俺もまがりなりに、部下を持ち、後輩というか新卒を教育する立場になってしまった。今現在、二人の新卒君を指導しているけれど、この二人の性格というか個性の差によって、「この新人は、モノにならんなー」と思ってしまう。その理由の様なモノに思い至った。自分の日記に書くと、ウチの新卒がショックを受けてはイカンので、ここに書く。 新卒君/さんの参考になれば幸いだ。 前提俺の仕事を書いておく。IT系で一応は研究系。 スペック 駅弁理系大卒、7年目のシニア・エンジニア。これで年収800位出す規模の会社勤務(小さくはないが、世界的には大手でもない) 新人ども。 一人目、A君、情報工学で留学帰り学科卒 二人目、B君、日本の某有名私大の院卒 二人とも金の卵ってか、俺とは毛色の違うエリートだわな 本題この二人に対する現在の俺の評価は、Aくんがマイナス、Bくんがプラスだ。 技能で言えばA君の方が多少はいいかもしれない。
「地頭」でグーグル検索をすると、この漢字本来の読みである「じとう」ではなく、「ジアタマ」と読ませるリンクのほうが圧倒的多数で出てくる(参照:google:地頭)、というくらい人口に膾炙した言葉になってしまった「地アタマ」。 ざっくり言って「本当に頭が良いこと」というような意味として捉えられているのではないかと思いますし、そのような本もたくさん出ているのですが(例:親子でやる齋藤式地あたまトレーニング 小学1年生から「頭のいい子」になる!)、そもそも、地アタマがよいというのはどういう文脈で使われるか考えた時、この言葉の奥の意味が現れます。私は、地アタマがよいというのを、以下のように考えます。 地アタマが良い:人を評価するときに、表向きの評価よりも本音の評価が高いときの補正のための表現 つまり、会社でも学校でも言えることですが、表向きの評価というものがあります。会社であれば人事評価の基準とかボ
一見もっともらしいことを記者さんは書いたつもりなんでしょうけど、読んだほうにとっては疑問を感じる記事の典型を見ました。これ。 「コミュ力なし」は「内定なし」 企業と学生の間には深い溝:asahi.com いや、このタイトルそのものには全面的に賛成です。コミュニケーション力についての、学生と企業の認識には深く広い溝があります。ただ、この記事そのものにはその溝をある意味広げかねない要素があると思いましたので、ついついエントリを起こしてみます。 といっても、http://news4vip.livedoor.biz/archives/51664057.htmlや(´A`)<咳をしてもゆとり - FC2 BLOG パスワード認証で2ちゃんねるの人たちが指摘していることでもあるんですけどね。 「手を挙げるならまっすぐ。声が聞こえない。目を見て!」 「声、出ますか。おなかから出ますか。今より5倍出ますか
印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます コミュニケーション能力が劣っていると判定される、あるいは自ら「苦手」と思い込んでいる人がいる――こういう人は、自分や周囲から何かのきっかけでその「レッテル」を貼って/貼られてしまったがために、「コミュニケーションの舞台」にあがる意欲が減衰し、舞台から退却している人、いわゆる「非コミュ」だといえるだろう。 しかし、協働とかフレキシビリティとか情動、差異が重視されるいわゆるポストフォーディズム化の社会において、非コミュは、まったく不利になる。そこで本稿では、非コミュに悩み、そこから脱出したいと望む人のために、まず肝心の「コミュニケーションの舞台」にあがるためのアドバイスを紹介する。 #1 初めて会う相手だと緊張して、何を話したらいいかわから
ちょっと前に、ごく短期間、会社で人事の仕事をしていたときに考えていたことです。人事・労務分野が長い実務家からみてどの程度の信頼性があるかは保証の限りではありませんよ、ということで、思いつくまま書いてみます。有識者の方が見て変なところがあれば、ご指摘下さい。 新卒採用で“コミュニケーション能力”がメルクマールとなる背景 - シロクマの屑籠というエントリを見て。 基本的に書いてあることは全く同感です。これを別の切り口からさっくり書いて見ます。 高度成長期の大卒者 極めて直感的にですが、高度成長期(〜昭和48年ごろ)を通じて、大卒者は、企業の幹部候補として遇されてきたと思います。その頃は、採用数も現在と比べれば少なく、大卒で採用されればある程度の管理職になることが期待され、一方、労働力の中心を占める高卒でも、特段の実績を挙げ続ければ、平取締役くらいまではなる可能性があった時代です。 この時期には
