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承認に関するsarabandaのブックマーク (45)

  • もう一歩のところまで分かっている藤沢数希氏 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    ブログで何回か批判的に取り上げてきた藤沢数希氏ですが、日のエントリは出色です。 http://agora-web.jp/archives/1100806.html戦争って意外と簡単にはじまるかも) 尖閣問題から子ども時代の戦争ごっこ、そして進化生物学の知見を踏まえつつ、例の赤木智弘氏の「希望は戦争」を引いて、こう述べます。 >このグローバル資主義の世界で競争に敗れたものたちに「それでもあなたはこんなに豊かになった世界のおかげで飢えることなく生きていけます。ジャンクフードをべたいだけべれるぐらいのお金なら稼げますよね」といえばいいのだろうか。彼らはそれでもこの競争社会を当に心から感謝することができるのだろうか。 実際のところお金よりもはるかに格差がつくものがある。それは人々の承認や尊敬、異性を獲得する能力だ。多くの人の時間が限られており、付き合える人数も限られているから、人々が

    もう一歩のところまで分かっている藤沢数希氏 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    sarabanda
    sarabanda 2011/03/06
    「『ない』と言えてしまうのは、藤沢氏が社会的承認の結果の不平等を再分配する社会的仕組みの存在そのものをはじめから『悪』と考えているからでしょう。」
  • 「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog

    人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シロクマの屑籠(汎適所属) 「昔の日人が寛容だった」というのはあくまで「身内」に対してであり、かつてのような地域社会の密接な人間関係が崩壊した結果、「身内」と呼べるような相手がいなくなったのと同時に、「寛容」に振る舞う契機も失われた(ネットの村コミュニティがそれを代替している)‥‥‥という主旨なんですが。 別にこのエントリ(が言わんとするところ)への反論ではないのだけど、「寛容」という言葉の使い方が気になった。 SNSなどネットのコミュニティに参加する人の多くが求めているのは、「触れ合い」じゃないかな。その副産物としてあるのは、「寛容」と言うよりむしろ「(被)承認」じゃないかな。 そもそも異質な者を排除した「身内」に対する「甘さ」を、果たして「寛容」と呼べるのか?という疑問がある。 「寛容」という言葉は、英語のtolerationを訳

    「寛容」という言葉 - ohnosakiko’s blog
    sarabanda
    sarabanda 2011/02/13
    「SNSなどネットのコミュニティに参加する人の多くが求めているのは、『触れ合い』じゃないかな。その副産物としてあるのは、『寛容』と言うよりむしろ『(被)承認』じゃないかな。」
  • 他人が肯定しても、自己否定的な人間は自分を肯定できない:こころの肥溜め:So-netブログ

    自己否定的な人の根的な過ちは、他人の評価によって自分を肯定しようとすることだ。 自己否定的な人は、自分を肯定するために他人の評価を得ようと必死になる。 そして、他人から評価を得たら、それを維持するために神経をすり減らす。 他人の評価を得るために大きな犠牲を払っているので、 自己否定的な人に対する周囲の評価は平均以上に高い場合が多い。 でも、それは人の自己評価にちっとも結びつかない。 自分を切り売りして、他人の評価を得たところで、 それによって得た自信は一つの失敗で水の泡のように消えてしまうのだ。 自己否定的な人は、自分を肯定してはいけないという強い自己規制がある。 心の奥底から、わき水のように自己否定感が無尽蔵にしみ出してくるのだ。 こういう状態では、表面にいくら他人の肯定を敷き詰めても、 一カ所に穴が開いただけで、自己否定感が吹き出してくる。 そして、ひとたび自

    sarabanda
    sarabanda 2010/11/07
    自分が望むような形で他者から肯定されないと、それを「肯定」ととらえることができない。むしろ建前や社交辞令、さらには嫌味(=遠回しな否定)に思えてしまう。褒められたくない点を褒められても嬉しくない。
  • 出られないから仕方なくここにいるよ。 - 男がではなくて、満たされない人が簡単に惚れるのかも

