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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (23)

  • 「恋愛も結婚もしなくなった日本は未曾有の先進国」 - シロクマの屑籠

    未婚の理由「めぐり合わない」 一方で「探していない」も | NHKニュース 先日、内閣府が少子化社会対策白書(2019)を発表した内容をNHKが報道しているのを見かけた(pdf版はこちら)。 日では、結婚しなければ子育てはほとんど始まらない。だから少子化社会対策白書に未婚男女の意識について記されているのは当然なのだが、白書によれば、結婚を希望している未婚男女の多くが「出会わない」だけでなく「相手を探してもいない」という。 挙児は一人ではできない。少なくとも一般的にはそうである。 にも関わらず、未婚の男女が「出会わなくて」「相手を探してもいない」のだから、結婚は増えないし、子どもの数も増えない。たとえ婚外子を許容する文化風土ができあがったとしても、そもそも、男女が出会わなければ子どもは生まれてこないのである。 少子高齢化という視点で考えるなら、このままでは国力は下がり、税制は混乱し、やがて

    「恋愛も結婚もしなくなった日本は未曾有の先進国」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2019/06/25
    これってマルクスの言う資本主義社会における「疎外」なのだろうなと思う。「疎外」が労働者に内面化され規範化された社会では、「疎外」は全て個人の問題とされ、決して社会への批判には向かわない。
  • 現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠

    現代人は、適切な努力を積み重ねるよう求められている。 我々は、いつかは「適切でない努力には意味がない」という現実と向き合わなくてはならくって、子どもの頃は努力するというスタンス自体を身に着ける為に「努力なら何でも褒める」という方針でも問題ないんだけど、どこかで「努力は適切なやり方でするべき」という切り替えも多分必要なんだと思う— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 で、「努力は無条件で尊い」から「努力は適切なやり方でやるべき」に転換する為の、一つの機会というかタイミングが受験なのではないだろうか— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 [詳しくはこちら→]我々はどこかで、「努力は無条件で尊い」から「適切でない努力をするべきではない」に思考を切り替えないといけない: 不倒城 「適切でない努力には意味がない」という現実は確かにあって、とりわけ大学受験は、適

    現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2018/11/08
    強制され内在化された価値観を追認することを前提に微調整しようという処世術を説かれても、個別の人間への治療なら別論、総体としては救われない人が増える一方では?既存の価値観を保守し強固にしているとしか。
  • 「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠

    togetter.com 昨年末に、「今の世の中では怒りをコントロールすることに高い価値が置かれている」というtogetterを見かけた。@marxindoさんの投稿を中心に、怒りの表出が困難になった現代社会についてあれこれ書かれている。 marxindoさんの投稿は私もリアルタイムで読んでいて、以下のようなツイートを書かずにはいられなかった。 今の人、怒りをコントロールしているっていうより怒りを遠ざけているだけだな、と感じる。もちろん昭和の人々が怒りをコントロールできていたとは限らない。しかし社会に怒りの表出が少ないからといって、コントロールできているのか、さっぱりわからない。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2017年12月27日 怒りをダイレクトに表出するのは、現代社会ではタブーとなっていて、そういうことをやると、やれトラウマだハラスメントだ虐

    「ダイレクトな怒りがタブーになった社会」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2018/08/02
    「保育園落ちた」の増田に先生は「炎上政治」への懸念を強調していた。政治への怒りの表出への共感に対してさえ、賢そうな人たちが「まっとうでない」「共感は危険」などと抑圧的に動くのも怒れない一因ではないの?
  • 「加工」してない「正直」は食えたモンじゃない - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先の記事は、結局、世の中で得をするのは「正直を積み重ねてきた者だ」という主旨で、それはそのとおりだと思う。ただし、「正直」はただ積み重ねれば得をするものではない。むしろ、無思慮に正直を積み重ねてまずいことになったり、社会的に損をする場面も多いように思う。 じゃあどうすれば良いのか? 私は、正直ってやつはそのままではロクなもんじゃないと思っている。 「加工」してないと「正直」はえたモンじゃない、という側面もあるように思うのだ。以下をご覧いただきたい。 www.pipipipipi5volts.com このリンク先は、3カ月でゲーム実況を1000時間やった人のブログ記事だ。このブログ記事のなかに、「日夜、行われる、キッズの罵り合い!」という小見出しのついたパートがあり、これを引用してみる。 とある日の生放送中、5分休憩から戻ってモニターに目をやった瞬間、寒

