Copyright © Center for Ainu & Indigenous Studies. All rights reserved. ※当サイトの文章・画像など掲載物の無断転用はお控えください。
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はじめに 蠣崎波響は、江戸時代中期[1764~1826]を生きた松前藩家老であり、画人・文人としてもその足跡を残した人物である。 地方で活躍した芸術家ゆえ研究は遅々として進まず、ようやくその生涯と画業および(漢)詩業がつまびらかにされたと云う感がある。したがって、いまだ彼に対して正当な美術史的評価が与えられたとは考えにくい。 これには、中央画壇で活躍していない画人の美術的・美術史的価値を軽視する風潮や、波響作品それ自体の研究が充分になされていなかったことに起因するものと思われる。 とくに、現在、蠣崎波響の代表作とされる『夷酋列像』をめぐっての議論は、盲目的な礼讃ばかりが目立ち、作品の根源に迫る議論がなされていない状況下にあると云える。 『夷酋列像』が波響の代表作であり、波響作品のみならず、江戸時代絵画において最も異彩をはなっていると云うことに異論を差し挟む余地はない。 しかし、この作品がな
この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2022年6月) アイヌ語語彙の五十音索引。アイヌ語の主な単語を五十音順で並べているが、単語だけではなく、あいさつなどの表現も一部含まれている。 近代化以前の伝統的アイヌ社会においてはアイヌ語を文字表記しなかったが、現在では北海道アイヌ協会が教科書で使用したラテン文字表記がある程度知られているため、基本的にこれを採用する。カタカナ表記は近似的な発音を表したものである[要出典]。 ア行[編集] [1]以外も含む。 仮名文字表記 ラテン文字表記 意味
坂口安吾(さかぐち・あんご)のエッセイに「日本文化私観」というのがある。 伝統と生活と。ブルーノ・タウトは、日本を 訪問し、日本の あれやこれやが うつくしいと いった。その あれやこれやは、いわゆる伝統というやつだ。安吾は、生活が大事だと いった。 然しながら、タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距(へだた)りがあった。即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本
奈良美智「ニヴフの子 おかっぱ 」photo:Yoshitomo Nara ©Yoshitomo Nara 2015年1月25日(日)から5月10日(日)までの間、東京・神宮前のワタリウム美術館で『「ここより北へ」石川直樹+奈良美智展』が開催される。 2014年夏、青森から北海道、サハリンと旅をした石川直樹と奈良美智。本展では写真を通して、彼らの旅を振り返る。 「青森県と北海道のアイヌ語地名を訪ねてみよう」という思い付きから始まった2人旅は、下北半島と津軽半島からスタート。旅のゴールも曖昧なまま、北へ北へと移動してを続けるなかで、今まで出会うことのなかった人や場所と出会い、人生や歴史に触れた。北海道の札幌、知床、斜里とアイヌ関連の土地を経由し、ロシアの果てにあるサハリンを訪れる。 石川直樹「サハリン島」2014 photo:Naoki Ishikawa ©Naoki Ishikawa そ
「アーカイブ」とは、さまざまな記録資料を保管し、 みんなの財産として後世に伝えていく施設のことをいいます。 「ほっかいどうアイヌ語アーカイブ」という名前には、北海道の アイヌ語・アイヌ文化の記録資料を、保存し、整理し、 これからのアイヌ語・アイヌ文化のために活用していく、 という意味を込めています。 ほっかいどうアイヌ語アーカイブでは、 当北海道立アイヌ民族文化研究センターをはじめとする、 北海道が所蔵るアイヌ語録音資料について、 公開されているすべての資料を検索することができます。 一部の資料については、インターネット上から、 実際に資料を試聴することもできます。 資料の検索・視聴 資料の検索は、 » こちらから (「ほっかいどうアイヌ語アーカイブ」資料検索トップへ) ※研究センターで公開している資料は、 » こちらから でも検索できます。 アイヌ語入門 まずアイヌ語について