    はてな匿名ダイアリの例の記事が発端に盛り上がっている一連の流れ。このエントリを書いた頃は、まだどうにか話の流れに付いていけたのだけどもうムリ。男女の友情がとか以前に友達がいないし。と話を追うのを諦めていたのだけど、先日トラックバックを頂いたブログの最新記事(旧)増田の杜: 男は簡単に惚れすぎるんじゃないかを読んだら、少し思いついた事があるので書いてみます。「さすがこういう話には敏感」と、id:kanoseさんにブクマコメントで言われてしまったけれど、どうしてこんなに男女の非対称が気になるのか。その答えも少しわかった気がするので。 唐突だけれど、「とにかく誰かに認めてもらいたい。だから自分を好きな人が好き」という精神状態を第1ステージとします。物心ついたばかりの頃はおそらく誰もがこの状態で、親や友達や尊敬する人等に褒められたり認められたり必要とされる経験によって徐々にその欲求が満たされて、や

    sarabanda
    sarabanda 2010/10/23
    「承認欲求はとっくに満たされているので恋愛にはもっと高尚な何かを求める女性と、とにかく認めてもらえるだけで嬉しくて、だから相手を好きになるという男性が親しくなった事によって起こったすれ違い」
  • 普通の人が尊敬できないように育てられた人達

    「普通の人が尊敬できないように育てられた人達」。 特別な職業やメディアに登場するスターのようなキャラクターしか尊敬の対象にできないような・普通の職業の人やクラスメートには軽蔑に近い印象をデフォルトで抱いているような、そういう境地の人達が、まだまだ世の中には存在する。 【メディアスターや凄い人しか尊敬できないような育て方をすると…】 「三つ子の魂百まで」と日の諺にあるけれども、これは「誰をどう尊敬するか」の分野でもかなり当てはまる。小さい頃、どんな相手をどんな具合に尊敬するように育てられたのかは、性分としてこびりつきやすく、後々まで尾を引きやすい。 例えば、小さい頃から花形職業・メディアスター・伝記になるような偉人ばかり尊敬するように教え込まれ、近所の人や普通の職業の人なら見下しても構わないという家族の目線のなかで育ってしまった人は、その価値観を内面化させてしまいやすい。「尊敬対象かくある

    普通の人が尊敬できないように育てられた人達
    sarabanda
    sarabanda 2010/08/22
    「普通の人」とは何ですか、と問いたい。
  • 敗者復活装置としての体育会 - かねどーのブログ

    <結論> 縦社会+集団主義という体育会系の文化を持つ共同体は、能力がなく冴えない人間にも、生きるのに不可欠な自尊心を供給する「敗者復活装置」としての一面を持っている。 <文> 大学生として生活していると、主に体育会系の部活に存在する、馬鹿馬鹿しい伝統ないし通過儀礼(という名の単なる下級生いじめ)について時々耳にします。曰く、マクドナルドのハンバーガーを大量にわされ、どれだけべられるかで部内における「偉さ」が決まったりするなど。また、そうした団体は大抵の場合、競技能力と無関係の無駄に厳格な上下関係や、過激な飲み会も行っています※ ※そして年に何人かは、このような団体に属する学生から死者が出ます。勿論そこまで悪質なものはごく一部でしょうが。 そのうちの通過儀礼だけとっても、僕だったら内容を聞いた時点でそのあまりの頭の悪さに、「うんこちんちん。しね(´・ω・)」等のコメントを残してその場で

    敗者復活装置としての体育会 - かねどーのブログ
    sarabanda
    sarabanda 2010/07/24
    個人的な事情だが、就活やスクールカーストに関する話題を回避すれば体育会系組織について割と客観視できる気がする。私が反感を覚えるのは体育会系そのものより就職活動や学校生活における体育会系優遇、文化系dis。
  • 1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    ■越境する知〜ジャンルを超えていろいろなモノを摂取することの喜びを知る ひさしぶりにこのブログの義に戻って「一つの視点から様々なジャンルに共通するモノを」取りだして楽しむ方法を紹介する、ということをしてみたいと思います。海燕さんのオフ会で何か喋ろうと考えていたのですが、せっかくなので、ブログを書く上でのもともとのコンセプトに帰ってみたいと思います。 僕は数年前に、このブログを好きな映画を紹介しようと立ち上げました。仕事が忙しくなったり子どもが生まれたりで、映画を見る余裕がなくなったので、通勤時間に読む漫画小説の感想にシフトしてしまいましたが、もともとは、媒体やジャンル、世代、年代を超えて、自分にとっておもしろいと感じるものの「共通性」という視点を出すことで、「より物語を楽しむため」のヒントになれば、と思って、そのコンセプトのもとに文章を書いています。 いろいろな「そんな小難しいこと考え

    1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 3ToheiLog: ひろゆき:勝間≒エピクロス:ストア

