日本ブログ協会は、ブログの普及促進を目的とした団体です。
どっかのアルファなひとのタイトルみたいですが。 じつのところ、一昨日昨日と書いた「情報の氾濫」については、人間の側がしだいに適当な「体感速度」を得らるようになってくるはずなので、たいした問題ではありません。みんな「アンテナ以後」であっても、ちゃんと乗り切ってるんだし。飽和してきたら、たぶん不要なところを切り捨てていくのでしょう。 こちらにかかれているように、 はてなブックマーク経由のアクセスはかなりあって、おそらくそれがアクセス微増の原因だと思うのですが、同時に、これまで自分のブログでここに言及されていた方が、ブックマークすることで終わりにしているケースも多いようです。 ブックマークのコメントによって満足してしまっているのか、あるいはブックマークそのものの加速によって言及すべき・したい話題そのものが流れていってしまい、つぎつぎに出てくる情報を収集するだけで手一杯なのか。 「加速」という点に
結論 今のはてなブックマークは「2ちゃんねる 2.0 」だ。我々ユーザーはコメントではなくブックマークをするべきだ。 以下はおまけです 俺は前から(去年の秋くらいから)「はてなブックマークはニュース速報@2ch 化している」という話を会社のひととかとしていて、しかしウェブで書くようなことでもないよなと思っていたのだが、ちょうどいい感じのキーワードを思いついてしまったからちょっと書いておこうと思った。ちなみにどこがどう 2.0 かと言われてもそんなことまで考えていない。はてなだしいいじゃない。 はてなブックマークのトップページをみているとちょっとイライラする。軒並み数百人からブックマークされている、しかし大して面白くもなさそうなエントリが延々と並んでいるから。ブックマークコメントを読みに行くと悲しくなってくる。感情丸出しの、脊髄反射としか思えないコメントが延々と並んでいるから。翻って、自分の
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
ときどき何もできないことがある。 メールを読んで、Google+を眺め、twitterをチェックして、ニュースとかを読み、Google+にコメントをかいて、メールを読んで……みたいなのを繰り返し、一歩も進めなくなる。そんな時がある。 そんなこんなであるとき、なんか今日、メールとか読んでばっかりで全然仕事できてないんですよね、などと愚痴っぽく話したところ、それはもろに射撃しつつ前進だねと指摘された。そんな話だったっけ?とすっかり忘れた頭で読み直したら全くそのとおりの話だったのでおかしかった。忘れすぎだ自分。 射撃しつつ前進というのは優れたエッセイだと思うけれど、けっきょく何が言いたかったのかはよくわからない。最後のデータアクセスストラテジーがどうこういう話、ありゃ何なんだろ。正直、いまだによくわからない。今回これを書くために読み返してみたけれど、やっぱりよくわからない。 多分(私にとって)大
来月に持ち込まないために今書いておきます はあちゅう主義。:小娘が何か言ってます。 元記事 はあちゅう途中報 まとめ はあちゅうは、文部科学大臣のスピーカーだった 意外な新事実 最初は「ネタ」「釣り」「はいはいワロスワロス」「こやつめワハハ」だと 思われていたのだが、実は意外に根が深い問題かもしれないので改めて書く。 学生さん的正義について考えてみる 現実と理想の二項対立を拒否する 以前はわりと手ぬるい批判をしたのだが、今回はわりと本気で批判してみる。 内在的な矛盾を批判する 単に特定のキーワードを使っているから、それによってラベリングして 機械的に否定しているわけではない。そうではなくて内部矛盾がある。 そういう低レベルなことをぼやいてる奴らをまとめて、カルカッタのマザーハウスとかルワンダとかに全員ボランティアに行かせるべきだと思った 向こうも迷惑だろうけど、頭下げて勉強させてもらいに行
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない! この人を見よ! http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060225 このリンク先をみて、不愉快さで全身がむずがゆいのですが、その後の展開及びそこの掲示板と化したコメント欄で繰り広げられる昆虫化したポストポストモダンを目にしてさらなる絶望を呼び起こされる今日この頃。 知らないものは知らない、というのは一見正論だが、実際のところ知りたくないものは知らないという詭弁に用いられているに過ぎない。 情報過多で、有象無象玉石混淆のこの断片化社会では良くある話かも知れない。 にしても、最悪なのはその掲示板化したコメント欄で一切の対話が発生していないことだ。価値観の違いは仕方がないにしても事実関係の共有すらままならない。ただのカルト同士の神学論争となって、衝突から何も生まれていないことに
「どうしてそんなことまで書くの?」 他のブログを読んでいてそう思ったことはないだろうか。そんなことは書かない方が良いのに、書かなくてもいいことなのに、それでも書いてしまう人を見て疑問に思うことはないだろうか。私は、そう思われるように、自分の感じたことは例え自分が不利になるようなことでも全部書いていきたいと思う。 アウトプットの重要性。 では、なぜそこまでしてアウトプットに拘るのか。それは、自分の中から情報を出すことによって、別の情報を得るためだと思っているからです。例えば、本棚を想像してください。本棚にはギッシリと本が詰まっています。そこで、新しい本を買ってきても、本棚には入れるスペースがないため、床に置いておきます。そしてそれをどんどん繰り返すうちに本棚のまわりに本が山積みとなり、どの本がどこにあるかさえ分からなくなってしまうのです。私にとって、情報も知識も同じようなものだと考えています
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