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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (27)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 震災以降

    震災以降、何か気分が変わって、まだその中にいる。 震災前、ぼくは、日の大学入試のあり方や、新卒一括採用のあり方、記者クラブ、それから、ルールやコンプライアンスを出来損ないの人工知能のように押しつける日の社会のあり方について、大いに違和感を抱き、そのことを表明してきた。 震災が起こり、みながその対応にかかり切りになった。その時、ルールやコンプライアンスなどを杓子定規に当てはめることが無意味だとみなが気付いた。そのこと自体は良かったけれども、気付いてみると、依然として古い日の制度は残り、システムは存在し、組織は続いている。 ぼくは二つの意味で無力感にとらわれた。一つは、いくら言葉を尽くしても変わらなかったのに、震災という外部要因であっけなく変わってしまったということ。それから、震災の後も、アンシャン・レジームは化石のように残り続けているということ。 ぼくは次第に、社会の中で意味のわからな

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    shigeo2 2011/04/25
    社会を変革するよりも、する前に、する代わりに、自分を変革する。 / 震災以降
  • 茂木健一郎 クオリア日記: Facebookの謎

    このところ、Facebookに対する注目が集まっている。米国内ではアクセス時間でGoogleを超えたのだという。「検索」から、人と人の結びつきを通して情報が流通する時代、という変化は概念としては理解できる。どうしても理解できないのが、なぜ人々がそんなに長い時間をFacebook上で過ごすのか、ということである。 日SNSとしては、mixiが先行した。私もかなり初期に登録したが、「マイミク」が500人を超えたところで、わけがわからなくなってやめてしまった。「あしあと」とか、そういうことに対応している時間が、もったいなくなってしまったのである。 mixiに比べて、Facebookは実名が基であるなど、いろいろ違う点があるという。日でFacebookが伸びない理由を、日のウェブの匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが質だとは思えない。 Facebookのインターフ

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    shigeo2 2011/01/12
    体験の質というよりも、単にコンタクトリストという側面のほうが強いのでは。RT @little_shotaro: 多くの日本人が感じているだろう違和感について代弁してくれています。/ Facebookの謎
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 属人的であることをやめたアイデアの流通

    立場によって意見が異なる問題について、当に問われるべきことは、それぞれの文化、社会セグメントの中でYESとNOがどれくらいの割合で存在するかということではない。 より大切なのは、YES、NOと言っている人たちの背景になっている考え方が、どのようなものであるかということである。 たとえば、捕鯨の問題について考えてみよう。この件に関する日国内の意見は、私がいろいろな人と話した結果によれば、YESが多いようである。一方、イギリスやアメリカ、オーストラリアではNOが多い。 このYESとNOの対立を、属人的、ないしは属グループ的なものにしてしまうと、もうそれ以上議論が進まない。そうして、偏見や切り捨ての原因になる。世界のさまざまな人たちが密接につながっていくグローバリズムの時代に、あまり有意義な事態には至らない。 一方、YES、NOの意見の背後にある理由や、文化的背景を言葉にして表現することには

    shigeo2
    shigeo2 2010/12/16
    「属人的であることをやめたアイデアの流通、取り引きこそが、私たち人間の知性を発達させてきた。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 未知の贈り物

    波照間島のビーチで座って 見上げているプロフィールの写真、 それなりに気に入っていたのだけれども、 ココログのシステムとして、 併設の『プロフェッショナル日記』 も同じ写真が表示されることがわかって、 どちらにもフィットするものをと、 新しいイメージに変えた。 先日上田義彦さんのスタジオに 伺って『プロフェッショナル 仕事の流儀』 の新しいホームページのための写真を 撮影していただいた時のスナップ。 普段あまりこういう恰好をしないので、 「よそ行き」に見えるけれども、 ご容赦。 このところ、英語の書籍を 乱読していて、止まらない状態。 日の知識人は明治以来輸入業者に 徹していたが、ボクは格的な輸出業を しようと誓って、去年の12月くらいから いろいろ始めた。 何が自分の中で変化したのか、よく わからない(自分の人生では、 大抵の場合、大きな変化が 起こる時はいつの間にかふわっと完結して

    shigeo2
    shigeo2 2010/12/01
    「そのようなボクの立場からしか分泌されない何ものかを世界のスモールワールドネットワークに向かってweb 2.0的に表出したいと思った。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 言語政策

    しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう。 MacBookが壊れてさ、修理に夢中になっているうちは「お祭り」なんだけど、それが終わると、結局仕事仕事仕事の日常が戻って来るんだよねえ。 言政(1)言語政策(language policy)は一国にとっても大切だが、一人ひとりにとっても重要である。今朝は言語政策について考える。 言政(2)明治以降、西洋の概念を翻訳することで日語の宇宙は豊かになった。中国でも、社会科学で使われる概念の7割はこの時期の「和製漢語」だという。 言政(3)翻訳文化は、一方で、リンガ・フランカである「英語」の世界との直接のやりとりを妨げた。この点が、現在に至るまでの日の禍根となっている。 言政(4)「翻訳」はアルゴリズムではできない創造的な行為であり、日語の耕作はこれからも続けなければならない。英語を公用語の一つとするのは良いが、第一言語とするのはナンセ

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    shigeo2 2010/10/28
    「日本語を大切にする一方で、リンガ・フランカたる英語での表現、活動にも全力を尽くす。このようなダブル・バインドな状況に身を投じるしか、日本人にとって「納得のいく」言語政策はないだろう。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 「私塾」

    私塾(1)吉田松陰の松下村塾は、わずか3年しか存在しなかったが、高杉晋作など、多くの維新の志士を生み出した。これからの日、世界に新時代をもたらすのは、「私塾」であろう。 私塾(2)「大学」は、規模が大きすぎるのが欠点である。何か変えるにも、時間がかかって仕方がない。規模が大きいからこそ、ブランドとなり、学歴信仰を呼ぶ。私塾は小さいから、実質において勝負するしかない。塾長の資質を慕う人が集まり、切磋琢磨する。 私塾(3)緒方洪庵の「適塾」で、福澤諭吉は猛勉強した。病気になり、寝ようと枕を探したが、枕がない。その時になり、はじめて適塾に来て以来勉強しては仮眠し、目覚めてはまた猛勉強というありさまで、枕を使って寝たことがないことに気付いた。 私塾(4)「私塾」を始めるのに、何も要らない。喫茶店でも、自分の4畳半の部屋でもよい。補助金も、認可も要らない。ただ、「始めるよ」と言って、同志が集まれば

  • 茂木健一郎 クオリア日記: どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。

    昨日、代々木公園野外音楽堂で「就活生の音フェス」があった。明治神宮の森を抜けて、駆けつけた。ちょうど、定刻の10時。しかし、少し押した。 「ユーストリームするのか?」と聞いたら、「機材がありません」などと言うので、その場でマックブックを出して、e-mobileでつないで自分でユーストリームした。生中継しながら、録画した。 最初の僕のセッションが終わって、次の杉村太郎さんが喋っている時に、舞台のそででMacBookのそばに座っていたら、実行委員の女の子が来て、「あのう、お客さんから見えないところに下がってくださいと、ディレクターから指示が来ていまして」と言う。 その女の子には全く罪がないのだが、オレはカチンと来て、「邪魔なのか?」と聞いた。そうしたら、「メディアの方もいらしてますから」というので、ますますアタマに来て、「どうせベタ記事にしかならねえぜ」と言った。 今朝の朝日新聞東京版に記事

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 自分自身からの脱藩

    世の中には、他人に対して、「お前はこうだから」と決めつける論がある。また、そのような決めつけを商売をしている人たちがいる。 科学的な皆無である血液型人間学もそうである。あるいは、学歴で人を決めつけるという風潮もそうである。あるいは、日人は日の風土、日の社会の中に生まれ、育って来たのだから、変わることなどできないという論もそうである。外国語や音楽の修得には、早期教育が不可欠であるという論もそうである。男女の脳差を強調し、固定化する風潮も然りである。 人をカテゴリー分けして、安心する。それは、「現状」を追認し、安定させるには資する。しかし、人間の脳の可塑性、「変化し得る」能力に注目し、引き出す上では阻害要因となる。 実際には、人間は、変わることができる。確かに、生きる上でさまざまな制約や、持って生まれた資 質はある。しかし、だからといって、人生がすべて決まってしまうわけではない。幼い時に

    shigeo2
    shigeo2 2010/07/18
    「自分自身から脱藩して初めて、人は偶有性のさわやかな風に身をさらすことができる。自分自身から脱藩してこそ初めて、私たちは潜在能力を遺憾なく発揮して成長することができるのである。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 坂本龍馬の人生の時々刻々を想像することで、ひんやりとした偶有性の風に自我をさらさなければならない。