    ひろゆき:勝間≒エピクロス:ストア 勝間・ひろゆき論争、というか「論争失敗」が、巷でも大人気の模様。 私もtwitterにちょっと書いたけど、「生真面目な優等生」v.s.「頭のいい減らず口」の会話は確かに面白かった。 多分あの対立軸って、エピクロス派とストア派の争いの続きなんだろね。 ちょうど、タイミングよく読書猿:エピクロス、あるいは「最小の哲学」についてといういいエントリがあったので、それに合わせて蛇足話。 多くの文型の方には釈迦に説法とは思いますが、一応: ・ 「外の世界に踊らされずに自分の体内・内臓感覚で幸福を定義する」ってのがエピクロス派。いわゆる快楽幸福主義。 ・ 「外の世界と関わりあって、規範遵守と社会参画から幸福を定義する」ってのがストア派。いわゆるストイック主義。 そんなわけで、あの話は「ひろゆき:勝間≒エピクロス:ストア」の古典的論争だよなあと思って見ていた。まあ

    sarabanda
    sarabanda 2010/05/17
    私が不幸や社会的不承認から解放されるには、エピクロス派的思想に解脱するか、仕事(出世とか社会的地位という価値観を中心とした)を通じた承認欲求に対するオルタナティブを見つけるかのどちらかか。
  • −「ゼノ」シリーズに見る自己同一性論−

    sarabanda
    sarabanda 2010/04/13
    「『・・・愛情は無償のもので、一心に注ぐもの』という弁を通しますが、そういった”欺瞞”に対して、ゼノシリーズはある種冷酷なまでにこの問題と向き合っています」
  • キャバクラや風俗店へ行くのは承認欲求を満たす為ではない(らしい)という話 - 出られないから仕方なくここにいるよ。

    そういうお店で相手をしてくれる女の人に、ぶっちゃけ「こいつキメぇwwww」と思われているかもしれないのに、高いオカネを払う意味ってあるんでしょうか?という疑問を、キャバクラ通いにハマっていた事があるという、今の職場の人に尋ねてみたところ、そんな事は全く関係無いというか、求めているのは受動的に肯定される体験ではなくて、例えば隣のテーブルのあの男よりも、自分の方に女の子が沢山集まっているから勝ち。しかしあっちのオヤジには毎回負けてる。とかそんな感じの狩猟能的な何かを満たす為に通っていたらしい。確かにその目的だとパートナーのいる人でもその手のお店へ行きたがる事の説明になると納得したと同時に、少し前に増田で(だったかな)話題になった3000円で女を抱けるようになったら秋葉原の通り魔事件がどうのこうのという話は、無茶である以前に実現したとしても(承認乞的な意味での)非モテの救いにはならないだろう

    sarabanda
    sarabanda 2010/04/09
    「愛された分しか愛せない理論」「全然肯定されなかった人はまず相手に支払う元手が無いから、一方的に受け入れてくれる存在で無いと、元手としての承認を得るのは無理っぽくて、だからペットが良いと思う」
  • そんなnewsは犬も喰わない : 避モテと承認問題

    id:kowagariあたりでずーっとなんかやってます。簡単にいうと「避モテ男(id:iduru)」と「非モテ男(id:kowagari)」との間の議論(?)のようなもの。実際にはid:kowagari氏が一方的に捲し立てている(説教?)だけで全く議論は噛み合ってないようですけど。 ただ、せっかくid:iduru氏の記事に「承認」ってコトバまで出て来たので議論が(学術的な場で論議されているようなテーマに繋がって行くという意味で)生産的な方向に向かうのかな?と期待したのですけど、なんだか妙な方向に捩じれていっているようです。残念。 ええと、もともとはこことかここあたりが発端だったんじゃないかと。 女性不在のまま、「女はオタクが嫌いだ!女は顔で男を判断する!」と決めつけて悲観してる男性が多い気がしたので、「そんな事ないってば」って言ってあげたかった。女にも非モテはいるんだから、仲良くしようよと

    そんなnewsは犬も喰わない : 避モテと承認問題
    sarabanda
    sarabanda 2010/03/08
    「仲間じゃないと承認する」「『異性愛社会の欠陥者』ではなく『同性愛社会の正常者』だと認めてあげることが『承認』になるわけです。そのことで彼らは自分が『欠陥人間である』と感じる苦痛や疎外から解放される」
  • ちょっと違うね。 他者に承認されることに価値を見いださなくなるから、承..

