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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (61)

  • 通じないといえば - finalventの日記

    ほいでも個別に書かないのだけどね。 通じないA派とB派があった場合、というかそういうのはありがちなんだけど、ほいでこれが対立するとする。で、この場合、A派の世界、B派の世界、と傍観者の世界というかまず3つあってネットだと云々というのはある。それとネットだとこの世界の対立に工作とかあるし、ああ勘違いもある。 で、なんつうかワタシ的にはそうした3極性というのはけっこうどうでもいいんですよ。もちろん私だってある見解を持つからA派であったりB派であったり傍観者であったりするわけだけど、重要なのは、私と公の二項の垂直関係ですよ。 「公」の関係において、A派とB派が許容かどうかが「私」に問われるわけで、その問いかけから越えて、派の争いというのは、それぞれのプライベートというか党派の問題になる。 だめだめなのは党派の水準が「公」になると思っている香具師が大杉。 次にだめだめなのは「公」が「正義」とか勘違

    通じないといえば - finalventの日記
    semis
    semis 2010/09/20
  • 昔から人と話していてああ通じてないなと思うことは普通 - finalventの日記

    これは私が悪いんだろうなととりあえず思うことにしている。 で、通じるように努力するかというと、物事には相手というのがあって、相手がそれを求めていないことが多いので、そのあたりで略。 ただ、なんつうか。 通じてない理由が、問題の基礎というかメタフレームワークが違っていることがあって、そうなると、もう全然だめだね。 個人的には、あー誤解されているなと思うけど、誤解とかじゃなくて、土俵が違っているわけで、しかも、相手は違った土俵が唯一だと思ってべたに批判とかしてくると、こりゃスルー以外にどうしようもない。 めんどくせー。 土俵が違っているというか、メタフレームワークが違っている場合、誤解を解くとかにはならない。 個々の事例を挙げるとなんなんなんで、まあ、線路は続くよだな、どこまでも。 まあ、メタメタ的に一般的に言えることだけど、自分の言っていることが正しいとかの前提に立つ人はもうダメダメ。で、こ

    昔から人と話していてああ通じてないなと思うことは普通 - finalventの日記
    semis
    semis 2010/09/20
  • その件 - finalventの日記

    その件⇒■「はてな」に詳しいid:finalventさんにご相談です - godmother料理レシピ日記 finalventさんが思う、私の日記の「コンテンツが「はてな」向きではない」の、何が向いていないのか、「はてな」のことをもう少し話していただけないでしょうか。 あと、問題は、膨大な荷物をどのような方法で何処に引っ越すかです。これを決定していく上で「どこで「はてな」を見限るかなんだだけど、その根幹が決まらないと戦略は立たない。 すでにgodmotherさんが書かれている以上はないですよ。単純なところでは、いやがらせを受けても対処もできないじゃないですか。あと、パーマリンクとドメイン名の問題があるのですが、これはやっていけばわかります。 というか、この問題は、godmotherさんの自身のコンテンツの認識の問題ですよ。 あと、単純に、「はてな」の中に入れば、「はてな」です。 ついでに

    その件 - finalventの日記
    semis
    semis 2010/03/02
  • 自分の成長に必要な12のこと - finalventの日記

    自分の弱さに否定的にならないこと 愛することの具体性に配慮すること 自分を支えてくる何かに沿って意志を持つこと 沈黙すべきところでは居心地悪くても沈黙していること 一人で気持ちのいい感情を自由に自分のものとすること 他者を成長させることのない怒りを抑制すること 無駄遣いをほどほどに(積極的に)すること 賢者の言葉に立ち止まって耳を傾けること 老いを賢く受け入れていくこと 愚かな人と穏和に生きるように知恵を増やすこと アイスクリームは少なめにべ、よい水を飲むこと 快活に幼い子供のように笑えること

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    semis
    semis 2010/01/30
  • 多分通じない人には通じないけど - finalventの日記

    私には信仰なんてないんですよ。 信仰を否定もしないけど、肯定もしないし、関心もなくなってきているのですよ。 でも、多分通じない人には通じないと思う。 世界というのは、主観と客観があり、人はそれぞれ相対化されるべき主観を選択していると思っている日人多すぎ。 世界というのはそのままにして主観であり、ということがその人にとって唯一の現れをしていいてそこから出られない。 そういうどうしようもない、タガ、みたいのがあるとき、その超越構造の原理性だけをどう取り上げるかというのが問題なんだよ。 これはあれ、恋の問題なんだよ。 恋というのは、恋する主観だとか、そんなわけないじゃん。 むこうから圧倒的にやってきて、心も体もうばっていく雷撃のようなもので、だから、まさに雷撃なんだというところで、ヘブライズムの神は雷神でもあるんだけど略。