1482 夷千島王、朝鮮へ使いを送る。 1499 浄願寺弘賢、1471年頃より蝦夷地で布教、浄願寺を建てる。 1512 アイヌ蜂起し、函館、志苔、与倉前の三館陥落、河野・小林両家没落。浄願寺、蜂起を避けて秋田に撤退。 1513 松前の大館陥落、但し蛎崎光広がアイヌに仕業に見せかけて攻めたとの説もある。 1514 花沢館(上ノ国)の蛎崎光広、松前に本拠を移転、徳山館を構築。 1515 道南の東部首長のショヤ(庶野)、コウシ(匐時)、道南で蜂起、徳山を攻める。 蛎崎光広、徳山館の和睦の席で両者を暗殺、現在、松前にある蝦夷塚はこの時の犠牲者の塚であると言われる。 1528 アイヌ蜂起、徳山館を襲撃、松前義広が撃退。 1529 道南の西部首長タナカサシ蜂起 瀬田内で工藤九衛門の軍を破り、勝山の和喜館を攻める、蛎崎義広、和睦を呼びかけ弓矢でタナカサシを暗殺。 1531 アイヌ蜂起、松前の大館を襲撃。
ウィルタ協会(ウィルタきょうかい)は、かつて日本領だった北緯50度以南の樺太(サハリン)に住んでいた先住民族のウィルタ(オロッコ)の復権・文化保全を目的とした日本の団体。ウィルタだけでなく、ニヴフ(ギリヤーク)やアイヌなどの北方少数民族の復権・文化保全活動を行っている。1975年(昭和50年)7月12日に、ウィルタ族のダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)による日本政府の告発をきっかけに、「オロッコの人権と文化を守る会」として結成され(当時の会長は網走市会議員窪田茂人)、翌1976年12月にウィルタ協会と改称した。同協会は「オロッコ」を蔑称とみなしている[注釈 1]。慰霊碑建立や資料館ジャッカ・ドフニ(2010年10月31日閉館)の建設にたずさわった。樺太の同胞との交流なども行っている。 1941年(昭和16年)、太平洋戦争が始まると、日本陸軍は樺太の先住民族ウィルタやニヴフの高い身体能
北海道・根室半島の「チャシ跡群」に注目が集まっている。「チャシ」は、アイヌ民族が戦う時の砦(とりで)や見張り、祭祀(さいし)などで使ったとされる場所のこと。「日本100名城」に選ばれたのをきっかけに、訪れる歴史ファンらが次第に増え、市民有志でイメージキャラクターも考案された。地元・根室市は沸いている。 22日、本土最東端の納沙布(のさっぷ)岬に近い「ヲンネモトチャシ跡」。兵庫県宝塚市の会社員津田昌明さん(38)と涼子さん(31)夫妻が訪れていた。海の向こうは北方領土の国後島だ。 昌明さんは「100名城の30番目に訪れた。戦国時代の城もいいが、アイヌの歴史が感じられる、この雰囲気もいい。来てよかった」。涼子さんは旅先のスタンプ集めが趣味で、夫と一緒に回っているという。 チャシはアイヌ語で「さく囲い… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限
台東区橋場一の都人権プラザで、写真家宇井真紀子(ういまきこ)さん(54)=東村山市=の写真展「アイヌときどき日本人」が開かれている。一九九二年から二十二年間にわたって、東京近郊に住むアイヌ民族を撮影した作品四十六点が並ぶ。 宇井さんは、アイヌ民族の聖地とされ、ダム計画反対運動が起きた北海道日高地方の平取町二風谷(びらとりちょうにぶたに)地区を一九九二年に初めて訪れた際、東京にもアイヌが暮らすことを知った。同年から東京近郊と二風谷での撮影を続けており、アイヌの人々をリレー方式で紹介してもらい、ポートレートに「一番言いたいこと」を添えた写真集プロジェクトも展開している。 今回の展示に、多摩川河川敷での「カムイノミ(神への祈り)」の儀式を写した作品がある。「差別から逃れるために上京し、ひっそり生きてきた人も多い中で、独自の文化を取り戻そうとする姿に感銘を受けた」と宇井さん。このほか、アイヌ式の結
昭和7年の夏に斎藤茂吉は北海道を旅行している。 歌集『石泉』には、その旅で見かけたアイヌの遺跡やアイヌの人々のことを詠んだ歌が数多く収められている。あまり言及されることのない歌なので、すべて引いておこう。漢字では「愛奴」という字を当てていたようだ。 「層雲峡」 愛奴語(あいぬご)のチャシは土壁(どへき)の意味にして闘(たたかひ)のあと残りけるかも 愛奴等のはげしき戦闘(たたかひ)のあとどころ環状石は山のうへに見ゆ とりかぶとの花咲くそばを通りつつアイヌ毒矢(どくや)のことを言ひつつ 「支笏湖途上」 藪のそばに愛奴(あいぬ)めのこの立ちゐるを寂しきものの如くにおもふ 木群(こむら)ある沢となりつつむかうには愛奴(あいぬ)の童子(わらべ)走りつつ居り こもりたるしづかさありて此沢に愛奴(あいぬ)部落(ぶらく)のあるを知りたり 「白老」 白老の愛奴酋長の家に来て媼(おうな)若きをみな童女(わらは
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