ある理論を弾圧するには、自己の理論の「無謬性」を信じることが、その根底にある。 全ての人間は間違いを犯す可能性がある。と言う人類の第一定義を認めているのにもかかわらず。具体的な部分に於いてそれを認めないというのも、その間違いの一つであろう……。 自らの信念のもと、強引に実行に移し、既成事実を作ってしまうか、あるいは、反論の必要を認めず、人を洗脳するかのように自らの考えを広めることが最適だろう。そして、それを行う場としてブログは全く相応しくない。 確かに言うとおりである、自らの信念は信念であるが故に「無謬なもの」として定義せざるを得ない訳で、そこに反論はあってはならないと言う思想が必要だ。 そのためには、万人が反論できる場に論を掲示するというのは大きな間違いと言える。 (まあ、しかしながらそこまで自己の思想に無謬性を信じて疑わない人は「狂信者」と言えよう。故に、「大いなる皮肉だなぁ」と私は感