誰かが感動するなにかを作ることのできる人間が、そのなにかによって喚起された誰かの感動を嘲笑う可能性は常にある。たまたま発信者と受信者に双方向性が保障されていないという、それだけの偶然によってものすごく膨大な「プギャー」が、実際には発せられず、伝わっていないだけの話だと思う。もちろん世の中には稀になんというか人生に真摯なひとも居るので、自分の作ったものを見て感動した人間を嘲笑わない立派なひとも居るだろう。またはプロとしてそういう態度を表に見せないとか(実際職業的な自負によってそれを律しているひとは多そうだ)。けど世の中にあふれる表現の大部分は、やはりそれほど立派でないひとたちによって作られたものなのだろうと思う。確率の問題だ。 というようなわけで、本来人間が被造物を見て何かに感動した場合、その感動が造物主に嘲笑われる可能性を踏まえたうえでそれを表明する必要がある(「おまえはおまえの被造物をど