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批評に関するsoylent_greenのブックマーク (71)

  • 一周まわってつながって - Apeman’s diary

    なんというか、東流「ポストモダン系リベラル」を支持するメンタリティとして、二つの類型が浮かびあがってきたような感じですね。以下は「類型」の記述なので単純化かつ誇張してますが。 一つは「我こそは科学なり」的自意識を持った、ネット理系。偽ソーカル氏もこのタイプだったけど。こういう人にかかると自然科学以外はもう『マッド・マックス2』というか anything goes な世界なので「東、正しいじゃん」と見えてしまう、と。 他方で、こういう偏見をみすみす助長するようなのがいるんですよ。思想屋さんの悪い癖、というか。D_Amonさんが言及しているような面々ですな。自分の得意なフィールドではまともなことを言うひとでも、よく知らない分野に安易に踏み込んでグダグダになってしまう、ってことならよくあるし(最近の顕著な例)、それはまあ人間的なミステイクというやつであるわけですが、無知に居直るというか、妙に事実

    一周まわってつながって - Apeman’s diary
  • 時間がないので簡単にメモ - 小烏丸の日記

    歴史修正主義に対するポストモダン哲学からの最悪の返答 - 小烏丸の日記 上記記事に関連 このblogはblog界の僻地に位置しているのでなんですが hirokiazuma.com べつにこの問題を(あえて問題と言うが)、問題視している人にとっても南京大虐殺を否定する歴史修正主義者を、言論空間から全面追放せよとは言ってはいないだろう。 もし、このように考えるならばこの範囲においては東浩紀氏と共通認識を持てるはずである。(例えば、ドイツなどではこの手の発言は場合によっては法律上問題となる場合がある。そういう意味で、戦後ドイツでの歴史修正主義は非常に巧妙な道をとったし、とらざるを得なかったとも言える。逆コース・東西分割と並び、戦後ドイツと戦後日の大きな違いの一つではあるだろう。) しかし、この問題を問題視する人の多くは、南京大虐殺者を否定する歴史修正主義者の居る領域は縮減されなければならない(

    時間がないので簡単にメモ - 小烏丸の日記
  • アニメ批評が低調な理由について - tukinoha’s blog

    アニメ批評が育たないのはなぜか、ライターが既得権益を守っているからだ、編集者が怠慢だからだ、というのはやさしいけれど、当の原因はぼくはそこにはないと思う。アニメ批評の読者が育っていないことこそが、問題なのです。批評というだけでヒステリーを起こし、くだらない揚げ足取りをするひとばかりが目立つのでは、だれもアニメについて批評なんかしなくなるに決まっている。 東浩紀の渦状言論: 山寛氏と対談 東浩紀氏による「アニメ批評」批判、というか、批評の根付かないアニメ文化批判。異論が出るのも当然でしょうが、概ね正しいと僕は思います。しかし、批評家に問題がないのかと言えばそうでもないし、一般的にイメージされる「批評家」像はすでに耐用年数が切れているのでそれも更新しなければいけないでしょう。そもそも日においては、どのようなジャンルであれ欧米と比べて批評家に権威がありません。例えば演劇だと「上演中に朝日新

    アニメ批評が低調な理由について - tukinoha’s blog
  • アニメ批評のエクソダス - 津堅信之のアニメーション研究資料図書室

    ●季報「唯物論研究」第104号 特集「アニメ批評のエクソダス」 発 行: 季報「唯物論研究」刊行会 刊行年: 2008年 定 価: 1200円 今、ちまたで話題沸騰中の誌。 まだすべてのテキストを熟読していないので、総括的な発言にとどめようと思うが、熟読した上で、あとでまたエントリを変えて加筆するかもしれない。 ここ1〜2年、「日にはアニメ批評がない」という論調が、また増えてきた。 よく知られているように、『エヴァ』の頃にもそうした論調が脚光を浴びたが、その後落ち着いていた感があった。そして今、再び「アニメ批評の不在」を嘆く声が、一つの潮流を形成していると見ていいだろう。 ここで言われる「アニメ批評の不在」が実態を反映したものか、またその実態を覆すために彼らの主張が有効なものかはまだ不透明だが、基的には、こうした論調は歓迎したい。私自身、歴史を掘り起こす研究者という立場であり、いわゆ

