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ブックマーク / call-of-history.com (2)

  • 「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ

    1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー

    「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ
  • 「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

    「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている(2014年2月)。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。 この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改

    「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで
    shoji-no
    shoji-no 2014/02/24
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