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ブックマーク / nijuusannmiri.hatenablog.com (3)

  • 2007-01-19

    タイトルの文章を思いついて、それは具体的にはどういうことなのかと、ぐるぐる考えているのだけれど、上手く説明できる気がしないのです。しないのですが、まぁ、ちょっと書いてみます。 いきなり題に入りますが、どうも「世論」というものに引っかかっているんです。なんつーか、これってどう考えても変なもんだよな、と。 何が変かって、「世論」を構成しているパーツを細かく見ていくと、結局は「個人の意見」にたどり着くはずなのに、どうも「世論」そのものを捉えようとすると、あったはずの「個人」という主体が見えなくなってしまう、というところ。 何も「世論」なんて大げさなものに限らず、こういう傾向は他の場面でもあるんだろうと思います。どんな傾向かって、つまり、「個人」の意見・見方を集約して、何らかの「集団」*1 の意見として提示されるものは、多かれ少なかれ「主体」を失っている、ということ。 多分、これは人が自覚しよ

    2007-01-19
    setofuumi
    setofuumi 2007/01/27
    主体が失われているという話
  • 23mmはてな日記 - 僕が人を殺したかった頃

    「『人を殺してはいけない』を否定しない」とか「人を殺したくない」とか最近いろんなところで書きまくってきたのですが、じゃあ僕が「殺したい」と思ったことが一度も無いかと言えば、そんなことはないです。というか、一度どころで済むような話じゃないですね、きっと。 それは10代の頃の話。「殺したい」と思った理由は、もう思い出したくもないのですが、まぁ、いじめとかそんなこと。「殺したい奴リスト」は実際には書かなかったけれど、頭の中にはあったな、確実に。あの頃は、殺す理由とか動機とか山ほど抱えていたような気がする。 それじゃあ、なんでそのときに僕は「殺さなかった」のか? 「人を殺してはいけないから」? 「命は大切だから」? 「法律で罰せられるから」? 「地獄に落ちるのが怖かったから」? うーん、どれも違うな。漠然とした「怖さ」はあったかもしれない。それは宗教的なもんではないけれど。高いところが怖いとかそん

    23mmはてな日記 - 僕が人を殺したかった頃
    setofuumi
    setofuumi 2006/06/24
    なぜころ
  • 僕だけかもしれませんが - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は

    あんまり濃くて、強く衝撃を受けた文章に出会うと、ブクマする気になれないことがあります。(そもそもそんなに活用してませんけど。) 「強い文章」を読むと、いや文章に限らず「強い表現」(=音楽でも絵でも映画でもなんでもいいんですが)に触れると、「あぁ、もう戻れないな」と感じるときが僕にはあります。「それ」に出会う前と後では、自分の中で何かが決定的に変わってしまって、「それを知らなかった自分」にはもうなれないんだ、という感覚。無理矢理「変えさせられる」と言った方が近いかも。*1 それは「感動した」とか「感銘を受けた」とかそんな言葉では足りなくて、というか「変わった」ことが良いことなのか悪いことなのかすらよく分からない、そんな境地で。 そういうことは、人生の中でそう何度もあることじゃないんですが、でも確実に、どうしようもなく、起こってしまうことでもあります。 それは、時には気分を高揚させもするし、時

    僕だけかもしれませんが - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は
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