ミドハト・パシャ(Ahmed Şefik Midhat Paşa, 1822年10月18日 - 1884年5月8日)は、オスマン帝国の政治家。第一次立憲制(1876年 - 1878年)樹立時に大宰相(首相)として重要な役割を果たした。オスマン帝国をアジアの国とするならアジア地域で最初の憲法であるオスマン帝国憲法はミドハト・パシャが起草したものであることから、通称をミドハト憲法という。 オスマン帝国の首都イスタンブールでカーディー(法官)の子として生まれ、はじめ名をアフメト・シェフィクといった。1834年に書記官僚の見習として大宰相府に入り、名をミドハトと改める。1840年に18歳で正規の書記として官界に進み、地方勤務を重ねながら順調に昇進、若くして有力な官僚となった。30代の頃には大宰相ムスタファ・レシト・パシャの勧めでロンドン、パリへとヨーロッパ視察旅行に派遣され、1864年には地方統治