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観心本尊抄文段に関するsokadamedasiのブックマーク (2)

  • 日寛上人の御書文段の御指南⑤(観心本尊文段下) - 創価ダメだしブログ

    問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の尊これなり。一念三千の尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり この御文は『観心尊文段』の一番最後の結論というべき御指南です。創価は自分たちの都合のいいように日寛上人の御指南を用いたり或いは否定したりしていますが、この御指南は日寛上人の創作でもなんでもなく日興上人爾来からのいわば大聖人の仏法の尊義そして日興門流の基中の基の御指南です。創価の連中は「南無妙法蓮華経」とは何かを質問すると、ほとんどが「宇宙と自分の生命を貫く法則」などと知ったかぶりして答えます。当に極稀れに「御尊」と答える多少まともな学会員もいますが、「では御尊の体とは何か?」と質問すると、ほぼ100%「南無妙法蓮華経の宇宙の法則を図顕したもの」というような趣旨を答えます。ここが創価信仰の狂いです。この日寛上人の御指南にあるように御尊とは日蓮大聖人なのです。そ

    日寛上人の御書文段の御指南⑤(観心本尊文段下) - 創価ダメだしブログ
  • 日寛上人の御書文段の御指南③(観心本尊文段上) - 創価ダメだしブログ

    暫くもこの尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり。 この観心尊文段の一節は有名な御文なので一度は聞いたことが有る方も多いと思います。読んだ通りなので特にこれといった解説はありませんが、この御文は我々大聖人門下の因行果徳が具体的に書かれている御文です。「この尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば」とは我々信徒の修行です。「この尊」とは当該文段の冒頭に【この尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身。法は謂く久遠名字の地難思の境智の妙法なり】と書かれているように人法一箇の尊ですから「仏力・法力」です。そして「信じて」は「信力」で、「南無妙法蓮華経と唱うれば」が「行力」です。この四力が合わせた修行が大聖人仏法における正しい因行です。そしてこの正しい因行の結果が次下の「則ち祈りとして

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