歴史と日本に関するroseknightのブックマーク (177)

  • わび・さび・幽玄:伝統的な日本の美意識はいかにして形成されたのか?

    「わび・さび・幽玄」は、日文化のエッセンスだと考えられている。和歌、能、茶道、俳諧などを通じて、こうした伝統的な美意識が形成されてきたと私たちは思いがちだ。しかし、これらの言葉が日の美意識を示す3点セットになっていくのは、東京五輪や大阪万博の時期になってからのことだ。日美のクリシェ(常套句、じょうとうく)はどのようにして生まれたのか。 海外の日文化研究者に「日美の質とは何か」と問われることがよくある。そんな時、日の伝統文化を貫く美意識を伝える便利な言葉がある。「わび・さび・幽玄」である。もっと別の要素があることは十分に承知しているのだが、そう答えると自分でも妙に納得してしまう。まるで魔法のような言葉だ。それでいて、「わび」と「さび」はどう違うのか、「幽玄」とは何かと問われると、途端に困ってしまうのだ。 それにしても、「わび・さび・幽玄」こそが「日的なるもの」と考えられるよう

    わび・さび・幽玄:伝統的な日本の美意識はいかにして形成されたのか?
    roseknight
    roseknight 2023/11/09
    不完全さへの意識に基づく「侘び」と内面的な豊かさを表す「寂び」は、己の在り方を見つめ直す概念ではないか。「幽玄」は異文化との接触の中で生まれた美的原理だろう。他者との交流が独特性の基なのかも知れない。
  • 【終戦の日特別企画】日本に全ての責任を背負わせようとする米国を論破した...日本陸軍最高の天才。終戦直後、自ら戦犯に名乗り出たその真意とは...?

    エモル図書館〜時々、エビル図書館〜では、世界中の恐怖ストーリーから、時空を超えた凄惨歴史ストーリー、さらに感動ストーリーまで…幅広いテーマで漫画動画を作っていきます。・仕事の問い合わせはこちらへ!emoru.library@gmail.com各SNSX(旧Twitter)https://twitter.com/e...

    【終戦の日特別企画】日本に全ての責任を背負わせようとする米国を論破した...日本陸軍最高の天才。終戦直後、自ら戦犯に名乗り出たその真意とは...?
    roseknight
    roseknight 2023/08/16
    宿命を背負い、民間人殺戮でトルーマンを責めた石原莞爾将軍。戦勝国に正論をぶつけたことが凄い。彼は責任の在り方をどう捉えたのか?諦念か居直りの二択しかない日本にとって、彼の思想はなお輝きを失っていない。
  • 【終戦記念日】なぜ日本は破滅的な戦いに挑んでしまったのか? | 歴史人

    第二次世界大戦は日にとって悲劇的な大敗を喫した歴史に語り継ぐべき戦争となった。この破滅的な戦いを日はなぜ回避できなかったのだろうか? 戦後78年が経っても議論を呼ぶ大戦のはじまりを解説する。 ■アメリカによる石油の全面禁輸で開戦を決意 国際社会から孤立する日が、アメリカとの対立を決定的としたのは、日独伊3国同盟の締結であった。 日独は昭和11年11月25日に防共協定を締結していた。これはソ連を主な対象とした共産主義の封じ込め政策であったが、この防共協定を軍事同盟に発展させる構想が第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣のときに浮上した。3国同盟問題は続く平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣でも引き続き討議されたが、この時、米内光政(よないみつまさ)海相をはじめ海軍首脳は徹底して同盟締結に反対した。ヒトラー政権下のドイツやムッソリーニのイタリアと手を組むことは、米英との戦争につながると考え

    roseknight
    roseknight 2023/08/15
    日独伊三国同盟の頃から、日本は国家としての展望を見失っていたのかも知れない。国際政治をドイツに翻弄されて、その場の辻褄合わせに追われた昭和日本。米英という「本当の敵」に会えたことが唯一の興奮か?
  • NHK大河ドラマはあまりに史実と違う…信長が家臣から次々と謀反を起こされた本当の理由 「暴虐で独りよがり」という人物像は間違っている