    アニメ批評のエクソダス - 津堅信之のアニメーション研究資料図書室
    soylent_green
    soylent_green 2008/07/08
    プロレスにおけるシュート活字を思い出した/ところで観客は良質な作品を選別している・きただろうか
  • 2008-06-01

    知ってるひとは知っている話で、この箱の中味を書いているのは小田切博とかいうひとなのだが、その人物が寄稿したので届いた『ユリイカ』6月号「マンガ批評の新展開」をざっと読んだら一冊全体で「表現論vs社会反映論」という図式のある特集になっていて、無責任にも「うへぇ」と思った。 まずこの特集巻頭に付された泉信行、夏目房之介との鼎談「マンガにおける視点と主体をめぐって」で宮大人は2006年1月の『ユリイカ』での特集「マンガ批評の最前線」以降「マンガとマンガ表現の外部を関連付けて論じましょうという流れが強かった」といっている。だが、実際には2006年以降出版されたマンガ関連の書籍で「マンガとマンガ表現の外部を関連付けて論じましょう」というコンセプトのだと明確にいえるのは私自身の『戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌』(NTT出版、2007年)と永山薫、昼間たかし『マンガ論争

    2008-06-01
    soylent_green
    soylent_green 2008/06/01
    マンガ批評においてもこんなプロレスやるようになっちゃってるということなのか
  • CLAMP論の準備 - 仮想算術の世界

    前回の投稿はどうも不必要に細かく読まれるような気がするので、改めて書いておきますが、最大のテーマはアニメの論理とゲーム/MADの論理は違うということです。そして、ただそれだけです(笑)。 さて『レイアース』にふと言及したせいで勝手にスイッチが入ってしまって(笑)アニメ版を十年ぶりに見直したりしてたのですが、やっぱりCLAMPは重要だと改めて思いました。そもそも(日に限らず)東アジアという広がりで見ても、CLAMPはたぶん90年代にいちばんよく読まれた漫画家です。なので、日にまともなCLAMP論がないのは(いや、僕が知らないだけかもしれませんが)非常に良くない。当は『ユリイカ』の原稿でもCLAMP論をやりたかったのですが、準備ができなくて断念したんですね。しばらく前に「個別の漫画家にはあまり興味がない」と書きましたが、CLAMPだけは別格。 たとえば、舞城王太郎や佐藤友哉が出てきた

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  • おおー、なんか警告書とか送ってきたぞ?ww - NaokiTakahashiの日記

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    soylent_green 2008/02/17
    クリエータの覚悟としてこれはOKだろうけど、これを消費者の側が訳知り顔に言うようになってるのがイヤなんだよね
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    soylent_green
    soylent_green 2007/11/05
    批評する側もよりよい作品を求める同志であると期待できなければこれは有効ではなく
  • 紙屋研究所 - 本を出しました 『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』

    ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ

  • ゾンビ、カンフー、ロックンロール -映画スペック主義を呪い殺す呪詛

    9/22シネマヴェーラ渋谷にて「妄執、異形の人々2」のトークショーを見た。 それまで、ヴェーラに行くのは当に楽しく、上映スケジュールのチラシを眺めるだけでも心躍るものだったが、この日以降、ヴェーラに行かなくて済むのなら、なるべく行きたく無いとまで思う様に変化した。(しばらくは実際にそうするだろう。) トーク内容は、おおむね『○○年に作られ、誰と誰が関わっている』という神経衰弱の答え合わせに終始し、壇上では順番に自分の原稿を一通り読みあげ、映画の内容に迫る話題になると慌てて遮断する。という、まるで映画DVDのスタッフロールだけを無理矢理見せられ、チャプターを編に戻すとしかられる。そんな気分になった。その傾向を司っていたのが司会的な役割をした、木全公彦と名乗り評論家を自称していた人物。 そして、人が話している間『聞いてません』のサボタージュの様に自分の資料で顔を覆う人(http://d.h

    soylent_green
    soylent_green 2007/09/25
    ここは割とハスミ大先生とべったりなとこだったよーな
  •  唐沢俊一の仮面の下(帽子の下じゃなく)。 - Something Orange