(メルクマール:診断基準、判断基準) 新卒者採用は「コミュニケーション力」を重視 日本の未来は暗いな\(^o^)/ - スチーム速報 VIP 新卒採用についての企業アンケートをみると、ここ数年、おきまりのように『コミュニケーション能力』が上位に来る。その後に続くのが『積極性』や『協調性』というのもいかにもありがちなパターンで、それに対しインターネット上に反論が溢れかえる、という光景まで含めて、すでに予定調和と化している*1。 専門性や語学力などを重視するより、具体的な描写の難しい“コミュニケーション能力”とやらを重視するというのは、確かにおかしなことのようにみえるかもしれないし、その企業の未来は暗いように読めるかもしれない。 けれども、最低限のコミュニケーションも協調性も無く、人間関係でちょっと揉めただけで消極性の虜になってしまうような新卒社員を、どこの企業が欲しがるだろうか?一人だけでこ
さて、先日ご案内した岩波書店の「自由への問い」シリーズの第6巻『労働』ですが、冒頭の佐藤俊樹・広田照幸対談が大変面白いので、是非お読みになることをお勧めいたします。 ここでは、そのうち、「コミュニケーション能力」論の罪と題する一節から、 >佐藤 この空白恐怖は、貴戸さんが描き出した、働くこととコミュニケーションスキルや社交性がなぜこれほどきつく結びつけられてしまうのか、という現在の問題につながってきます。もし働くことが特定の職務に強く結びついていれば、「ここでちゃんと働いているのだから、あとは関係ないでしょう」といえる。働く内容も「今はここまで」みたいに分割できる。それに対して日本型のメンバーシップでは、働くことと具体的な内容が直接結びついていない。だから、周囲の人とうまくやるとか円滑にこなすと行ったことが、まっとうな働き方の大事な要素とされてしまう。それぞれの仕事で本当に必要とされる以上
本日のメニュー前半「女。京大生の日記。」に関する説明後半「弾氏への応答」From 「没落エリートの出現」ー女。京大生の日記。to 「学校ってバカを治療してくれんのか」ー404 Blog Not Foundー好きな方からお読みくださいませ。 前半 先日の私のエントリーはそれなりにセンセーショナルだったようで、多くの人々からコメントを寄せていただいた。「就職先に不満でもおありなんですか?」というような私、個人の心配をしてくださった方もいたようですが、心配ご無用!「女。京大生の日記。」のブログ主ペンネームMGは2007年11月11日にはてなデビューをしたのですが、デビュー作品は覚えていらっしゃる方はいらっしゃいますでしょうか?そう!梅田氏の「ウェブ時代をゆく」の書評でありました!そこで私は、けものみち。なんて素敵な道なんでしょう!なんて書きながら「私もモッチーみたいに生きるぞー」と若さと情熱
H.N. 海外ニート。元パチプロの職歴なし男。日本のクソ労働環境が嫌で海外脱出。オーストラリア留学後、現地のデザイン会社に海外就職。シンガポールでの海外ニート生活を経て、現在、現地の外資系勤務中。 また新たな週が始まってしまった。週末までの道のりは長く感じるけど、実際に週末になったらアッと言う間に月曜が来るんだよな。これが有給使ったり、祝日があって週休3日になれば感覚は全然違うんだけど。5日働いて2日休むとか、週末(土日)ってコンセプトは誰が考えたんだろうな。。。ちょっと来い!って感じだよな。 ところで、前回の日記でコミュニケーションスキルの話を書いたけど、頂いたコメントを読んでハッとさせられた。 「日本の就職活動で求められるコミュ力は本物のコミュニケーション能力ではない」 「日本の就職活動で重視されるのは、コミュニケーションスキルというより端的に言えば口八丁、言葉上手」 「日本