    織田信長とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「傍若無人なイメージがあるが、史実をみると決してそんなことはない。一度仲間になった相手は徹底的に信用していた。ドラマで描かれたような、自分しか信じない人物ではない」という――。 歴史への誤解を広めている「どうする家康」 主役である以上、徳川家康がそれなりに美化されるのは仕方ない。織田信長が家康の引き立て役として描かれ、ダークサイドが強調されても、ある程度は許容されると思う。これら歴史上の巨人が、これまでと違う描き方をされること自体が、安易に否定されるべきではない。 とはいえ、脚家が思い描く家康像や信長像をドラマで鮮明にし、見せ場を作るまではいいが、あきらかに史実と認定されていることや、すでに学問上の定説になっていることまで無視するとなると、話は別である。NHK大河ドラマは、歴史ドラマとして楽しんでいる視聴者が多い以上、史実や定説

    NHK大河ドラマはあまりに史実と違う…信長が家臣から次々と謀反を起こされた本当の理由 「暴虐で独りよがり」という人物像は間違っている
    roseknight
    roseknight 2023/07/29
    織田信長が人を信じやすくて、裏切りの件を慰留してきたことは意外だった。一方で、人を徹底的に利用する程の大局観を持った徳川家康。理想主義と現実主義の衝突が天下の分け目だったのかも知れない。
  • 葉月(8月): 八朔・富岡八幡宮例大祭・中秋の名月・放生会

    は古来、春夏秋冬の季節ごとに大衆参加型のイベントが各地で行われてきた。これらを総じて「年中行事」と呼ぶ。宗教・農耕の儀礼を起源とする催事から、5月5日端午や7月7日七夕などの節句まで、1〜12月まで毎月数多くのイベントがあり、今も日社会に息づいている。シリーズではそうした年中行事の成り立ちや意義などを、文化の成熟を示す例として紹介していく。 幕府の創立記念日・八朔 毎月1日を朔日(さくじつ)という。なかでも8月1日は、1590(天正18)年同日に徳川家康が江戸に入府したということもあり、幕府が祝日としていた。これが八朔(はっさく)だ。 豊臣秀吉が、小田原の北条氏を半年に及ぶ長期戦で屈服させたのが、天正18年7月。秀吉はすぐに配下の武将たちの領国を再編し、徳川家康にも国替えを命じた。家康が新たに与えられたのが、武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総と、下野と常陸の一部。その中から家康が拠

    葉月(8月): 八朔・富岡八幡宮例大祭・中秋の名月・放生会
    roseknight
    roseknight 2023/07/29
    八朔における白色は節供や鎌倉公方に由来するのだろうか。八幡宮の祭礼にあった「祭禮」の幟は庶民にとって縁起がいいものか?月見舟と放生会は神話に関係する行事なのかも知れない。八幡宮文化の謎は深いだろう。
  • 《特別寄稿》「日本文化は、他と比べるものがない」=日本人絶賛したレヴィ=ストロース=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子 - 南米の鼓動をキャッチ! ブラジル日報

    《特別寄稿》「日文化は、他と比べるものがない」=日人絶賛したレヴィ=ストロース=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子 2005年、レヴィ=ストロース(UNESCO/Michel Ravassard, via Wikimedia Commons) 人間を脅かす禍は、自らの根源を忘れてしまうこと 「日、日人、そしてその文化とは何ですか」。世界最大のブラジル日系移民社会で、この問いを向けられるとハタッと戸惑ってしまう。ここで生まれ育った次世代に、父祖の国の日文化をどのように語れば違和感なく伝わるだろうか。 「一言では説明できませんね」と、しどろもどろにお茶を濁しつつも、可能な限り正確に伝えたいという気概ばかりが強くなってしまう。母国日に居ては経験しない愛国心に似た感情が突き上げてくるが、熱い思いに駆られて持論をひけらかしては恥ずかしい。 あるいは、通り一遍の自画自賛、自文化優先主義

