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将棋に関するshoji-noのブックマーク (8)

  • 朝日新聞デジタル:駒36枚、次々消えて3枚に? 詰将棋「看寿賞」決まる - カルチャー

    特別賞の岡村孝雄さんの作品「涓滴(けんてき)」(詰将棋パラダイス2012年4月号「大学院」掲載)。36枚あった駒が次々と煙のように消えていき、詰め上がりは攻め方の駒2枚と玉の計3枚だけになる岡村孝雄さん「涓滴」の詰め上がり図  2012年に発表された詰将棋の最優秀作品に贈られる「第51回看寿賞」が、月刊誌「詰将棋パラダイス」7月号で発表された。全日将棋連盟の主催で、プロ棋士や詰将棋作家らが選考した。  中編部門(19〜49手)で廣瀬崇幹さんと芹田修さん、長編部門(51手以上)で井上徹也さんの作品がそれぞれ選ばれ、特別賞に岡村孝雄さんが決まった。短編部門(17手以下)は該当作がなかった。  看寿賞は、江戸時代に際だって優れた詰将棋作品を残した伊藤看寿(贈名人)にちなんで制定され、詰将棋界では最も権威のある賞とされる。詰将棋作家のほか、谷川浩司九段や内藤國雄九段らプロ棋士も受賞している。

  • 陣屋事件 - Wikipedia

    陣屋事件(じんやじけん)は、旅館「陣屋」(神奈川県・鶴巻温泉)で1952年(昭和27年)2月18日・19日に対局予定だった第1期王将戦第6局で[1]、升田幸三・八段[注釈 1]が木村義雄名人との対局を拒否した事件(棋士の段位・称号は当時、以下同じ)。 第1期から第8期まで名人戦を主催していた毎日新聞社は、1949年(昭和24年)に契約条件を巡って日将棋連盟と決裂し、名人戦は第9期から朝日新聞社が主催することとなった[5]。 毎日新聞社は、新たな主催棋戦として「王将戦」を創設したい、と日将棋連盟に申し入れた[6]。王将戦の特徴は、七番勝負において、一方が三番勝ち越した時点で王将のタイトルが移動し、同時に「指し込み」が成立して、手合割が平手から「平香交じり(平手局・香落ち局を交互に行う)」に変わる(三番手直りの指し込み制度)を導入したことであった[5]。古くから「指し込み制度」は存在したが

  • 将棋 里見香奈 残念な解説

    ほとんど放送事故。 聞き手:島井咲緒里 解説:里見香奈

    将棋 里見香奈 残念な解説
  • プロ棋士の反則一覧:アルファルファモザイク - 2ちゃんねるスレッド紹介ブログ

    ■編集元:ガイドライン板「107 名前:水先案名無い人 投稿日:2009/10/14(水) 21:21:27 ID:jGn7SuNmP」より 29 名無しさん@恐縮です :2009/10/14(水) 20:12:32 ID:WpFu8sxo0 プロ棋士の反則一覧

  • asahi.com(朝日新聞社):角が自分の歩を飛び越えた 将棋・女流王位が反則負け - 文化

    札幌市で14日に指された将棋の第20期女流王位戦五番勝負(新聞三社連合主催)第2局で、石橋幸緒女流王位(28)が自分の歩を飛び越える形で角を動かしてしまい、反則負けとなった。  日将棋連盟によると、女流タイトル戦での反則は初めて。男性でも記録が残る75年以降では例がない。  終盤の129手目で6六の角を先手2二角成と指したが、4四に自分の歩があり、この角筋は止まっていた。プロになって初めての反則で、挑戦者の清水市代女流二冠(40)に勝ちを献上した。  石橋女流王位は「ほぼ勝ちの局面で、5手前から相手の玉が詰みだと読み、自信満々で指した。錯覚だった。指摘されるまで何をしたのか理解できなかった。何を見ていたんだか」と話した。(村上耕司)

    shoji-no
    shoji-no 2009/10/15
    角が違った。
  • YouTube - 【名人戦】羽生の対局中に観戦記者がサインねだる【将棋】

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  • こんな不思議なことがあるんだ・・・・・ - My Life Between Silicon Valley and Japan

    から帰国する飛行機の中で読んだ「将棋世界」2月号は充実の内容であった(片上五段のブログによると3月号も充実とのこと、楽しみ)。 しかし驚いたのが、55歳という若さで先ごろ逝去された真部八段(逝去後に贈九段)の絶局を巡る不思議な物語である。 この「将棋世界」2月号は、真部追悼特集になっており、多くの棋士が亡き真部を惜しみ、良い文章を寄せているが、いくつかの文章の内容を紐解いていくと、じつに不思議な物語が浮かびあがってくるのだ。 棋譜をあえて使わずに、この不思議な物語を追いかけてみたい。 話は、絶局となった昨年10月30日のC級2組順位戦に遡る。真部は最年少棋士の豊島四段(1990年生まれ)と対戦。午前11時58分。わずか33手。まだ戦いが始まる前に投了してしまった。あまりに体調が悪かったため、自分の手番で負けを宣言したのである。そして真部はそのまま入院し、11月24日、還らぬ人となった。

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