    ちょっと違うね。 他者に承認されることに価値を見いださなくなるから、承認されようとも承認しようとも思わなくなる。 他人からスゴイですねとホメられても、お前はウジ虫だと言われたのと差分を感じなくなる。 こちらが認めてない相手に、スゴイといわれても、褒めて何かを奪おうとする手段だろとしか思わない。 相手を認めていないから、あいてから何かを受け取ろうと思わない。かかわり合いを持ちたいと思わない。 そういう相手に褒められると言うことは、かかわり合いを持ちたいと言われることであって、苦痛でしか無い。 こんなふうになったら人生半分ぐらい終わってる。そうなる前に人にもどれ。あぁ、横からだったすまん。

    ちょっと違うね。 他者に承認されることに価値を見いださなくなるから、承..
    sarabanda
    sarabanda 2010/02/22
    「他人からスゴイですねとホメられても、お前はウジ虫だと言われたのと差分を感じなくなる」/むしろ上っ面だけの承認の言葉をかけられ、後で期待を裏切られるくらいなら、蛆虫呼ばわりされるほうがまだまし。
  • 足りないのは承認欲求?それとも所属欲求? - シロクマの屑籠

    A.マズローの欲求階層説は、そのシンプルさのせいか、インターネットのライフハック記事・自己啓発書・ビジネス書などにしばしば引用されている。そのなかでやたらとクローズアップされるのは[承認欲求]と[自己実現欲求]という言葉だ。これって、おかしなことじゃないでしょうかね? マズローの欲求階層モデルは、[1.生理的欲求] [2.安全の欲求] [3.所属欲求] [4.承認欲求] [5.自己実現欲求] という風になっている。このうち、[1.生理的欲求] と [2.安全の欲求] は、衣住が足りている人であればそれほど問題無いと思うし、だから気にする必要も無いだろう。 しかし、[3.所属欲求] [4.承認欲求] [5.自己実現欲求] に関しては、衣住が足りればそれでオーケーというわけではなく、人間関係のなかで充たされなければならない。[4.承認欲求]などは特にそうだろう。だから、コミュニケーション能

    足りないのは承認欲求?それとも所属欲求? - シロクマの屑籠
    sarabanda
    sarabanda 2010/02/19
    マズローの五段階欲求説の欠点は、シンプルすぎることではなく、実証的根拠がないこと。マズロー理論を妄信するのは従業員を給料以上に働かせたい経営者と胡散臭いコンサルタント(笑)だけで十分。
  • “生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代” - シロクマの屑籠

    ちっぽけな人間が、無数に生まれて無数に死んでいく。 そのこと自体に意味があるのかどうかは、私には分からない。 しかし、そのちっぽけな人間の一人一人にとって、“自分自身の生が無意味である”という認識が、寂しくて耐え難いものだというのは私にも分かる。だから、自分自身の生に意味づけをし、生き甲斐やレゾンデートル(raison d'etre:生きている意味)を与えてくれる“命綱”のような存在を私達はありがたがる。世間を見渡せば、それらにしがみつく人達の姿で溢れているわけだが、“他人事”と笑って済ませるのは難しい。 日では、20世紀の後半ぐらいから、生き甲斐やレゾンデートルを求め、自分自身の生に意味を見出そうとする人が増えてきた。昨今、こうした生き甲斐やレゾンデートルに相当するものを提供するビジネスがビジネスとして成立してしまうのも、要は、それらを必要とする・それらを欠いていると感じている人が、そ

    “生き甲斐やレゾンデートルが自己責任の時代” - シロクマの屑籠
    sarabanda
    sarabanda 2010/01/03
    空気を読むことは、承認欲求の充足や経済的安定という見返りなしに、共同体への一方的服従として要求されるものになった。空気嫁的なものの暴走は近年の日本企業のブラック労働環境や就活なる茶番劇にも相通じる。
  • http://anond.hatelabo.jp/20091003212043

    これを性的なことを除いて翻訳すると 「他人からの承認によって形成される自己肯定感は、思春期に作られる」ということだ。 中学時代スポーツが得意だった奴がその後の人生でも自信にあふれている理由でもある。 それ以外の期間に承認されても、心のどこかで承認に対して懐疑的になる。 まあでもこの辺は男子オンリーの話かなー。女子はまた違う形っぽい。

    http://anond.hatelabo.jp/20091003212043
    sarabanda
    sarabanda 2009/10/04
    スクールカーストCクラス的な者は大人になっても自己不承認とAクラスに対する劣等感に苛まれる。/id:makina_mrkm 他人から承認されない中で自己承認を試みるのは自分に対する嘘ですらあるから、内面に矛盾を抱え込む。
  • 非コミュ論と受け容れられ体験 - Spherical-moss.net