    多分通じない人には通じないけど - finalventの日記
    semis
    semis 2010/01/05
  • 天才とか…… - finalventの日記

    自分は天才だと思っている人がけっこういる。こっそり思っている人もいる。 言うだけ馬鹿みたいだし、誤解されるだけなんだけど、戯れに言うと、私は多少天才である。多少というのは、天才というのは、自己の内部の他者ということで、自己が自己であろうとすることに介在してくる強烈なものだ。英語のgiftedみたいなもの。とりあえず、だから、天才性とでもいうか。 それは、自己にとって外来的な性質をもっている。 棚からぼたというか、降ってくる。あるメロディが、ある色彩が、ある構図が、ある着想が……。ただ、自己へぼたんと牛糞のように振ってくる。 それに自己が従属してしかも社会にある影響力を持つ人が、いわゆる天才だし、およそ天才というのは、美人と同じで社会側からのある特異な評価そのものである。な・の・で、私は天才だというのはほとんど狂人に近い。あるいは馬鹿だ。私は狂人ではないので、私は天才だとは言わない。でも私

    天才とか…… - finalventの日記
    semis
    semis 2009/12/07
  • 離人症的な感覚 - finalventの日記

    昨日のカウンセリング話の続きのようなこと。離人症的な感覚のこと。以前も書いたと思うけど、まあいいや最近なんか自分の内面がリニューしているようでもあるし、どことなく、誰かに語りかけているような(ちょっとオカルトめいているが)感じもするし。 離人症的な感覚については、これが詳しい。 異常の構造 (講談社現代新書 331): 木村 敏 木村敏の他の著作や、ビンスワンガー、メダルトボスなどもその後いろいろ読んだが、ざっくり見るとこれが結局名著なのではないだろうか。ただ、木村の解説はそれほどでもなく、ようするにここにモデル化されているいくつかの事例を読むと、げ、これまさにそうだというぞくっと感があるかないかが重要で、今思うと木村は実感としてはこの世界を覗いたことはないのではないか。 このだが、アマゾンの読者評に星一つがあるのでどんな憎悪が書かれているかと見るとボケだった。こういう星一つはどうしたも

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    semis 2009/12/07
  • 増田の釣り - finalventの日記

    増田当に助けて欲しい人はいるのだろうか これね、こうした言説というのは、関係性での自己防衛なんですよ。つまり、この発言者は、困惑している人と関係したくないよということ。 こうした問題は、困惑している人と、自分との関係性の問題が先行するから、この手の自己防衛というかは意味ないんですよ。 で、実際に自分が困惑している側にしてみると、この手の言説に関わってもなんの益もない。 いまいち釣れてなげ⇒はてなブックマーク - 当に助けて欲しい人はいるのだろうか funa07 anonymous 子供時代にひどい体験をした人は大人になると努力で環境を変えられるということ(が多い)を信じにくいんだと思う。だから適切な努力ができない。そこも含めて助ける必要があるのではないかと。 2009/07/25 サポートをどういう水準で見るかというのは難しいかも。 y_arim anonymous 不幸でなくなった

    増田の釣り - finalventの日記
  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

    semis
    semis 2009/07/12
  • もしかすると正しい自己嫌悪 - finalventの日記

    雨の日の午後、地下街を歩くのが苦手になった。というか嫌いになった。単純な話、傘をまともに持てない人が多いからだ。まともに持つというのは、人にぶつからないように持つということ。先端を下に向けて持ってねというだけのことだ。当たり前のようだがそうでもない人が多いように思う。それどころか傘を振り回す人が少なくない。まあ、私の社会への感受性は中島義道「醜い日の私」(参照)のように偏向しているから、多くの人にとってそれほどどうということでもないのかもしれない。 それでも今日の午後電車に乗ったとき、つり革に傘をぶら下げている、高校生だろうか、学生の一群を見かけたときは、瞬時に呆然とし、そのまま反射的に降りてしまった。あれはなんだ、悪夢か、と思った。 そういえば、先日ある公的機関に出かける用事があり、その待合いの場所に行くと女子学生が椅子を並べ替えてごろごろと寝ていた。あれにも驚いた。他の人が座る場所が

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    semis 2009/07/12
  • 曇天、でも晴れるか、雨っぽいな - finalventの日記