    「加工」してない「正直」は食えたモンじゃない - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2018/01/31
    「正直」であることと、どう「表現」するかは別問題。「正直を加工」「正直の社会化」という問題の立て方をしていると、行き着く先は「正直」を抑圧する側になりかねない。
  • YouTubeはくだらないから子どもを虜にする。そして親は不安になる - シロクマの屑籠

    子供がYouTubeを見すぎている - カリントボンボン リンク先のブログ記事は、子どもがYouTubeを見過ぎていることへの不安を率直に綴ったものだ。 YouTubeの泡沫コンテンツのいい加減さと、動画から感じられる虚無感を過不足のない言葉でまとめていて、それでいて、自分が子どもだった頃に視ていたアニメや漫画のことを挙げて「案外心配するほどでもないかもしれない」と付け加えているあたり、バランス感覚に秀でた内容だと思った。 さて、はてなブックマークでの反応を見ていると、筆者が書き綴った内容よりもリアクションが大きいというか、YouTubeに対する不安や忌避感がズラズラ書き並べられていた。そしてYouTubeよりもお勧めしたいコンテンツとして、Eテレの「ピタゴラスイッチ」や「デザインあ」などが挙げられていた。 一人の子どもの親として、私もYouTubeには複雑な思いがある。個人的には、You

    YouTubeはくだらないから子どもを虜にする。そして親は不安になる - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2018/01/25
    驚くほど面白くなく、時には非常に有害なものもあるが、それでも子どもに選ばせることには意味がある。動画視聴時間以外でのコミュニケーションがあることが前提だが、その子どもなりの選択眼が育まれることは大切。
  • 「子どもに意味を背負わせてしまう」対「意味は子どもが自分で見つけるもの」 - シロクマの屑籠

    zuisho.hatenadiary.jp ズイショさん、こんにちは。文章拝見しました。 「子は意味もなく生まれるし、人は、意味にとらわれず生きたっていい」「他人に宿命づけられてたまるか」「世界にいる意味は、自分自身で見つけりゃいい」といった主旨だと、ここでは捉えることにしました。 もし、個人が人工孵化装置から生まれてきて、その段階で一人の人間として・一人の判断主体として世間に立っていられるのなら、これは完璧なオピニオンです。他人に勝手に生きる意味を押し付けられるのは、とりわけ個人主義に馴染んだ私達にとって、嫌なことですからね。 ただ、私自身が子育てに格的にエネルギーや時間やお金を費やしてみてからは、それだけでもないな、と思うようになりました。 そのあたりについて、ズイショさんへの反論というより、たぶん、似たようなテーマを少し違った角度から記してみたくなったので、書き連ねてみます。 現代

    「子どもに意味を背負わせてしまう」対「意味は子どもが自分で見つけるもの」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/04/20
    子供に意味を見出すとか、見出さないと子育てのモチベーションが上がらないとか、その前提について個人的には全く理解も共感できない。子供がただその子供のままに存在するという事以外に何が必要だというのだろう。
  • 「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 借金玉さんのブログ記事は、世間の人があまり意識していない、けれども社会適応を大きく左右するような“法則性”を見抜いたものが多いと思います。今回の「見えない通貨」のお話も、古代社会から現代社会にまで通用する、深甚な内容だと思いました。 通貨の歴史を遡って考えるなら、「見えない通貨」と喩えるより、そもそも通貨とは「信用が可視化され、しかも譲渡可能なかたちになったもの」と言い直したほうが事実に即しているのかもしれません。 [参考]:https://hikakujoho.com/manekai/entry/20160809 しかし、お金の価値を誰もが信用し、当たり前のように使っている現代社会では、通貨=信用という前提は意識されにくいでしょう。だからコミュニケーションに媒介される人と人の間の信用を、「見えない通貨」と表現するのは、現代人にはわか