    《特別寄稿》「日本文化は、他と比べるものがない」=日本人絶賛したレヴィ=ストロース=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子 - 南米の鼓動をキャッチ! ブラジル日報
    roseknight
    roseknight 2023/07/21
    レヴィ=ストロースは日本のアニミズムに魅了されていたのかも知れない。日本は縄文文明を原点として、外国の文化も取り入れつつ歴史を紡いできた。素朴さや独創性は、世界の模範になる可能性をも秘めるだろう。
  • 【歴史修正バカ】櫻井よしこ「日本は民主的な十七条憲法を作り、人権弾圧国家・隋と決別した」@yumi_kobayashi_ : 脱「愛国カルト」のススメ

    <今回のデマ妄想> 日は十七条憲法で民主主義の根を定めた。これをもって大和国は中華の道と決別した。<妄想拡散者> 櫻井よしこ<事実> 十七条憲法(604)は第1回(600年)と第2回(607年)遣隋使の間に制定されている。「中華と道を決別」どころか、隋に日を文明国と認めてもらうために作った制度である。その後も遣隋使・遣唐使と続いている。「大和国は中華と道を決別した」などというのは櫻井よしこの妄想にすぎない。隋は598年に科挙を開始し、生まれの身分にとらわれずに人材を登用する制度を作っている。 櫻井よしこが救いがたいレベルのバカな歴史修正主義者なことは今更言うまでもないでしょうが、ここまでバカだと小学1年生から人生やり直してほしくなりますね。 櫻井よしこ先生のお話を聴きました。 「我が国は七世紀はじめ、十七条憲法において『人々の声に耳を傾けて物事を決めるべし』という民主主義の根を定め

    【歴史修正バカ】櫻井よしこ「日本は民主的な十七条憲法を作り、人権弾圧国家・隋と決別した」@yumi_kobayashi_ : 脱「愛国カルト」のススメ
    roseknight
    roseknight 2023/07/21
    十七条憲法の文体は六朝~唐までの中国で使われた散文だ。「以和為貴」は論語からの部分的な引用によるもの。また、第二条は仏教の三宝に言及している。櫻井の戯言は、中国古典に学んだ聖徳太子への無礼である。
  • 日本人の新しいもの好きは古代から? 前方後円墳の広がりと仏教伝来時の様子は似ていた! | 歴史人

    いろいろ考えていると、前方後円墳が広がった背景と欽明朝(きんめいちょう)以降に仏教を積極的に受け入れた情景が重なって見えてきた。仏教の受容と前方後円墳の普及には、もしかすると同じようなメリットがあったのではないだろうか? ■新たな文化技術を受け入れて育てる好奇心と向上心 仏教は、欽明天皇の時代に百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)から公伝します。崇仏(すうぶつ)派と排仏派が対立をしますが、それは単なる宗教対立とはいえなかったと思います。仏教が包含する新文明を崇仏派の蘇我(そが)氏が独占して権力を強大にすることを物部(もののべ)氏は恐れたのでしょう。 「仏教」と一口に言いますが、釈迦(しゃか)の教えを中心にした哲学と価値観が根にあるだけではなく、それを理解し実践するためには瓦葺(かわらぶき)の寺が必要です。もちろん五重塔などの高層建築技術、伽藍配置(がらんはいち)やその学問的意義、そし

    roseknight
    roseknight 2023/07/20
    大和王権は仏教を通じて大陸、特に朝鮮から文明を取り入れてきた。文化や技術は地方へと伝わり、思想や死生観も発達した。前方後円墳は大陸文明の受容の象徴だ。新しいものを理解する知恵は政権の基盤でもあった。
  • 鎖国を祖法化させ、「ロシア船打払令」を発令させたロシアの南下政策の重要性 幕末維新史探訪2023(23)鎖国はどのように変化して幕末に至ったのか② | JBpress (ジェイビープレス)