    脱藩するということは、すなわち、これまで自分を守ってきてくれた有形無形の組織、システムから離れて、人生の偶有性に身をさらすということである。 そこには、「成功」の保証など、どこにもない。最後は必ずハッピーエンドになるという必然もないのである。むしろ、あるのは、一寸先は暗闇であるという見通しの悪さ。そして、胸の中にうずく不安。今までいたぬくぬくと温かい場所から一転して、ひんやりとした風が直接自分に吹き付けるという環境の変化がある。 もともと、私たちの人生に、絶対的な安全、確実など存在しない。「脱藩」することで、私たちは特別な冒険に出るのではない。むしろ、人生の最初から何も変わることがない、不変の条件に回帰するというだけのことなのである。 坂龍馬が満26歳で和霊神社に参拝し、水杯で武運長久を祈り、そして脱藩していった。「吉野の山に桜を見に行く」と言い残し、脱藩の道を歩いていった。脱藩を前にし

    shigeo2
    shigeo2 2010/07/18
    「あるのは、一寸先は暗闇であるという見通しの悪さ。そして、胸の中にうずく不安。今までいたぬくぬくと温かい場所から一転して、ひんやりとした風が直接自分に吹き付けるという環境の変化がある。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 大学から「脱藩」する

    においては、「大学」がブランド化している。また「偏差値輪切り」という根拠が薄弱な階層化によって、一方では怠惰を生み、一方では無気力を生んでいる。 このような実体を見る時、大学という「組織」を「脱藩」するためのノウハウを積み重ねること、社会の中に、大学という「組織」に頼らなくても学問ができるようなシステムを構築することは、重要な課題であると言えるだろう。 先に述べたように、今では、最先端の学術情報は、その多くが「無料」で手に入るようになってきている。以前ならば、大学の学科の図書館に行き、専門雑誌を参照しなければならなかった情報が、ネットで検索すればワンクリックで検索できるようになった。 私が大学生の頃は、物理学の専門雑誌である「フィジカル・レビュー」や、「フィジカル・レビュー・レターズ」を読もうと思ったら、物理学科の図書館に行って、最新の号だったら雑誌のページをめくり、以前のものだったら

    shigeo2
    shigeo2 2010/07/18
    「現状でも、カリキュラム情報を収集することは可能であり、インターネット上で学問上の議論をする仲間を見いだすことはできる。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「藩」の正体は、「脱藩」して初めてわかる。

    龍馬は、満26歳の時に、和霊神社に参拝し、水杯で武運長久を祈り、そして、「脱藩」していった。土佐藩という「組織」から離れてひとりの人間として自由に活動したことが、その後の「海援隊」結成、「薩長同盟」締結、そして「大政奉還」の実現といった偉業を成し遂げる上での基盤となった。 ここで興味深い事実は、龍馬の生きていた江戸時代には、「藩」という言葉はなかったということである。一部の用例を除いて、「藩」という呼称が使われることはほどんどなかった。明治に入り、いわば旧時代の体制を認識するための概念として「藩」という呼称が使われるようになったのである。 その藩も、1869年に諸大名が天皇に領地、領民を返還した版籍奉還、さらには「藩」を廃して「府」や「県」とした1871年の「廃藩置県」によって解体され、消滅することとなった。1867年の「大政奉還」からわずか4年。「藩」という呼称が広く使われるようにな

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 子どもの頃読んだファンタジーとしての「偉人伝」から離れて

    二十代、アメリカやイギリスの書店を訪れることが多くなってしばらくして、日棚と比べて大きく異なる特徴に気付いた。 それはすなわち、biography(伝記)のコーナーの存在感である。歴史上の有名人物から、現在生きている話題の人まで。実にさまざまな人物の伝記が出版され、大きな棚を占めている。 一人ひとりの生き方に対する強烈な関心。それを、自らが生きる上での糧としようという志向性。日の出版会とは異なる傾向がそこには顕れていると思った。 さまざまな人物の「伝記」を読みたいという欲望は、すなわち、イギリス人やアメリカ人の「マインドセット」に由来しているに違いない。一体、彼らはどうしてこんなにまでして伝記を読みたがるのか。大いに興味を抱いた。しかし、なかなか、その意味を探求できないままでいた。 この数年、日の社会の問題点について自らのマインドセットを探る痛みとともに考える中で、「あ あ、そう