    「見えない通貨=信用」にはメンテナンスが必要。だから挨拶や礼儀作法は超重要 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/04/13
    借金玉氏がゲームのルールを知らない人にルールを知らせるのは親切。一方シロクマ氏が既にルールを知っている人に「守らないとひどい目にあう。守れば得だぞ。」と強調するのは単に保守的思考・志向の表明に感じる。
  • 「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」 - シロクマの屑籠

    蜂蜜入り離乳で乳児死亡、クックパッドレシピ再確認する」…豚ユッケにも批判噴出 - 弁護士ドットコム 「離乳としては危険な、ハチミツを使った離乳レシピが掲載されている」「生肉を使った不適切なレシピも掲載されている」等でクックパッドが批判されているらしい。 【知名度のあるネットサービスに間違った情報が存在する=悪い】とみる以前に、そもそも、ユーザーが投稿しあうタイプのネットサービスにはついてまわる問題なのだろう。 2ちゃんねるに書き込まれた情報も、google検索で拾える情報も、クックパッドべログやYahoo!知恵袋に書かれた情報も、玉石混交という点では変わらない。 00年代には、インターネットにみんなの知恵を集めたら、素晴らしいものができあがるんじゃないかという期待が生まれた。いわゆる「web2.0」である。 ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる (ちくま新書) 作者:

    「みんなの知恵を集めたら」「ネットの知恵が薄まった」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/04/11
    ネット上の知識や意見は社会を間接的に写す歪んだ鏡。知恵は鏡の中で完結的には得られず、生々しい生活と鏡の行き来の中で獲得される。その意味では内容如何を問わず鏡の精度が上がること自体を支持すべきだろう。
  • コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 世の中には、上記リンク先で「茶番」と言われているような場面が尽きません。 その典型が就活面接ですが、似たような「茶番」は、仕事に就いた後もずっと人生についてまわります。 必要な時に、大きくハッキリした声を出せること。 嘘ではないが音どおりでもない「夢」や「目標」を語ること。 無意味に思える指示にも、「わかりました」と答えること。 こうした「茶番」に対し、はてなブックマークには「未開民族の儀礼や慣習に似ている」って書いている人もいます。ですが、それを否定的にでなく、肯定的に捉えるべきだと私は思いました。 もし部族Aで、会った者同士が頭を下げる慣習があるとわかっているなら、それを身に付けておいたほうが部族Aではコミュニケーションしやすいでしょう。その慣習を突っぱねたら、無用な誤解や無礼を招くかもしれません。 同じことは、相手が部族Bや部

    コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/03/06
    とはいえ「茶番をこなしながらも自分は醒めている」と自認する人間が「茶番」をより強く固定し続けているのも現実。社会適応が主題なのはわかるけど、因襲に対峙する主体性の問題に無関心に見えるのは気になる。
  • 「自己愛性パーソナリティ障害」という診断の意味を考える - シロクマの屑籠

    www3.nhk.or.jp 相模原市で起こった障害者殺傷事件の精神鑑定が終わり、診断名は「自己愛性パーソナリティ障害など」であると報道された。 リンク先にもあるように、自己愛性パーソナリティ障害とは、「他者の都合を度外視し、周囲からの称賛を求めたり、みずからを特別な存在だと過度に考えたりすることを特徴とする」。それに関連して、自尊心が脆く、自分が軽視されたと感じると激怒や抑うつに陥りやすい。 では、自己愛性パーソナリティ障害と診断することに、どのような意味があるだろうか。 精神鑑定に関して言えば、責任能力を見極めるうえで、自己愛性パーソナリティ障害という診断名は大きな意味を持つ。すなわち、急性期の統合失調症双極性障害*1のような重度の精神病性障害ではなく、また重度の発達障害にも該当しないのだから、責任能力に問題は無いことになる。 この診断名には、私も疑問を感じない。報道されている情報と

    「自己愛性パーソナリティ障害」という診断の意味を考える - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/02/21
    ごく近しい者への理解や治療への切迫した必要に応じる場合を除き、素人が人格障害や精神病質の名称で他者を語ることは有害無益であることが殆どだと思っている。しかし現実は概念乱用し自己満足安心を得る者が多い。
  • あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠

    あなたは「正しい親の姿」をイメージできるだろうか。 「正しくない親」「毒親」をイメージすることは容易い。 子どもを一人で置き去りにする親は正しくない。 子どもに体罰する親も正しくない。 子どもの教育に無頓着な親も正しくない。 不規則な生活や偏った事に無頓着な親も正しくない。 どこかの親にこうした兆候を見てとった時、その親を「正しくない親」「毒親」と指摘するのは簡単である。もっと正しい親になりなさい。間違いを改めて親として適切に行動しなさい。お前はそれでも親なのか! しかし、そうやって「正しくない親」を糾弾した後、「じゃあ、正しい親ってどんな親ですか?」と突き詰めていくと、正しさの権化のような、これもこれで人間離れした親のイメージが連想されることになる。 正しい親は子どもを一人で置き去りにしない。 正しい親は体罰をしない。 正しい親は教育熱心である。 正しい親は、子どもの生活リズムや事に

    あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/02/15
    (子供保護の視点は必要だが)親子関係や家庭に「正誤」や「普遍性」を持ち込むのではなく「愛」は多様だということをまず認めるべきだと思う。/近時の家庭教育支援ブームは「正しさ」で家庭を断罪する危うさを孕む。
  • 「他人/自分の気持ちがわかる人」になるには「きちんと言葉にする」習慣が必要では - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp 数日前にBooks&Appsに投稿されていたこの記事には大切なことが書いてあると感じた。ただ、私の着眼とは微妙に角度が違っていて、「シロクマならこう書くぜ!」を書きたくなってたまらなくなったので、持ち時間40分一勝負で書いてみる。 私も「ちゃんと言葉にする」習慣はものすごく大事だと思っている。 理由のひとつは、精神医療の世界で自分の言いたいことを言語化できない患者さんをたくさん診ているからだ。リストカット、過呼吸、解離や転換*1などで自分の気持ちやストレスを表現する患者さんは、現代社会では社会適応があまり良くない。また、そういった症状が無くても、自分の気持ちやストレスを言語化できず、怒りや悲しみを爆発させて不利な状況を招いてしまう患者さんもたくさんいる。 それらをみていると、自分の言い分やストレスを適切に主張するのは実は簡単ではなく、必ず身に付けられるもので

    「他人/自分の気持ちがわかる人」になるには「きちんと言葉にする」習慣が必要では - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/01/26
    理解できる。/実感としては、「副作用」とされている「単純なラベリング」を回避するためには、「教える」だけでなく「待つ」ということもとても大切だと思う。
  • 2010年代とはどういう時代だった(である)のか - シロクマの屑籠

    2016年が終わって2017年が始まった。 正月放談というには少し時期が遅いけれども、そういう気分なので第三次世界大戦の不安とか、つらつらと書いてみる。 よく、「90年代はこういう時代だった」「00年代はこういう時代だった」といった物言いがされるけれども、そういった十年単位の時代の眺め方ってのは、だいたい、それぞれの時代の6年目から7年目ぐらいにみえてくると私は思っている。 たとえば00年代で言うと、インターネットではYouTubeやニコニコ動画やSNSが躍進し、サブカルチャーの勢力図が「オタク」*1方面に大きく塗り替わった。こうした兆候は00年代の前半からみられてはいたし、慧眼な人はとっくに察知していたのだろうけれど、そういった変化に多くの人が気付いたのは、00年代の中頃を過ぎたあたりだった、と言いたいわけだ。 で、そういう目線で過去のdecadeを振り返ってみると、 80年代: 冷戦終

    2010年代とはどういう時代だった(である)のか - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/01/15
    「秩序」維持を望んでいるだけではクライシスを回避できないだろう。これまでの安寧の下にある先人の屍を見つめ覚悟を決めて破壊屋と対峙し秩序を作り直さなければただ指をくわえて怯えるしかなくなるだろう。
  • 子どものYouTuberを見ていると不安になる - シロクマの屑籠

    blogos.com リンク先は、行動をエスカレートさせるYouTuberを「仕事」をキーワードに考察したものだ。 私はYouTuberの行動原理は、金銭と承認欲求の両方に由来している場合が多いとみているので、「仕事」だけに注目するのは片手落ち、と感じる。それと、リンク先の文章は、「仕事」に対する捉え方がやけにネガティブだ。 そして世の中には仕事のためなら、何をしても平気だという人が、数多く存在するのである。 それは決して良いとか悪いとかではなく、仕事というものはそういうものである。 例えば、軍隊で働く兵士。彼らはともすれば他人を殺すことすらある。ときには非人間性が糾弾されることもあるが、しかし彼らは誇りを持って仕事をしている。 (中略) 例えば、会社員。例えや子供を愛していても、楽しみにしていた遊園地の日に、取引先から呼び出されれば出勤せざるを得ない。 もう一度言うが、これらは決して良