    江戸末期の旗がさまざまな資料や情報を記録した『視聴草』に描かれた、レザノフの船と部下 画像提供/国立公文書館デジタルアーカイブ (町田 明広:歴史学者) ◉鎖国はどのように変化して幕末に至ったのか① 初期鎖国令の実態 寛永16年(1639)7月、3代将軍・徳川家光によって、「寛永鎖国令」が発布され、これ以降はポルトガル船の渡航を厳禁した。そして、万が一再来航した場合には、船は破壊し乗組員は処刑することを命じた。 承応3年(1654)5月、4代将軍・徳川家綱によって、「承応鎖国令」が発令され、「寛永鎖国令」が修正された。南蛮船を追い返すことを要求しているものの、攻撃されない場合は、こちらからも攻撃しないこと、追跡は不要であることを命じた。 いずれも、外国船を追い払うことには違いないが、「寛永鎖国令」は無二念打払いを、「承応鎖国令」は襲来打払いを命じていた。 今回は、「寛永鎖国令」の発令以降

    鎖国を祖法化させ、「ロシア船打払令」を発令させたロシアの南下政策の重要性 幕末維新史探訪2023(23)鎖国はどのように変化して幕末に至ったのか② | JBpress (ジェイビープレス)
    roseknight
    roseknight 2023/07/19
    ロシア船の来航を機に、撫恤的な概念が外交に表れた。これは、相手との対話の試みから始まったのだろう。日本の対露恐怖症の原点はフヴォストフ事件か?ロシアの存在は日本の国際外交において最も重要であると思う。
  • 日本人がじつは知らない…「知の巨人」は見ていた、東日本と西日本の「決定的な違い」(現代新書編集部)

    『忘れられた日人』で知られる民俗学者・宮常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 「宮の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮常一 歴史は庶民がつくる』が2刷重版出来、話題となっている。 「小さな歴史」の束から見えるもの 日全国を歩き、人びとの話を聞いた宮常一。聞き集めた「小さな歴史」の束から見えてくるものとは——。 〈宮は日列島をすみずみまで歩き、多くの人びとから夥しい数の話を聞いた。民俗学はもちろん、人類学や社会学でもフィールドワークは調査研究の重要な手法だが、宮のそれはほかの調査者たちとどのように違うのか。宮は自身のフィールドワークをふまえてこんなふうに記している(「あるいて来た道」『民俗学への道』著作集版より要約)。 さまざまな差が

    日本人がじつは知らない…「知の巨人」は見ていた、東日本と西日本の「決定的な違い」(現代新書編集部)
    roseknight
    roseknight 2023/07/18
    東日本のイエ社会では年齢階梯制が希薄で、西日本のムラ社会では横断的な組織が発達した。年功的な意識は地域ごとに異なるのか?基礎的な共同体からクニの意識が生まれる。今の故郷は尊重されているだろうか。
  • 明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか

    明治十七年(1884年)に山崎之人が著した『維新元勲十傑論』というがある。このにおいて著者は明治維新に尽力した志士の十人として、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通、江藤新平、横井平四郎(小楠)、大村益次郎、小松帯刀、前原一誠、廣澤兵助(眞臣)、岩倉具視を挙げて、それぞれの伝記を記している。これらのメンバーのうち横井、大村、廣澤の三人は明治の初期に相次いで暗殺されており、そのうち大村、廣澤は長州藩の人物である。 廣澤眞臣 (Wikipediaより) 明治二年(1869年)に起きた横井小楠暗殺事件、大村益次郎の暗殺事件についてはすでにこのブログで書いたのだが、この二件については暗殺された事情も一通りわかっていて、その下手人も捕らえられ処刑もされている。しかしながら、明治四年(1871年)の一月に起きた廣澤眞臣(ひろさわ さねおみ)の暗殺事件については、彼が何のために暗殺され、下手人が誰であった

    明治四年一月に廣澤眞臣を暗殺した黒幕は、政権中枢にいた人物ではなかったか
    roseknight
    roseknight 2023/07/03
    木戸孝允が廣澤眞臣暗殺事件に関わっていたことは間違いない。事件の背景には長州藩内の方針の対立があったのでは。江藤新平への反発意識は、廣澤への反感に繋がっていた。この事件は後の明治史をも変えただろう。
  • 天皇陛下が供花に、インドネシア英雄墓地に眠る残留日本兵たちもきっと涙を… 18年前に聞いた、「インドネシア独立」に命を懸けた元日本兵たちの証言 | JBpress (ジェイビープレス)

