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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (5)

  • 左翼・右翼・保守主義(承前) - shinichiroinaba's blog

    もう皆さんお忘れだとは思いますが。 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060712/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060723/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060804/p1 - あらためて整理するならば、左翼は共同体のうちに「亀裂」「危機」を見出し、その克服を共同的秩序そのものの解体再編=革命によってなしとげようとする。それに対して保守主義者は、「亀裂」「危機」の存在そのものは認めながら、全面的な革命によってではなく、あくまで部分的修正によって対処しようとする。これに対して右翼とは、「亀裂」「危機」自体の存在を否認する立場である。 ただしここで考えなければならないことは、「亀裂」「危機」に対する素朴実在論的な立場は問題をはらんでい

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  • 左翼・右翼・保守主義(承前) - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060712/p1 - 果たして「深い亀裂」とは何であるのか? 当はありもしない「亀裂」「危機」について左翼は妄想を抱いているだけ、という可能性はあるのか? 左翼人士もまた公共社会の一員であるのだから、なによりもまず危機意識を抱く左翼の存在そのものが既にして「亀裂」「危機」の、単なる表現とか徴候の域を超えた実体的な一部をなしており、それ自体で「危機」「亀裂」の存在を証拠立てている、とは言えそうである。しかしそうだとしても問題は残る。仮にこの「亀裂」「危機」を感受する一部の「左翼」の存在が問題の「危機」「亀裂」の単なる一部ではなく、全部であるとしたらどうだろうか。そうだとすれば、危機意識を抱く左翼を何らかの仕方で社会から切り離せば、「危機」「亀裂」は解消する、ということにならないだろうか? ――これはまさしく田

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  • 左翼・右翼・保守主義 - shinichiroinaba's blog

    田島正樹『読む哲学事典』(講談社現代新書)における「保守主義と左翼」項を中心とする一連の議論(書中の他項目並びに田島のブログ「ララビアータ」http://blog.livedoor.jp/easter1916/における関連エントリ)は、近年の憲法体制について考える上できわめて興味深い。 田島によれば「愛国的情熱は、公共性がいまや危機に瀕しているという危機感の中で生まれる政治的=公共的関心である。したがって愛国者にとって、政治的公共性(祖国)は黙っていても所与のものとして自然に存在しているものではない」(前掲書「保守主義と左翼」205頁)。 「ここで、祖国が直面する危機を、その政治的共同体内部の問題として捉え、それ自身を、常に潜在的に亀裂や対立を内包するものと見る立場を、左翼という。それに対し、祖国そのものは元来分裂を含まぬ統一体であるとみなし、それゆえ、祖国の危機はもっぱら外からのもの、

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  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - ゲームと公共性

    http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_e146.html 文献リストがほしいですな。 とりあえずweb上では http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/lhcontents.html#vol2 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/510/510-1.pdf http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/510/510-2.pdf 告知を忘れていたが実は24日土曜日には福岡に飛んで、久留米大学サテライトキャンパスの公開講座で、「日にとってマルクス主義とはなんだったか」という話をしてきたのだ。 昨日28日には都立新宿高校で出張模擬授業をしてきたのだ。お題は「ゲームと公共性」。でも「公共性」という言葉の解説に時間をとられてゲー

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  • インタラクティヴ読書ノート別館の別館:『コルナイ自伝』

    http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50505045.html 『読む哲学事典』「保守主義と左翼」がよい論点を提起しているだけに、気になるエントリなのだが……ハイデガーの「来性」の批判的検討をしている辺りまではよいのだが……福井総裁の話を始めてからがいけません。 一般の人々は、日銀総裁の行動に疑惑を持ちながらも、テクニカルな問題にまで立ち入って判断するのが難しい。しかし、それが法規違反、ないしは日銀の内規違反とまで言えるかどうかにかかわらず、「敵」を鮮明に指定することによって、一般の人々を政治的に動員することが可能になるのである。政治的結集には、テクニカルな厳密さよりも、迅速さと明確さが必要なのは言うまでもない。 この辺まではいいです。それがプラグマティズムというものです。クルーグマンもそのような意味において、マイケル・ムーアの『華氏9

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