    子どものYouTuberを見ていると不安になる - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2017/01/10
    youtubeに限らずSNSなどのインフラを担う企業に子供の「保護」の観点が大きく欠けていて、子供の現在・未来の損害を防ぐための自主的取組みがあまりに少ない。下手すれば権力的規制の話に繋がりかねない笑えない状況。
  • みなさん、生涯現役のお知らせです!おめでとうございます! - シロクマの屑籠

    www.nikkei.com 内閣府さん、力強いご提言ですね。 最近は経済事情が苦しくなり、若者のモラトリアム期間も短くなって、「35歳まで思春期」などという言葉は完全に時代遅れになりました。それと同じように、高齢者と呼ばれる期間も先送りされて、現役世代が5年ぶん増えることになります。 モラトリアムな若者も減って、ご隠居生活な高齢者も減って……「生産人口」が増えるってことですね! おめでとうございます! 六十代や七十代の皆さんががんばって若さを追いかけて、健康を維持して、平均寿命が伸びまくった結果として、「あなた達はまだまだお若い!現役選手としてがんばってください!」という熱いエールが内閣府から届けられたのです。「高齢者」「老人」といった言葉に抵抗感のある、若さを追いかけてやまない人達には、これは福音でしょう。 よかったですね! 若さを長く保てるようになったら、若さを長く保たなければならな

    みなさん、生涯現役のお知らせです!おめでとうございます! - シロクマの屑籠
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    shigo45 2016/12/22
    個々の人生観や生涯現役のメリットを挙げる人も多いが、問題は生涯現役を「強制」される可能性だよ。年金、医療、福祉などの面から「進め一億火の玉だ!」も冗談にならないかも。尚、一億に一部の人間は含まれない。
  • 社会契約と商取引を突き詰めた「自立」では、幸福になれない - シロクマの屑籠

    cybozushiki.cybozu.co.jp cybozushiki.cybozu.co.jp 先月と今月、サイボウズ式さんに「自立」をテーマにした2つの記事を載せていただいた。 前半は「望ましい自立」について書いたけれども、後半を書いているうちに、その「自立」という枠組み、自立を当然とみなしている私達って一体なんなんだという気持ちが膨らんできて、“しがらみ”や“腐れ縁”もあったほうがいいんじゃないか、という気持ちをそのまま書くことにした。 この期間に改めて気づいたのは、“私は「自立」ってやつをあんまり信じていない”ということだった。 いや、ある程度は「自立」を信じている頼りにもしているのだ。世間からみて「自立した個人」とうつるような振る舞いを身に付けてもいる。現代社会、とりわけホワイトカラーな世界では「自立した個人」とみなされる振る舞いをしたが得をする場面が多い、ということも重々承知

    社会契約と商取引を突き詰めた「自立」では、幸福になれない - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2016/12/02
    田舎と都会というより前近代と近代という感じで、未だに「契約や商取引的な自立」と、「しがらみや腐れ縁」が対比されるだけの社会なのかと落胆するような話(いいとこ取りも同じ)。次に行けないものなのか?
  • 「恋愛結婚が当たり前」だった時代の終焉と、これから - シロクマの屑籠

    togetter.com リンク先には、恋愛を経ないで結婚を望む若者の話がまとめられている。 昔から「結婚恋愛は別物」とは言われているにもかかわらず、結婚するために必ず恋愛を経由しなければならないのは理不尽なわけで、こういう意見が出てくるのも当然だろう。家族を持つ・子どもを育てるといった家庭的なノウハウと、異性とときめいた時間を過ごすためのノウハウは大きく違っているので、恋愛が下手だから配偶者として不適かといったら、そうとも限らない。むしろ世の中には、恋愛上手だけれども結婚相手としては最悪な人も多い。だから、結婚する前に恋愛しなければならないという固定観念は「恋愛なんてどうでもいいから結婚したい」人には邪魔でしかない。 「恋愛」の先に「結婚」があるってのが、前の世代までが見ていた共同幻想に過ぎないのですよ。 / “恋愛やセックスは面倒だけど今すぐ結婚したい?「恋人いらないってホント?出現