日記サブプライムとかいうやつのあとに、とうとう日本も若年層の雇用が危なくなる国の仲間入り?していますね。そこで、既得権益どうのこうのは別にどうでもいいや。何かとの対立を煽って気が済むのならばやればいいんじゃない? それよりも、私が憤りを感じるのは、企業が労働者を採用するときの「自己PR」をどんどん先鋭化させていくところだ。 人間が他者に侵害されてはならない、「啓発」も「啓蒙」もそう簡単に許してはならない「ココロ」のありようを審査しようとする就活とは何なのか? エントリーシートを書くために自分史を再構築する 今の就活の企業向け「自分語り」を無理やり構築しなければならない。大学の新卒組は3年生ぐらいから、エントリーシートを書くために、小学校一年生から自分史をさかのぼり、企業にアピールできる部分を抽出し、「自分はこんな人間です」という漠然とした疑問に企業が喜ぶ自己像を作り上げる作業をする。 対企
新卒の採用に明るい兆しが見えない。就職が決まっていない大学4年生は少なくない。こんなに厳しい中でも、体育会の部活動をしている学生は相変わらず有利なのだという。 逆境に負けない「強い精神力」と、目標に向けてコツコツ努力する「高い目標達成意欲」を備え、厳しい状況下にも立ち向かえる、と企業は期待する。体育会は主将を頂点にしたピラミット型の組織で、大学時代にすでに企業を疑似体験している点も評価が高いようだ。 (中略) 「同じ大学でも体育会の学生とそうでない学生では印象が違ってくることもあり、ある意味で、体育会というのは資格に近いと思います。体育会の学生には強い精神力と高い目標達成意欲があります。組織に貢献することを考えて、縁の下の力持ちにも進んでなります。不景気で企業は厳しい状況にありますが、心身ともに強く、コツコツと続ける力が備わっている体育会学生は欲しい人材のようです」 (中略) また、体
コミュニケーションスキルが求められる理由 心理, 社会 いま「コミュニケーション能力」は、とても素晴らしい、人生に必須の、まるで魔法のような能力だと思われていますよね?企業が新人に一番求めるものは、ここ数年ずっと「コミュニケーション能力」だし。 純粋なココロ 2.0: 「コミュニケーション能力」という言葉は美化されすぎ 此処を読んで「わかった」ような気がしました。 何故コミュニケーションスキル(能力)が求められているかというのは、「とても素晴らしい、人生に必須の、まるで魔法のような能力」だからではなく、集団主義的企業が企業として存続していく為にコミュニケーションスキルを持っている新人が欲しい、という事なのではないか、という仮説です。 コミュニケーションスキルとは何か コミュニケーションには「読む」「書く」「話す」「聞く」があるが、「コミュニケーションスキル」においては、「話す」「聞く」とい
田原さんがサンプロを降板するらしい。置換えのきかない人だと思うのでとても残念。 先に切るべきくだらないバラエティはいくらでもあるだろうと思うのだが、そうも 行かないところが民放の泣き所なんだろう。 作り手自身が「馬鹿が見るメディア」と割り切っちゃってるんだから仕方がない。 ところで、朝生の際に、田原氏がこんなことを言っていたのを思い出した。 「最近の学生は凄く勉強している」 田原氏は早大で講義を持っているそうなのだが、えらく熱心な学生が多いらしい。 まあそれだけなら40年くらい前はみんなそうだろうが、休講にした際にはクレーム までくるそうだ。個人的な感覚からいっても、少なくとも90年代80年代よりは、 今の学生は勉強しているはずだ。 もちろん、学生のすべてがそんな調子というわけではない。 「大学入学こそがゴール!」という昔ながらの人間は相変わらず何にもしないし、 入試ハードル自体は下がって
体育会出身が組織に忠実ってのはすごい思い込みのような気がするなあ。 だって、"体育会"って枠で世間の話題になるときって、ああいう事件やああいう事件やああいう事件、つまりああいう事件を起こすときですよね。 そんなのが組織に忠実って考えるのは…といっても何事にも例外が、の範疇かもしれないけど。 こうやって考える限り、組織的な部活動をきちんと頑張ってきた「体育会系」学生を一定数確保したいという企業の思惑は、それはそれで妥当なもののようにみえる。ラボで働くような例外的英才はともかく、新規採用の大半を占めるであろう“兵士”コースの大卒者に関しては、なるべく組織への適性が良さそうな人材を求めるのは企業側としては当然といえば当然かもしれない。 「体育会系が欲しい」→翻訳→「組織に忠実な兵士が欲しい」 - シロクマの屑籠 理不尽な社会への慣れ、はともかくとして体育会がイコール兵士コースかというと全然そんな