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 坂本龍馬が現代に生きていたら、スティーヴ・ジョブス氏のよき友人となったろう

    グローバリズムの時代となり、インターネットをはじめとする情報ネットワークで世界中が結びつけられ、偶有性が避けられない時代。このような時代に日が適応し、再び輝きを取り戻すためには、「脱藩」精神を持つことが避けられない。 日人が「脱藩」精神を発揮する上で、阻害要因になっていることはいくつかある。実際、日人の多くは、「脱藩」からほど遠い生活を送ってきたし、今も送っている。 やっかいなのは、それらのことの多くが、明示的なルールにも、言語にもできないということである。無意識のうちに日人の多くが従っている暗黙のルールがある。 そして、そのことに、日人である私たちは、なかなか気付かないのである。 意思決定のプロセスや、システムの在り方を議論する際に、しばしば「マインドセット」という言葉が使われる。ある組織やグループに属する人々がさまざまなことを評価したり、行動の選択をするにあたって暗黙のうちに

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 日本の大学入試は「プロクラステスのベッド」である

    の大学入試問題は、文部科学省の定めた「高校」までのカリキュラムの中で、思考能力を求められる問題が出題される。 そのレベルは、たとえば、アメリカのSAT(Scholastic Aptitude Test)、ACT(American College Testing)などの試験に比べて、格段に高い。 そのことは、たとえば、このSAT practice test http://www.proprofs.com/sat/exams/practice-tests.shtml# と、2010年度前期 東京大学入試問題 http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/recent/tokyo/zenki/index.html を比較すれば明かだろう。 このことは、大学入学時点での日の高校生の学力水準を高めに保つ効果を持つかもしれない。一方で、日の大学入試は、「プロクラス

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    shigeo2 2010/07/02
    『行きすぎた標準化の弊害』
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ステレオタイプの学歴信仰は、根拠がない点において、「血液型人間学」と大して変わりがない。

    ある人が、ある組織に関わっていることが、その人が未踏の境地に挑戦する上での「安全基地」になることは、ある程度はあるかもしれない。しかし、それはあくまでもその人がその組織とつながる人と共同作業をしたり、資金、資源的な支援を受けたり、「のれん」や「ブランド」を用いることができたりといった、具体的な行動と結びつくプロセスを通してでなければならない。 ある人が、ある組織と関わっていること自体が、その人のプライドになったり、あるいは劣等感につながったりするようなことがあると、それは一つの病理学へとつながる。何よりも、それは、科学的な態度とは言えない。何よりも、そのような態度は、その人の「安全基地」の構築にはつながらないのである。 日では、大学がその「偏差値」によって「輪切り」され、そのことによって「序列」があると思い込んでいる人が多い。このことが、いかに非科学的な態度であるかを認識することは、日

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    shigeo2 2010/07/02
    そのひとが今何を考え、何をしようとしているのか、それに興味がある。『言葉を交わし、一緒に仕事をし、お酒を飲む中で、その人の個性を測り、力を受け取り、一緒に何ができるかを探っている。』
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 母校での授業で、思い切り噴火してみた。しかし、空噴火に終わった。訪れた認識。すべての問題は、個人的な問題である。

    母校での授業で、思い切り噴火してみた。しかし、空噴火に終わった。訪れた認識。すべての問題は、個人的な問題である。 ある出来事についてのすべての記述、評価は原理的に主観的なものだから、昨日こんなことが起こったという私のこれからの記述も、あくまでも私の眼から見て、そのようなことがあったように感じた、ということかもしれぬ。 年に一回の母校での授業。畏友にしてソウルメイト、池上高志がこのところずっと招いてくれている。 前日、池上がtwitter上でメッセージをくれた。 @kenichiromogi you know Japanese is strictly prohibited in the lecture. Use other languages. それで、ぼくは、どうかなあ、と思ったけれども、池上に次のように返事した。 good. i will use maths, baby talk, ge

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    shigeo2 2010/06/20
    茂木さんの切実な言葉に、揺さぶられるひとたちはきっといる。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ツイッター私塾