    先程、一通のメールが届きました。 http://www.shakaihakun.com/data/vol067/main01.html 一行だけかよ。 ぼくのところに来るメールはこんなのばかりだな。 たまには、「高二の女の子です。id;kaienさんのファンになりました。会ってくれなんていいません。影から思っていていいですか」とかそういう内容はないのか。あったら怖いけど。 ま、一見URLに見せかけた暗号とかじゃないだろうから、このリンク先を読んで記事を書けということでしょうね。 えい、クリック。 あ、何だ、唐沢さんと村崎さんの対談じゃないですか。 村崎▲ネットでの一部の炎上ぶりに反して実際はどういう状況になってるかは、オレも全部聞いているんで言いたくて言いたくて仕方ねえんだけど、また前回みたいにカットされるのも会話の無駄なんでやめとくよ。それにしても、ここまで来たら唐沢さんも実刑喰らって投

     唐沢俊一の仮面の下(帽子の下じゃなく)。 - Something Orange
  • 感想サイトが流行らない理由 - 萌え理論Magazine

    文章力より営業力 今月から書評を始めた。一日一冊ペースでラノベを紹介したが、記事を書く手間も意外と大きく、結構時間が掛かる。だがアフィ的には、紹介した書籍は全然売れてない。売れたのは、家ブログに一言も紹介なくただ広告然として貼った、「らき☆すた」のDVDと「ハルヒ」のフィギュアだった。そりゃそうだよなあ…。また、アクセスも全然増えてない。今月は萌理賞の告知が不発だったので、一番多いのは昨日のガガガ文庫の記事。はてブがついて通常の三倍アクセスが集まった。 感想サイトを流行らせたいと思ったときに、文章力より営業力というか、実は記事の良さ・面白さはあんまり関係なくて、読者の需要の大きさが重要なのかもしれない。1万部と100万部の作品では、既知の読者の分母数が違い過ぎる。それと、潜在的な読者が多いだけではなくて、ニュースサイトなどで実際の読者を連れて来てくれるか、というのは更に重要になる。なるべ

    感想サイトが流行らない理由 - 萌え理論Magazine
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    soylent_green 2007/08/30
    一行「コードギアス」とか「涼宮ハルヒ」と書いたらアクセスが増えたこともあってばかばかしくなりました
  • ご来場感謝! 氷川竜介30周年記念トーク - 氷川竜介ブログ

    【中村光毅氏、イデの元に召される・・・】メカニック・アートの第一人者 (ジョニー暴れん坊デップの部屋) 「Confort」中村光毅氏インタビュー ( // musi-musi //) 崖の上のポニョ 感想 (崖の上のポニョ 感想) 【アニメ】:これがプロフェッショナルの仕事と生き様、マクロスの河森正治監督が語る「アニメーション監督という職業」 (白石運送) 足利事件から日鬼子まで (cancerkiller173のブログ) 今敏 追悼BOOKだけを目当てに今月号のコミックリュウを買ってしまうのは不謹慎なんでしょうか…。 (新製品と価格のメモ) 「破」全記録全集・庵野総監督インタビューの感想 (ユイさんのこと、を想う) Twitter Trackbacks () Twitter Trackbacks () 早すぎる、今敏監督 (札幌生活) 5日(日)に新宿ロフトプラスワンで行いました「氷川

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  • 批評には世代論がついてまわる

    映画批評を生産/消費している層とは、ヌーベルバーグの作家たちが旺盛に作品を発表していた時期に学生であった人たちなのである。 マンガ批評を生産/消費している層とは、ニューウェーブの作家たちが作品を発表し始めていた時期に学生であった人たちなのである。 アニメ批評を生産/消費している層とは、ヤマトかガンダムエヴァがブームだった時期に思春期だった人たちなのである。 美少女ゲーム批評を生産/消費している層とは、Leaf・Keyがブレイクする時期に思春期だった人たちなのである。 つまり、特定の作家(ないし作品)に依存した資の運動にとりこまれた一定の層が、自分たちがまるで作品を通じて世界と繋がれたかのように勘違いできた幸運な時代を、言葉によってなんとか歴史化しよう、正当化しよう、再現しよう、復興しようetcという涙ぐましい世代的運動、これが日における「批評」なのである。それ以上でもそれ以下でもない

    批評には世代論がついてまわる
    soylent_green
    soylent_green 2007/07/02
    ロック批評を生産/消費している層とは…でも作れそうだな
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

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  • また君か。@d.hatena - 「好き」「良い」「正しい」

