芸術の価値についての議論と「芸術」というカテゴリーについての議論をちゃんと分ける”
  • 美術館・アート情報 artscape

    Musicologie Générale et Semiologie, Jean-Jacques Nattiez 1987年にフランスで刊行された『Musicologie Générale et Semiologie』(原題『一般音楽学と記号学』)の日語訳で、1996年に初版、2005年に新装版として復刊。書は、序論で記号学の理論が概説された後、第1部の音楽の基礎概念にかんする考察、第2部の音楽的言説の分析、第3部の音楽の各パラメータの記号学的分析という構成である。音楽記号学の起源をさかのぼると、1971年の『ムジーク・アン・ジュー』第5号所収のナティエによる論文「音楽記号学の状況」から始まったと言われる。その背景には、かつて西洋中心主義の価値観の下で比較音楽学と呼ばれた民族音楽学が言語学文化人類学、民俗学、社会学などに接近し、文化相対主義的な新しい流れをつくったことが大きく関与して

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  • 『分析美学入門』解説エントリ1、分析美学とは何か、その一 - 昆虫亀

    『分析美学入門』解説エントリです。 今日から気分が乗ったら、ちょこちょこと書いていくことにします。 まずは「分析美学」という言葉について、解説しておこうと思います。 訳者あとがきにはつぎのように書きました。 原書のタイトルは直訳すれば「美学と芸術哲学」であるが、日では英語圏の美学を指す言葉として「分析美学」という言い方がよく用いられているので、訳書のタイトルも『分析美学入門』とした。まずはこの呼称について、いくつか述べておこう。 書であつかわれているのは、厳密にいえば、「分析哲学の伝統を受け継ぎつつ主に英語圏で行われている美学」である。タイトルに「分析美学」という語を用いたものの、じつは最近ではanalytical aestheticsという語はあまり用いられなくなってきている。これには理由がいくつかある。ひとつには、「分析的哲学」「大陸系哲学」という区分けが近年見直されつつある、と

    『分析美学入門』解説エントリ1、分析美学とは何か、その一 - 昆虫亀
  • 芸術における「完成」など - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    横尾忠則全ポスター 作者:横尾 忠則国書刊行会Amazon 任期の切れた朝日新聞の書評委員だけれど、役得といえばがたくさんもらえて読めることとお弁当に加えて、えらい委員たちの雑談が聞ける、というのがあった。 で、ある日、横尾忠則がたいへん憤っていた。仕掛かりのまま手放した作品があって、それがある美術館に展示されているんだけれど、そろそろそれを完成させたいと思ってその美術館に連絡したら、そんなことをされては困ると言われたんだって。美術館としては、その状態の作品としてお金を払って購入したんだし、それを改変するのはダメというわけ。 憤るといっても別に激怒ではなく、委員会席上のお笑い半分として横尾さんが披露した話しで、聞いていたぼくたちも、わっはっは、それは融通が利かないですねえ、と笑っておしまいだったんだが、いまやっている別の仕事でふとこの話を思い出したことですよ。 これは何なんだ、所有権の問

    芸術における「完成」など - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 日本記号学会ウェブサイト JASS WEB

  • 美学を一から勉強するひとのために:文献リスト - 昆虫亀

    先日、「美学を一から勉強しようとするひとは何読めばいいですか?」って聞かれました。 これまでは「美学研究者なら誰に聞いても同じような答え返ってくるんじゃね?」と思ってて、わざわざ参考文献リスト作ってなかったのですが、昨日amazonで「美学」で検索したら中井正一の『美学入門』とか出てきたんで、やっぱ公の場に出しといたほうがいいかな、と。 では以下、わたしのオススメです。 ちなみに、日語文献です。 英米系分析美学の入門書については、以前書いたので、こちらを見てください⇒★。 はい。 とりあえず、最初はこれ読んで下さい。 西村清和『現代アートの哲学』 まぁ教科書として書かれてますので、読みやすいですし、素朴な日常的関心から専門的な議論への持って行き方が上手いので、読んでて面白いと思います。 練習問題もついてるし、ちゃんと自分で考えたいひとにはオススメ。 読みやすいという点では、これも良いで

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  • NELSON GOODMAN『Languages of Art』(『芸術の諸言語』または『芸術の言語たち』)のちいさなメモ - フシギにステキな素早いヤバさ

    シノハラユウキさん([twitter:@sakstyle])、tricken([twitter:@tricken])さん、つっとんさんを中心にはじめたネルソン・グッドマンの読書会がひとまずは終わった。 あとは超文学フリマに向けて筑波批評というサークルでなんらかをやろうと準備している。 なお、超ボーマス、超文フリ、M3では『ボカロクリティーク』のさしあたっての最終号が出る。 http://vocalo-critique.blogspot.jp また、『フミカ』関連の同人誌も準備中なのでどうぞよろしくデス(凸守)。 Languages of Art 作者:Goodman, NelsonHackett Pub Co IncAmazon 結局、このはなんだったのかということは気がのれば他日書きたいが、今日はリンクを記録するためにパソコンのキーボードをやさしくたたいている。 かんたんに さて、グッ

    NELSON GOODMAN『Languages of Art』(『芸術の諸言語』または『芸術の言語たち』)のちいさなメモ - フシギにステキな素早いヤバさ
  • ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit

    昨日の勉強会で話題にのぼったのでまとめておきます。 ダントーの有名なアートワールド論文は、前半部分、つまり、芸術の定義にかかわる「アートワールド」概念や、芸術作品の同一性や解釈にかかわる不可識別性の議論ばかり取り上げられる印象があるけど、実は後半部分のほうがおもろいんやで、という話。 Arthur C. Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy 61 (1964): 571-584. 扱うのは4節です。3節までで芸術作品を可能にしているのは理論なのだーという主張をくどくどしたあとに、ダントーはそのような理論が実際に作品やその経験にどのようなしかたで関係するのかについてわりと唐突に議論しはじめます。 ダントーはまず「種類Kに関連ある述語」(K-relevant predicates)という概念を導入する。これは「Kに属する諸対象に、意味

    ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit
  • 文化と社会のパラドクスについて――明治時代の「美術」問題から - みちくさのみち(旧)

    芸術は誰のものなのか。みんなのものなのか、あるいは見る人が見て分かれば良いものなのか。マルクス主義なら使用価値に対する交換価値としてこれを論じるだろうし、文化人類学なら生存財に対する威信財としてこれを論じるだろう。そのパラドックスは、私が愛してやまない『ギャラリーフェイク』第一話のモネのつみわらの話に集約的に表現されている。 ギャラリーフェイク(1) (ビッグコミックス) 作者: 細野不二彦出版社/メーカー: 小学館発売日: 2012/09/25メディア: Kindle版 クリック: 9回この商品を含むブログ (7件) を見る 何故急にこんなことを考えついたのかというと、最近、芸術は社会に役立つべきか、とか、あるいはモラルに著しく反する芸術は許容されるべきか、とかいう話題を立て続けに見たからである*1。 ここで時事的な問題をあれこれ批評する趣味は全くないし、当事者の人たちがしかるべく対応さ

    文化と社会のパラドクスについて――明治時代の「美術」問題から - みちくさのみち(旧)