    「恋愛結婚が当たり前」だった時代の終焉と、これから - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2016/11/29
    おもしろい。でも、恋愛と結婚の関連性が失われていくなら、結婚そのものが希薄化、消滅していく可能性の方が高い気がする。いずれにしても抑圧のない中での選択が許される方向にいくのは望ましい。
  • 「フォロワーにあわせてアウトプットしていたら、フォロワーに呑まれてしまった」 - シロクマの屑籠

    対機説法、という言葉がある。 kotobank.jp リンク先にあるとおり、これは「相手の精神状態や理解力にふさわしい手段で説法すること」を意味する。世の中には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるので、通り一辺倒な説法ではうまく伝わらない。相手にあわせて説法するのが上手な説法、ということになる。 これはインターネット上で説法、いや、説法に限らず色々なアウトプットをやっている人にもある程度あてはまる。 ネットの読み手や視聴者には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるのだから、ひとつの表現だけですべての読み手をカバーすることはできない。もし、自説をできるだけ広範囲の人に届けたいなら、わかりやすいもの~難しめだが緻密な内容のものまで、相手にあわせて提供する必要がある。あるいは、twitterならtwitterのフォロワーの、ブログならブログの読者の、動画配信なら動画配信の視聴者の理解力や精神状

    「フォロワーにあわせてアウトプットしていたら、フォロワーに呑まれてしまった」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2016/04/12
    アウトプット場所を複数持ってた方が良いのかも。
  • インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠

    これに類することは沢山の人が書いているし、私だって書いていそうだけれども、反復的になったって構わないから書いておく。 たぶん、昔インターネットをはじめた人が考えていた自由とは、「自分の表現したい事を、誰にも文句を言われることなく表現できる」自由だったのだと思う。少なくとも私がネットサーフィンしていて感じたのは、それだった。あとは「表現されているものを誰にも文句を言われることなく閲覧する自由」。世間に対する呪詛も、いかがわしいエロも、書いたって構わないし眺めたって構わない――「インターネットは自由だ」と言った時に多くのユーザーが無意識のうちに含意していたのは、表現するにせよ、閲覧するにせよ、そういった「誰にも文句を言われることがない」という修飾語のついた自由だった。イコールではないけれども「無責任」というレトリックにも近かったかもしれない。 現在もインターネットには表現の自由がある、と思う。

    インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2016/03/29
    リアルで世間様に迎合しかつてはネットで世間様から自由だったというならわからなくもないけど、リアルでもネットでも世間様の敵で常に叩かれてるマイノリティならネット世間様の制裁など取るに足りない気がする。
  • ブログ労働者と「ブログでお金を稼ぐこと」 - シロクマの屑籠

    はじめ、ブログには議論があり、情報交換があった。 簡単に文章をアップロードできること。トラックバックを介して議論や情報交換できること。それそのものがブロガーにとってご褒美であり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。だが、それらをご褒美とは感じなかった大半の人々は、書き続けるモチベーションを獲得するには至らなかった。 続いて、ブログには承認欲求が与えられた。 はてなブックマーク、拍手ボタン、「ポチッと応援よろしくお願いします!」。それらはブロガーにとって新しいご褒美となり、そうしたご褒美を嗅ぎ付けた人々がブログに集まってきた。議論や情報交換よりも承認欲求はわかりやすい魅力だったので、今までよりもたくさんの人々がブログを書くようになった。それでも承認欲求ではメシの種にはならないため、無視する人も多かった。 最後に、ブログに金銭が与えられた。 アフィリエイト。アドセンス。金儲け

    ブログ労働者と「ブログでお金を稼ぐこと」 - シロクマの屑籠
    shigo45
    shigo45 2016/03/25
    興味深い記事だった。ただ結局のところ「こういうの好き」「嫌い」を表明しあっている気がするし、それを表明し合えること自体が素晴らしいとも思える。集まったりスルーしたりできる自由があることも良いところ。