    昨晩は事がステーキだったのでワインを少し飲んだ。このところ寝る前に乾きをいやすようにビール小瓶を一つ飲むが習慣的になりそうなので、やめてお茶でも飲んだ。寝付かれないだろうと思ったが、早々に寝てしまったようだ。 朝起きると、うひゃまた全身筋肉痛。身体は疲れていたのか。前回ほど痛くはないが、なんか歳かな俺とか思うが、朝立ちは良し。 若いフリもできる歳ではないがそう身体が老いてもいない。心の老かたはなんとも微妙だ。うまく言えないが、恋のような狂気ではなく、静かに人を愛したり、あるいは世の中できるだけ平和であってくれ(私は消極的な平和主義だよ)と思う思いのなかにこの世にあることの切なさというか老いがあるな。 さて目が覚めて、と、ケータイでfeecleにアクセスし、起床、とでも書こうかと思ったらメンテらしい。なんか少しさみしいような感じもした。みんな起きたかぁ月曜日。 ぼんやりとネットを見るが、さ

    曇天、でも晴れるか、雨っぽいな - finalventの日記
    semis
    semis 2009/06/30
  • まあ、続きというか - finalventの日記

    どんなに悲しいことでも、今悲しいのでなければ(という言い方が曖昧だけど)、悲しかったのは過去だ。死別も、傷つけられたことも過去。 そして、たいていは、悲しいというのは、過去を悲しむ、というか、記憶を悲しんでいる。もっと正確に言えば、不在を悲しむ。悲しみの対象は、無だ。 しかし、実際の悲しむというのは感情のエネルギーだし、むしろ身体的を巻き込む情念に近いものだが、過去=不在を悲しんでいるとき、実は、こっそりと思考はトラップを嵌めているから悲しみが知覚される。 思考は、過去をこっそり修正しようとして、それができなくて、感情を巻き込んで、悲しませている。 それは過去なのだ、不在なのだ、どうやっても取り戻すことはできないのだと、いくら思考的に理解しても、たぶん、思考はそれでもこっそり過去を修復しようとする。未来において、達せられなかった、傷つけられた過去を、修復しようとする。 (愛されたかった、と

    まあ、続きというか - finalventの日記
    semis
    semis 2009/06/28
  • 夢をあきらめるということ - finalventの日記

    inspired by 夢をあきらめないということ 好きな学問を一生やっていきたいと思ったのは、 たしか大学一年生の時だった。 すぐさま書籍を買いこんだり勉強して それが成績に結びついたりして 俺の勘違いは始まった。 おれ、イケんじゃね? 成績がまんざらでもないことがが影響してか、 ただの勉強好き大学生に 奨学金とか来た。 (中略) ……挫折 ……失恋 ……騙し ……相続問題 ……事故 ……裏切り ……病気 (中略) それから20年経った。 人生ってのはわからないもんで、 ひょんなことから、 夢に諦めがついた 当にそれって自分の夢だったのかな そんな夢にしがみつきたかったのは 自分が空っぽだったからじゃないかな 海に面した断崖絶壁で ジュるジュると鼻水をすすりながら、 一人むせび泣いた。 夢と自分が思っていたものに ただ縛られていただけなんじゃないかな これからは夢じゃなくて 自分の人生

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    semis 2009/06/16
    本当は空っぽかもしれないものに固執してしまうこと
  • 悪ということ、少し - finalventの日記

    Gので、なぜか英語で覚えているのだが、No salt, no sugar という、彼お得意のナスレデッィン風の格言があったか。意味はよくわからないのだが、塩味がないと砂糖の甘さも効かないということかもしれない。Gは直接は悪を語っていない。Gはなにかもっとぞっとするような暗黒のようなものを語っている。彼にとって悪がなんであるかはわからないが、弟子との関わりでは、人が普通に悪と思うものについては寛容であったし、彼は意図的に悪を振る舞った。子どもだったピーターズはGにある女性になぜ不公平に振る舞うのかと問うたとき、Gはそれによって人が哀れみの心を持つと答えていた。たぶん、ある種の社会的な悪というのはGにとってはまったく意味の異なったものであり、存在の高度化はそうした機能的な悪との関わりを持つものでもあったのだろう。 ネットなどでも昔はそうでもなかったように思うのだが、ぞっとするような悪が露出す

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    semis
    semis 2009/05/27
  • この手のことに言及するのは野暮なことだが - finalventの日記

    ⇒童貞の皆さんに言っておきたいこと (セックスなんてくそくらえ) いくらセックスをしたところで、あなたは一人ぼっちです。 ⇒はてなブックマーク - 童貞の皆さんに言っておきたいこと (セックスなんてくそくらえ) 私はこの問題はというか、問題ということにすると、世の中の人に美醜があるのと同じくらい難しい問題で、しかも、そのかすかな真実が語られることが少ない問題だと思う。というかこの問題はうまく言葉で語れない部分を含んでいる。しかし、あえて言えば、「いくらセックスをしたところで、あなたは一人ぼっちです」ではなく、「一人ぼっちであることを確認する虚しい多数のセックスがある」ということのほうが正確で、私は男だからそしてあまり性的な経験に乏しいのだが、女を多数抱けばそれはそれだけ女のクラスの理解になるが、生身の女というのはクラスからインスタンス化したものではないことを忘れる。人クラスから「私」が生成

