国立戒壇論と天母山戒壇論は顕正会の根本邪義として対をなしているものだが、この浅井顕正の天母山戒壇論の唯一のエビデンスとなっているのが、大石寺の大坊棟札の裏書である。大坊棟札とは大石寺の大坊を建設する際に無事故を祈願して棟木に打ち付けられた札で日興上人の御筆と言われていてその裏書に、「天母原に三堂並びに六万坊を造営すべきものなり」と書かている。浅井顕正はこの一文を唯一の天母山戒壇論の証拠(文証)としている。 しかしこの大坊棟札は後世の贋作であることがハッキリと証明されている。ここに贋作であるという理由を列挙してみる。1.丑寅勤行の記述が『日興跡条々事』より約40年前に存在している。2.「興」の字が日興上人正筆と字体が違う。3.日興日目という文句はおかしい。4.「当国」も信用できない。5.棟札が大石寺完成の約半年後の日付になっている。6.南条時光殿の修理太夫の名称がおかしい。7.鎌倉時代に「寄
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