    6月17日、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に到着した天皇・皇后両陛下(写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 両陛下の外国への親善訪問は即位後初めてとなるが、それがインドネシアだった意味は大きい。 インドネシアは、終戦後も現地に留まった日兵が独立戦争に加わり、アジアの植民地支配からの解放を果たした国だ。20日には、その元日兵も埋葬されている「カリバタ英雄墓地」を訪れ、供花される。これは歴史的なことでもある。 インドネシア独立宣言を起草した日の駐在武官 日が敗戦を迎えた1945年8月15日の2日後、インドネシアでは独立が宣言される。首都ジャカルタの現在の独立記念塔(モナス)が経つ場所で、後の初代大統領となるスカルノが「独立宣言」を読み上げた。そこから再植民地化を狙う宗主国オランダとの独立戦争がはじまっていく。 そもそも日軍は、統治下にあったインドネシアで現地の優秀な若者を集めた

    天皇陛下が供花に、インドネシア英雄墓地に眠る残留日本兵たちもきっと涙を… 18年前に聞いた、「インドネシア独立」に命を懸けた元日本兵たちの証言 | JBpress (ジェイビープレス)
    roseknight
    roseknight 2023/06/20
    日本軍の進撃は、インドネシア諸民族の独立意識を確実なものとした。独立準備調査会やペタ等の軍事組織の創設が後の独立戦争の勝因だろう。白人勢力を破らんとする日本兵らの遺志は、現代にて蔑ろにされていないか?
  • 東亜同文書院は日本帝国主義の手先?(「八紘為宇と王道アジア主義」❺)

    東亜同文書院は日帝国主義の手先?(「八紘為宇と王道アジア主義」❺)王道アジア主義に志した荒尾精の魂の継承。根津一、中山優、石射猪太郎に光を当てる。

    東亜同文書院は日本帝国主義の手先?(「八紘為宇と王道アジア主義」❺)
  • 「日本」はひとつではない、「庶民」が主役の歴史を構想…多くの人が意外と知らない「宮本常一の思想」(畑中 章宏)

    『忘れられた日人』で知られる民俗学者・宮常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは? 「宮の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮常一 歴史は庶民がつくる』がいよいよ刊行される。 ※記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。 庶民」の歴史を構想 宮常一は歴史をつくってきた主体として、民衆、あるいは庶民を念頭においた。 これまでの歴史叙述において、庶民はいつも支配者から搾取され、貧困で惨めで、反抗をくりかえしてきたかのように力説されてきた。 しかし宮は、このような歴史認識は歴史の一面しか捉えていないし、私たちの歴史とはいえないと考えたのだった。 また宮は、民俗学はただ単に無字社会の過去を知るだけではなく

    「日本」はひとつではない、「庶民」が主役の歴史を構想…多くの人が意外と知らない「宮本常一の思想」(畑中 章宏)
    roseknight
    roseknight 2023/05/15
    庶民生活やその慣習の交流がメタヒストリーを形作るのだろうか。公共性の伏線は、外部と流動的な関係を持った村落共同体にある。共同性もまた、様々な「住人」によって成立したのか?進歩とは違う時間軸を見たい。
  • 泥沼化する日中戦争で日本が繰り返した「自己正当化」

    戦前日は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。旧日陸軍の「変貌」をたどってみよう。 一貫した戦争目的を欠いたまま、場当たり的に日は対中・対米戦争に突き進んでいく(写真は1938年の中国戦線の日軍)(Pictures from History/Gettyimages) 1937年に始まった日中戦争は、当初は局地紛争に過ぎなかった。日政府も陸軍もこの紛争を全面戦争に発展させる意思はなかった。まして米国との全面戦争につながることを期待した人間はいなかった。なぜ多くの政治家や軍人の意思とは裏腹に、極東の小紛争は対米全面戦争へと発展していくのだろうか。 後追いで設定された戦争目的 戦争政治行動である以上、そ