新卒採用「体育会学生」欲しい 「精神力」「意欲」を評価(J-CAST) 新卒の採用に明るい兆しが見えない。就職が決まっていない大学4年生は少なくない。こんなに厳しい中でも、体育会の部活動をしている学生は相変わらず有利なのだという。 逆境に負けない「強い精神力」と、目標に向けてコツコツ努力する「高い目標達成意欲」を備え、厳しい状況下にも立ち向かえる、と企業は期待する。体育会は主将を頂点にしたピラミット型の組織で、大学時代にすでに企業を疑似体験している点も評価が高いようだ。 (中略) 「同じ大学でも体育会の学生とそうでない学生では印象が違ってくることもあり、ある意味で、体育会というのは資格に近いと思います。体育会の学生には強い精神力と高い目標達成意欲があります。組織に貢献することを考えて、縁の下の力持ちにも進んでなります。不景気で企業は厳しい状況にありますが、心身ともに強く、コツコツと続ける力
ちょっと意外だったのだが、まだ「体育会優遇」なんて会社が結構あるらしい。 一方で、こういうニュースもあるわけで、どちらが正しいのか。 結論から言うと、どっちも正しい。要するに混在しているわけだ。 (とはいえ、体育会優遇が減少傾向にあるのは間違いないが) では混在する理由だが、それは企業の人事戦略による違いから生じている。 凄く大雑把に言って、従来型のビジネスモデルでは既に限界だと認識している業種 では、人材に自律的な素養を求めており、何らかの専門性なり能力なりを求めている。 まあこの部分はまだ過渡期で各社も学生も試行錯誤といった感じではあるが、 コミュニケーション能力が必ず素質上位に上げられる点からすると、やはりサービス化 によって付加価値を引き上げることを各社ともに意識しているのだろう。 新興国企業との競争の激しい業種はたいていこっちで、声の大きい体育会系よりも、 向上心が強く勉強熱心で
■追記 なんだか社畜選別方法だとか言われていますが、そうなのかもしれません。 ただ以下のことが自己分析ののちに実体験として語れる学生は入社してから伸びることが多いです。タイトルにもありますがこれは新卒文系が内定を取るための方法です。文系の新卒の8割はモラトリアムを満喫しただけで単位のための勉学しかしていません。その子たちが急に就職活動に挑むとなった場合大体玉砕することになります。ですがその子たちが空っぽなのかと言われればそんなことはないですし、当然モラトリアム中という18~20歳ぐらいまでの間に体験、経験したことはその人の人間的成長を語る上では外せない時期となっています。だからこそそこをうまく就職活動で見せられるような人が欲しいのです。わざわざエントリーシートでこの子はどんな子なんだろう、なんて思いを馳せるのは無理なので。(追記終了) http://anond.hatelabo.jp/20
「え、なぜ法科大学院まで出て弁護士資格をもっていないのですか?」 「法科大学院って医師のように出た人が8~9割が弁護士になれるように作られた制度ですよね?」 「合格できなかった言い訳ばかりしないでください。弁護士増で就職難ってことは簡単になったのは事実でしょう?」 「そもそも、新卒時に就職しなかったのは何故ですか?」 「履歴の空白の理由は?」 「今まで就職活動はしなかったのですか?」 「法務博士というご立派な肩書きを持っているのに、法曹として働かないというのはどういうことですか?」 「30歳の今働きたいと思っているのに、20代の時は働きたくなかったんですよね?」 「空白期間に身につけたことは?」 「もしかして不況の今なら他の無職に混じって採用されるんじゃないかと思ってませんか?」 「自分なりに一生懸命生きてきた? 一生懸命に勉強して無職ですか?」 「23才以降は普通なら自立して生活している
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