    褒め方、というほどのことでもないが、なにかに対して取る肯定的な態度として「好き」「良い」「正しい」などがある。この逆は、「嫌い」「悪い」「誤りだ」になる。大雑把なひとはこれらをあまり区別しないし、またセンスの良いひとは意図的に混同させつつ駆使するが、細かい話をすればこの三つは前提がかなり違う。 たぶんこんなかんじ。 ○ × その態度の前提とするもの 好き 嫌い 主体性 良い 悪い 文脈の理解 正しい 誤りだ 体系の理解 「好き」「嫌い」は、発言者の主体がなければ判定できない。でもまあふつう主体のない人間は居ないので、もっとも要するコストの低い発言ではある。 「好き」「嫌い」は対象への評価のニュアンスを持ちながら、その発言自体評価を受けるニュアンスをほとんど持たない(意図と生じる関係性が極めて直線的だからだと思う)。ただし、それゆえに集団において「それを好き / 嫌いという主体」についての分

    また君か。@d.hatena - 「好き」「良い」「正しい」
    soylent_green
    soylent_green 2007/05/02
    「おもしろい」/「つまらない」を入れてます
  • 批評飽きた。

    高校生のとき、『動ポモ』とか『アニメ批評家宣言』とか読んでから、小難しいことをちゃんと考えて、作品を観たら面白い意見を言わなければ、とか思って来たんだけど、もう飽きた。書いても書いても虚しい。ブクマで誉められてもトラバで貶されても面白くない。俺如きの言葉で世の中なんて動かないんだもん。まだVIPで祭りをやっている方がマシじゃないのか。祭りで注目されるとコンテンツに落ちる金増えるんだから。ネットで批評やっても誰の得にもなってない。もうやだ。辞める。辞めて沈黙した消費者になる。大学三年からちゃんと就活する。そんでフツーの社会人になってDVDとかグッズをモリモリ買うオタリーマンになる。もうしらん。もういやだ。溜め込んだ小難しいアニメ研究書も全部処分する。資料と思ってとってあるアニメ誌のバックナンバーもおさらばしてやる。やだやだ。

    批評飽きた。
    soylent_green
    soylent_green 2007/04/19
    正しい。批評なんぞいらん。必要なのは消費だ。
  • アニメ批判は人を幸せにするか - 全てが台無し―雑記帳―

    ようやく少し時間が出来たのでみんなが忘れてそうな頃に書いてみる。 「嫌い」と自分のサイトで書くのはその人の勝手だろう。他人に迷惑をかけない内は自分の庭で何をしようと一応自由である。ただ「駄作」と書くには慎重になって欲しい。「嫌い」は個人の感想だけど「駄作」と書くと個人の感想を一般化させようとする動きに見える。反対に「傑作」と言う言葉も個人的には使わないようにしている。これも個人の判断が権威を纏っているように見える。個人の感想よりも一段突き詰めた評価付けとして「駄作」「傑作」は批評の場において使いやすいのは分かるんだけどそこまで貶す・褒めるならそれなりの気配りは欲しい。 ■時期を考えて欲しい 現在放送中のアニメに対して「駄作」と呼ぶ事はどんな効果があるのか?今から見ようとする人、まだ見た事無い人の多くは「駄作らしいから見るのを止めよう」と思う可能性が高くなる。少なくともそれを跳ね除けて「むし

    アニメ批判は人を幸せにするか - 全てが台無し―雑記帳―
  • 誤解されてて嫌だなあ - 吉田アミの日日ノ日キ

    http://anond.hatelabo.jp/20070321175721 ブクマにも書いたけど、 吉田アミさんなんかに典型だけど、「何かを嫌いっていう時間に好きなものを楽しむ努力をしたい!」みたいな発想がアニメファンや音楽ファンやらマンガファン――要するにサブカルチャー好き全体に広まって行ってる様子なのかしらん。東浩紀さんも昔SFセミナーでトラブルがあったときに「批判がしたけりゃ自分がいないところでやってくれ」みたいなことを言ってましたっけ。なんだかなあ。 たしかに、頭ごなしに駄作認定してネガティブキャンペーンを張るのはよろしくない。そんな暇があったら好きなものを楽しむ努力をした方がいい。しかし分析的に、理由を挙げながら批判(≠批難)をしているものにまで「そんな暇があったら――」と言ってしまうのは精神的ひきこもり症状ではないのかなぁ。そこには成長がない。「成長」という言葉遣いに抵抗が

    誤解されてて嫌だなあ - 吉田アミの日日ノ日キ