    泥沼化する日中戦争で日本が繰り返した「自己正当化」
    roseknight
    roseknight 2023/04/14
    小規模経営主体による定期市的な共同体の支那を見誤ったことが失敗の一つだ。政治的な目的は既成事実によって左右されるのだろうか。「正義」を考えることが出来ない様は今にも言える。超国家主義とは何だったのか?
  • 日本の「深刻すぎる少子化」のウラで、いまだに「本当の児童手当」が存在しない歴史的理由(広井 多鶴子) @gendai_biz

    「異次元」の少子化対策? 児童手当は、1971年5月に法律が制定され、翌1972年1月から段階的に支給が開始される(1974年完全実施)。当時、児童手当は「最後の社会保障」とされ、「小さく生んで大きく育てる」と言われた。しかし、その後児童手当はなかなか育たなかった。 ところが、今年(2023年)の年頭、岸田首相が児童手当を「異次元」の少子化対策の一つに位置づけたことから、児童手当の拡充が急きょ政策課題にあげられるようになった。昨年10月に、高所得者層の「特例給付」(月5,000円)を廃止したばかりだというのに、いったいどういうことなのだろうか。 それは、少子化の想定以上の深刻化によるという他ないだろう。「1.57ショック」と言われた1989年の出生数は125万人。以後、児童手当少子化対策の一環に組み込まれ、2000年代に入ると、20年ぶりに支給総額が増加する。だが、少子化対策は児童手当

    日本の「深刻すぎる少子化」のウラで、いまだに「本当の児童手当」が存在しない歴史的理由(広井 多鶴子) @gendai_biz
    roseknight
    roseknight 2023/03/18
    社会全体として子供を育てる発想は、欧州だけでなく日本やアジアにもある筈だ。家族共同体の実態やお金の循環を直視しないから問題が解決しない。人間の共同体は計算によって動いていない。官僚支配の悪弊の現れか?
  • 日露戦争を勝利に導いた大山巌はなぜ理想のリーダーなのか「何もしない」ことのすごさ:朝日新聞GLOBE+

    歴史に残る優れたトップリーダー」と聞かれたら、どんな人物を思い浮かべるだろうか。 織田信長のような、強烈なトップダウンタイプ。 アンドリュー・カーネギーのような、傾聴力に優れたタイプ。 スティーブ・ジョブズのような、天才肌。 人によってイメージも理想も様々だと思うが、私には昔から一人だけ、 「こんなリーダーシップ、当にありえるのだろうか…」 と、疑問に思っていたリーダーがいる。 日露戦争においてロシア軍を打ち破り、世界を驚かせた大山巌・日陸軍元帥だ。 西郷隆盛のいとこであり、太平洋戦争で日が敗れるまで理想のリーダーとして、多くの人の尊敬を集めた人物である。 日露戦争時の満州軍総司令官、大山巌・陸軍大将=1904年、朝日新聞社 しかしその語られるところは、ある意味で異質だ。 部下に仕事を任せ、自分は何もしない。 いつもニコニコしているだけで、部下の仕事に一切口を出さない。 「責任は私

    日露戦争を勝利に導いた大山巌はなぜ理想のリーダーなのか「何もしない」ことのすごさ:朝日新聞GLOBE+
    roseknight
    roseknight 2023/03/11
    組織に関する僅かな差分を理解できるか否かが指導者の明暗を分ける。大山巌は責任の程度や問題の根源を知り、採るべき方針を考え続けたのだろう。物事を円滑に進めるマネジメントでは組織を導きぬくことは出来まい。
  • 江戸時代は「リスキリング」の時代だった!? 岸田首相に学んでほしい徳川家が行った異次元の教育改革 | FRIDAYデジタル