    ツイッター私塾 インターネットの発達により、学術情報自体は、ネット上にふんだんに存在する時代になった。誰でも無料で多くの情報に接することができる。そのような時代には、「大学」の役割は変化する。情報そのものではなく、「人」が重要な資源となる。 人の知性の総合性は、アルゴリズム・ベースの人工知能で書くことができない。それは、生身の人間がその肉体の中に持つ体系性の中に提示されるしかない。大学の役割は、すぐれた教員、すぐれた友人との出会いだろう。 生の有機的体系性の重要さを一歩進めると、「私塾」の思想となる。大学とは、私塾の集まりであると言ってもよい。幕末、多くの私塾が有為の人材を輩出した。松下村塾、適塾など。 しばらく前に、「私塾」をやりたいなと思った。しかし、時間的にも、場所的にも、なかなか難しいものがあった。一番の困難の一つは、どのようにして人を「セレクト」するかである。誰でも入れるオープン

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    shigeo2 2010/06/19
    『全ての質問に答えることは、必ずしもできない。自然に、質問にも、「淘汰圧」がかかることになる。』
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 新しいカレッジ

    の代表的な大学の一つ、東京大学のことを書く。 東京大学の学部入試が、現状のままでは、事実上日語を母語とする人が殆どとなり、大学が国際化を図る上での損失が大きい。 単に、学問上の問題だけではない。これからのグローバル化の時代に、多くの異なる文化背景からなる人たちが集まり、共に学習することでお互いに知り合いとなり、人脈を作る。そのような体制を作ることが、10年、20年後になると決定的に効いてくる。 東京に、(おそらくは)アジアを中心に有為の人材が集まり、4年間学び、そうしてまた各地に散っていく。そのようなシステムを作れば、日の地位の向上、国際化の進展にじわりじわりと効いてくるだろう。 そのために、理科I類からIII類、文化I類からIII類の現行の入試体制を変えることが難しいのであれば、それらとは別に、少人数のリベラル・アーツ・カレッジを東京大学内に設けることを提案する。 一学年の人数は

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    shigeo2 2010/06/14
    東京大学のトップにこのエントリー届かないかな。Twitterアカウントが見つからん。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連結した多様性のクラスター

    グローバリズムの進行によって、世界が「単連結」になっていくことは、必ずしもさまざまなものが均質化することを意味するのではない。 むしろ、世界中が一つに結ばれつつも、その内部で多様性が保たれるための方法論があるはずである。 世界中の人たちと向き合い、交流することで、「均質化」だけでなく、「多様化」のダイナミクスもまた、作用し得るはずだ。 一つのひな型が、脳である。脳の中の神経細胞のネットワークは、疑いなく「単連結」である。(そもそも、そうでなければ、一人の「人物」として、無意識のプロセスと意識のプロセスにまたがる統合された「人格」が形成されない。 その脳内の神経細胞の活動によって生み出される私たちの「心」の中に、さまざまなクオリアが生まれる。また、無限といってよいほどの観念が存在する。 脳の生み出す心の、そのような有り様を観察すれば、単連結になったがゆえに、むしろ多様性が育まれる、そんなメカ

    shigeo2
    shigeo2 2010/06/14
    『相互作用のための共通の基盤を持つことは、多様性の低下への道筋ではなく、むしろ、連結した多様性のクラスターが生み出されるための必要条件である。日本人にとっての英語習得の意義は、結局そこにある』
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。

    TEDx Tokyo  は楽しかった。ぼくは、The blessings of scienceというタイトルで話した。 (講演中の私の写真。TEDx Tokyoのホームページより) 池上高志と、「楽しかったね」と言いながら帰ってきた。英語がベースになると、文脈が変わる。やはり、その言語が育まれてきた関係性の蓄積が違うからではないか。 「この前、トリニティでホラス・バーローと話した時、お兄さんがルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインと知り合いで、ロンドンで開いていた研究会には、アラン・チューリングが来たと言っていたからなあ」と言うと、池上は、「それを言ったら、オレたちは絶対負けということになるじゃないか」と叫んだ。 まあ、実際のところ、科学や哲学については、そうかもしれぬ。 英語には英語の文脈があり、日語には日語の文脈がある。来、どちらにも優劣はない。すべての言語には、その言語にユニーク

    shigeo2
    shigeo2 2010/06/09
    『単連結な世界で、英語はリンガ・フランカであり続けるだろう。世界のさまざまなローカル文化を資本主義そのもののごとく貪欲に吸収しながら。』