    前のエントリ書いてる途中で、いつの間にか人間関係不適合感を払拭する方法論になっていたのに気付いたw あまりに適当に書きすぎて脱線した結果、いつの間にか非コミュ論ではなく脱・非コミュ論と化した。非コミュ から拡張しすぎた結果だと思うんだが、長すぎる。ところで、自分には不適合的部分と、適合的部分がある。単純に、受け容れられ体験をしたかしてないかだけの差だと思う。 のっけから言い切ってしまうけど、非コミュ論についてはあんまり詳しいことは知らない<言及するのにそれはないだろ… やっぱりそれはないと思ったので、キーワードから適当に読んでみた。長文が多くて目が滑りまくったのは秘密だ。そもそもキーワードで目が滑った。ねえ何でみんなこんな難しい言葉でしゃべれるのさ? あとはてなダイアリ幾つか読んだ。ざっと流し読みだけど、程度の差こそあれ、感じているものは似ているような気がした。とりあえず、キーワードだけさ

    sarabanda
    sarabanda 2009/09/10
    「受け容れられた経験が少ない人は、自然と『人間とは受け容れてくれないもの』という認識を獲得してしまうし、受け容れられず拒絶された経験もあったりして、すでに傷ついてる」
  • 多少お金があっても満たされない話

    決して金持ちではない。せいぜい子金持ちレベルの話。 3年ほど前、年収一千万を超えた。弱小規模広告関連、現在35歳。 今年の年収は二千万に届きそうなくらい。 で、先日ボーナスが支給された。手取りで700万ほど。 金額としては申し分ないし恵まれているとも思う。 だが個別査定の面談ではあまり褒められなかった。 制作した仕事のクオリティには自信もあったしクライアントからの評判も良かった。 が、社長からは特に制作物に関してのコメントは特に無かった。 家に帰ってにボーナスの報告をした。 金額的には褒められたが、あまり嬉しそうでは無かった。 その主な理由はマンション購入を私が渋っており、 もっと高価な賃貸への転居も渋っているためだ。 今の仕事は特に浮き沈みが激しい。 ボーナスが多い分、年収が安定せず3割減などめずらしくない。 そんな中で固定費を増やすのは危険であるし、そもそも都内のマンションは高すぎる

    多少お金があっても満たされない話
  • 小松原織香「承認欲求の牢獄から抜け出すために」

    承認欲求の牢獄から抜け出すために 文=小松原織香 インターネット上で、自らを「非モテ」と称する男性の存在を初めて知ったとき、驚いた。彼らは「女はイケ面とばかり付き合う。だから、不細工なオレはモテない」と言う。それは、私が長く抱えてきた「女の恨み辛み」にそっくりだったのである。私は、「男はカワイイ女の子と付き合う。だから、不細工な私はモテない」と、自分の境遇を憐れんできた。自分が女性であることによって、抑圧されていると感じても、フェミニストは名乗れなかった。なぜなら「ブスのヒステリー」という典型的揶揄を、心底恐れていたからだ。そのように、私が女の痛みとして抱えてきた美醜問題が、男の口から、しかも女を批判する形で出てきたことは、私にとって青天の霹靂であった。 かつて、ミスコン批判が、フェミニズムの大きな運動であったことがある。フェミニストは、「女性は美しくあるべき」という言説が女性を抑圧してい

  • 自己評価の“格差社会” - シロクマの屑籠

    『格差社会』という言葉が流行ってかなり経ったが、さりとて『格差』が解消されたかというとそうでもなく、さまざまな分野で個人間の格差は拡大し続けているようにみえる。勿論、ここでいう『格差』は経済格差だけではなく、教育格差や情報格差なども含めての『格差』である。 そんななかで、人格形成にも大きな影響を与えているであろう「自己評価」に関しても、子ども時代からの積み重ねとして、以前よりもバラツキの大きな格差が生まれているんじゃないかと思い、この文章を書き残してみることにした。 日の子どもの自己評価は、他の多くの国と比較して相当に低いという。*1確かに、平均をとればそうなんだろうなという実感はある。一方で、自己評価の高い子どもは、いるところにはちゃんといる。あくまで私の観測範囲に関する限り、子どもの「自己評価」が低くなりすぎないように相当な注意が払われている家と、全く注意の払われぬままに、自己評価が

    自己評価の“格差社会” - シロクマの屑籠
    sarabanda
    sarabanda 2009/04/17
    自分が他者から承認されている状態を自明視している真性リア充が知人にいるが、生きてきた世界が根本的に異なると思った。
  • Attribute=51

    Attribute=51

    sarabanda
    sarabanda 2009/03/20
    「ダメな自分を受け入れて欲しいというのも、受け入れて欲しいのは今の有様というより、そこに至ってしまった経緯の方で、一番にそれをわかってほしいんだと思う」