    德川宗家19代・德川家広さんに聞く NHK大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康に注目が集まっている。戦いもなく平和だった時代、徳川家が力を入れたのは“教育”だった。なぜ教育に力を入れたのか? 「平和な世の中にしたかったからです」 こう言うのは、今年19代德川宗家を継承した德川家広さん。 研究者が育ちにくい環境だと、ノーベル賞受賞者に言われる日。スウェーデンでは大学まで授業料が無料だ。“人への投資”を促進すると岸田首相はいうが、具体的に何をしようとしているのか?(PHOTO:アフロ) 「戦国時代に入る前、日は天皇につながる血筋の人間が国を動かしていました。源氏も平家も、皇室から枝分かれした人々です。それが戦国時代になると、身分の低い者が上位の者に実力で打ち勝ち、地位をとってかわっていくようになりました。そう、“下剋上”です。 その最たるものが豊臣秀吉。彼が太政大臣になったことで、『自分も

    江戸時代は「リスキリング」の時代だった!? 岸田首相に学んでほしい徳川家が行った異次元の教育改革 | FRIDAYデジタル
    roseknight
    roseknight 2023/03/11
    海外の知恵を自国文化として昇華させることが江戸時代の歩みだった。徳川幕府は国全体の知性を上げるために前例の無い施策を打ったのだろうか。教育と地方創生は切り離せない。知恵が共同体を生かすからだ。
  • 【検証】12万人殺害「東京大空襲」指揮の米軍司令官に良心の呵責はあったか

    1982年、富山県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。NHKグローバルメディアサービス報道番組部ディレクター。主な制作番組はBS1スペシャル「なぜ日は焼き尽くされたのか」(衛星放送協会オリジナル番組アワード最優秀賞受賞)、「よみがえる悪夢」など。 ニュースな ビジネス・経済から、エンタメに教育政治まで…。世の中には山のように書籍が存在する。その中から「読んでためになる」「成長できる」「思わずうなる」ような書籍を厳選し、その一部をお届けする連載。話題の新刊から埋もれた名著まで、きっと素敵な発見があるはずだ。気になる書籍があれば、ぜひ元の書籍を読んでほしい。 バックナンバー一覧 東京大空襲を指揮したのは当時38歳だったカーチス・ルメイ。1945年3月10日の深夜、米軍のB-29による爆撃で、一夜にして12万人の命が失われたと言われている(正確な数字はいまだに判明していない)。非人道的な人物と

    【検証】12万人殺害「東京大空襲」指揮の米軍司令官に良心の呵責はあったか
    roseknight
    roseknight 2023/03/10
    B-29の成果への欲求とルメイ自身の責任意識が東京大空襲の背景にあるのか。ヘンリー・アーノルドの意向が空襲の続いた一因ではあった。彼が継続の圧をかけてきた理由やルメイがそれに従った理由が気になる。
  • 6000本の杭を打ち込んだ不思議な構造物…岡山県の「謎の遺跡」に秘められた古代人の凄い発想 19世紀オランダの技術とも共通点がある

    発掘当初は何が何だかわからなかった 岡山県岡山市には日第4の大きさの造山つくりやま古墳がある。この巨大な塚を築いたであろう港が見つかっていた。巨大古墳は例外なく河川・水路の傍にある。河川や海岸に堆積した土砂の浚渫しゅんせつを行ない、それを積み上げた結果、大王の古墳になったと私は今まで書いてきた。 古墳の土砂運搬には数多くの船と造成のためのシステムが必要である。この津寺遺跡にはそのシステムが見えるのである。現代に置き換えれば、関西国際空港の埋め立ての土採場から運搬、埋立(土砂投棄)に至るプロセスがわかるような施設であった。 その遺跡とは、おかしな河川の護岸があったと片付けられていた岡山市の津寺つでら遺跡である。1980年代に岡山市津寺地区の山陽自動車道と中国横断自動車道の岡山ジャンクションの工事中に、古墳時代の終わりの頃から奈良時代と推定される不思議な遺跡が発見された。旧足守あしもり川の左

    6000本の杭を打ち込んだ不思議な構造物…岡山県の「謎の遺跡」に秘められた古代人の凄い発想 19世紀オランダの技術とも共通点がある