終戦直後、ソ連によって元日本兵や民間人が シベリアやモンゴルなどに移送されて 過酷な労働を強いられ、 およそ5万5000人が犠牲になったとされる 「シベリア抑留」。 その体験者2名の話を伺ってきました。 ※今回、全国強制抑留者協会様の御協力を頂きました。有難うございました。 2024年(令和6年)6月の最終週に、福岡市でシベリア抑留経験者が体験談を語る会が あるというので参加してきました。 まず、シベリア抑留の状況についての説明がありました。 1945年(昭和20年)8月9日、日ソ中立条約が一方的に破られ、ソ連が日本に参戦します。 ポツダム宣言では、武装解除した日本兵の日本への復帰を保証していましたが、ソ連はそれを無視し、元日本兵や民間人をシベリアやモンゴルに移送し、過酷な強制労働を行います。この中には、電話交換手や看護婦など女性も含まれていました。 抑留された方々は、「極寒での寒さ」「重