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    semis
    semis 2009/02/06
  • 人生経験とか - finalventの日記

    どうも説教臭いこと書いているように思われるかもしれないし、実際そうかもしれない。 うまく言えないのだけど、私は人生の失敗者でもある(別の見方もあるだろうけど)というか少なくとも、自分は凡庸だけど特例かもしれないなと思うし、まさか20歳まで生きられないと思っていた気違い少年が漱石先生の齢を越えるとは。 恋愛というのはいつになってもできるとか、オバサンたちやオジサンたちは言うけど、そんなことはない。若い時にしかできないし、きっちりその終わりというのはある。 ただ、そういう言い方は経験則というか人生経験というものだろうか。 というのは、「そんなことはないよ」は常に成り立つ。慣性質量の定義とは違うものだし。 偉そうなことを言えば、自分の人生経験という狭いウインドウから垣間見たもの質直感というものかもしれない。 なんでだろと思ったのだが、案外古典の弊害かな。若い頃それなりに古典とか読んだわけで、そ

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    semis 2009/02/06
  • ネットの執筆術6箇条 - finalventの日記

    inspired by [情報ダイエット] 毎日忙しくても文章を書き続けるための6箇条 | Lifehacking.jp メモなのか公開意図があるのかで書き分ける メモでも書いて置くと結果的に自分の思考を助けることになる ウケを狙えるのはそれなりの才能のある人だけ。それでも中長期的に自滅する ネットの旬の話題と距離を置く 読んでもらうためには結果的にその人が表現できていること 自分より知性のある人の場の感覚を意識する

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  • 好きなことをするということ - finalventの日記

    inspired by ⇒「好きを貫く」よりも、もっとずっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場 見る間にブクマが増えていて面白い⇒はてなブックマーク - 「好きを貫く」よりも、もっとずっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場 元エントリについて異論があるわけではない。まあ、人によっていろいろな思いをもって生きているんじゃないか。 自分については、自分が実践しているというわけでもなく、どっちかというと流されて生きているのだけど、この件について、ひとつだけいつも最初に思うことがある。英語で読んだで、子供に向けただが、将来、なにをしたらいいかというのに、"love to do"という答えがあった、それをいつも思い出す。 "love to do"は、単純に好きなことをする、でいいのだが、話のなかでは、"love"の語感を子どもたちに問うていた。簡単にいえば、好きなことをしてそれがあな

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    semis 2009/01/31
  • 増田古典的青春編 その2 - finalventの日記

    ⇒■ わたしは頭が良くない。 わたしはいわゆる「空気が読めない人」である。 わたしはコミュニケーション能力が低い。 : わかってはいたものの、どうしても受け入れがたくて目を背けてきた事実。 そろそろ戦わなきゃ、現実と。 現実と戦うかぁ。遠い目。 よくわかんないな。負けるからおやめなさいとも言えないし。 いずれにせよサバイブしているのは現実に勝ったやつってことか。 まあ、なんというか、人をそれほど気にすることはないよとは思う。 もひとつ。 ⇒■ この世には自分ひとりしかいないと密かに思っている。そして、それが間違ってると思おうとしてもできない。 「他人」というのがいる、というのが、どこか底のほうで信じ切れてない部分がある。それを訂正するためには、他人というのを信じてからでないと出来ない。そこで思考が閉じる。 まあ、わかるんですけどね、その感じ。 べたな言い方になるけど、他人を信じるか信じない

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    semis
    semis 2009/01/20
  • なんとなくブログの今 - finalventの日記

    今日あたりにいうとなんだけど、ブログの今というか、ちょっと変わりつつある。いわゆるアルファブロガーみたいなものの位置も単に解体・解消してきているのかもしれないし、全体の枠が大きくなってクラスター化しているのかもしれない。そこでは、従来アルファブロガーと呼ばれた人たちより影響力のある焦点が存在するのではないだろうか。私などはmixiとか見えないし、Yahooブログとかその他のブログはよく見えない。が、重層的な発展の形態なのかもしれない。 はてなというかはてな村は、こっそり異質化しているように思える。いわゆるはてな村的なぼこぼこの世界の嫌悪に聡い人たちはするっとTwitterに移行してある意味、はてなは空洞というか、はてな来のダイアリー=アーカイブ化しつつある。 はてな村、あるいははてな的なものは、率直にいってぶくまだけになっただろうが、人気・注目のリストはまったくナンセンスとは言わないが

    なんとなくブログの今 - finalventの日記
    semis
    semis 2009/01/20