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教養に関するsetofuumiのブックマーク (5)

  • 筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋社) - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    率直に言うと… 読むんじゃなかった。 正確に言うと、「いま」読むんじゃなかった。 以下、雑然と書く。読み終わってネットや読書家の意見交換などにあって、この作品自体は微妙な評価だし、やはり文学界そのものを扱っていることも関係しているのか好意的にせよそうでないものにせよ書評自体があまりない。文学の危機を筒井流にアレンジして、前の「大いなる助走」を補完する内容になってますね、でだいたい終わり。たぶん著者人も誰かにこれを論じてもらおうと思っている節もなく、綺麗な投げっ放しジャーマンで終わるあたりが「なるほど」といううねりを感じさせるに留まる。あれはそうしようと思ってできるもんじゃないだろうと言う意味での「なるほど」だろうと私は勝手に解釈した。たぶん、書いてる途中まで画期的で前衛的な何かをしたかったのではないかと感じさせる。途中、登場人物である作家の創造した作中の人物が仮想の巨船上で会話してる時点

    筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋社) - やまもといちろうBLOG(ブログ)
  • 教養について - Gちゃんねる

    私にとって教養とは、あるコミュニティーに所属・参加するための許可証のようなものだ。 例えば、mixiのB’z コミュに入ろうとしたとしよう。そこに入って、自分でスレッドを立てたりするには、最低限B'zに関して興味を持っていることが条件となるだろう。出来ればB'zの曲は全部歌えるとか、B'zの曲は全部持ってるとか、DVDなら「あのDVDのどの場面」と言われたら「ああ、アレね」とすぐに反応できるとか、そういう方がより相応しいにしろ、最低限、B'zに興味があり、これからB’z を知ろうとしていることが条件となるだろう。逆に、B'zコミュで、B'zとまったく関係のない話を延々続けたり、B'zと関係のないスレッドを立てたりすれば、荒らしとみなされてそのコミュニティーから強制排除されるだろう。このとき、B'zに関することがコミュニティー内で教養として機能する。 教養を身に付けることが何の役に立つのか?

    教養について - Gちゃんねる
  • smallpineの日記 / 腐りかけの果実の自分語り - 女であること、女になること、女を演じること。または如何にしてワタシは違和感を感じるのを止めて擬態を志し、それを維持してきたか

    いまさらボーヴォワールじゃないですが、コメントももらったことだし*1 *2、この話は個人的には思うところが色々あるので、ちょっと書いてみようと思います。幸いここは自分語り専用スペースであることだし。以下、つらつらと。起承転結無視で。 覚えている限りで最も古い記憶で、この話題に関係すると思われるのは、幼稚園入園前、友達が立ちションをしているのに自分が出来ないのはおかしいと思い*3、やってみて失敗したことです。下とが濡れる感覚を妙にはっきり覚えています。 その後は典型的な男勝りの女の子として育ったのですが、小学生の高学年頃、男女の扱いが分かれ、お互いの体に変化が生じる頃にはどうしても納得が出来ませんでした。そしてなんで男に生まれなかったんだと思っていました。その理由というのがなんとも奇妙なもので「宇宙人がやってきて地球の代表をひとり出せと言われたら、それは男だから」というものでした。なんて

    smallpineの日記 / 腐りかけの果実の自分語り - 女であること、女になること、女を演じること。または如何にしてワタシは違和感を感じるのを止めて擬態を志し、それを維持してきたか
    setofuumi
    setofuumi 2006/10/21
    男女はよくわからんがボーなんとかのくだりが良い
  • 教養は大好きだけどクソ食らえです(なにそのデレツン - 有給の風邪伝説。

    全国の人がみんな古典作品を教養としてではなくアニメとかゲームとかマンガとかのネタ元として片っ端から鬼のように消費するようになれば日も平和になるのに!←なるかボケ いやさぁ…だって同じ種類の作品から引用するのもなんかもうネタが枯渇しつつあるんじゃないかっていう。 お前らヲタ文化がみんなしぅてんぐ界隈みたくなったらどーすんだ!(なにそのひどい言いぐさ(もうなってるよっていうツッコミは泣きたくなるので不許可

    教養は大好きだけどクソ食らえです(なにそのデレツン - 有給の風邪伝説。
    setofuumi
    setofuumi 2006/10/11
    いやもうほんとそう
  • 最近の若いもんは教養がないのかどうか。

    虫博士のエントリ 最近、職場で、「最近の若い衆は最低限の教養すらない」というぼやきがあって、彼らのために「これだけは知っておけよ」というリストを年長者が作るべきではないか、という提案があった。まあ、俺もその立場上、そのリストを作らなくちゃいけないんだけど……憂だ。 http://d.hatena.ne.jp/nishiogikucho/20060530/p1 この話のグっと来るところは、ラストの「教養とはリスト化できない何か」というところだ。おれが想像したのは、運動する物体の持つエネルギー、放物線を描いて飛んでくるボールの、まさに飛んでくるさま。若さとイコールで結ばれることの多いそういう力が、最近の若者からは感じられないと博士は嘆く。 ほんとうにそうだろうか?最近の若いもんはそういうエネルギーに欠けているのか? 「ところで最近の若い衆は、背伸びをしない印象がある」という話になった。自分が

    最近の若いもんは教養がないのかどうか。
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