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仏教に関するsphynxのブックマーク (5)

  • 恐山あれこれ日記: 弔い問答 その1

    弔い問答 その1 記事より4回の予定で、『月刊石材』(石文社)の昨年4・5月号に掲載されたインタビューをご紹介します。聞き手は、青森市㈱やまと石材社長・石井靖氏です。 □死後にも人はいる 石井靖社長(以下、石井) 今日は当にありがとうございます。楽しみにしておりましたのが半分と、雑誌『AERA』(二〇〇九年一月二十六日号)の記事を拝見しまして、非常に怖い方だということが書かれていましたので、緊張が半分です。 石材業界は、もともと代々石屋さんというのが多いんですけど、私の場合は、親がまったく別な業界だったんです。今日は素直に聞こうと思っているんですが、この業界に入った時に、私たちは仏教のお手伝いというのか、供養するためのお墓を作らせていただいているんですけど、どうも仏教の話をお伺いしますと、矛盾のようなものを常に感じておりまして。 私たちの仕事に対して、お客様はとても喜んでいただき、また

  • 「三毒」をめぐる混乱 勝間本より役立つ?怒りの分析 - ひじる日々

    日経ビジネスのNBonline Associeで連載されている、勝間和代のニュースな仕事術の最新エントリ、 第8回 2008年「起きていることはすべて正しい」と捉え、自分の力で将来を切り拓こう! には、彼女の持論である「三毒追放」が説かれている。 世界経済が危機を迎えて生活不安が広がるなか、彼女は座右の銘たる「起きていることはすべて正しい」という認識で現状を受け止めよと勧める。客観情勢を悲観しても何一つ変わらないから、自分たちの「ライフスタイルを見直し」して、「どうしたらより長期継続的な社会を作れるかを考えた方が建設的」であり、具体的な解決策として、一人ひとりが「ワークライフバランスを実現するための『生産性の向上』」に努めることで、日の社会も好循環を始めると述べる。そのために最も大切なのは、メンタル面の強さだとして、以下の「4つの技術」を推奨する。 (1) 潜在意識を120%活用する (

    「三毒」をめぐる混乱 勝間本より役立つ?怒りの分析 - ひじる日々
  • 猫猫先生、「最近の妙な仏教ブームは」と。 - finalventの日記

    ⇒ネタバレがなんぼのもんじゃい! - を償うにをもってせよ そういえば『週刊文春』で遂に宮崎哲弥が中島岳志に疑義を呈する。中島が、京都学派寄りの仏教徒だなどと言ったから。何かね、最近の妙な仏教ブームは。 「最近の妙な仏教ブームは」で思い出したけど、オウムの人たちって自分らでは仏教の延長のように考えていたっぽい。 というか、中沢新一ですらそうか。 以前はあの手のものは、ラマ教とか言って区別していたようだが、今ではそういう言い方はだめよんになっている。 あと、チベット仏教は中共のおかげで世界に広まって、最近の欧米の雰囲気ではチベット仏教=仏教みたいな感じ。まあ、以前は鈴木大拙禅仏教=仏教、だったわけだから、ただの外国好みみたいなものかな。 こうした仏教ブームと関連するのか、京都学派寄り?なのか、原始仏教というか宮崎哲弥なんかもさらっと来の仏教とかいうけど、原始仏教というのは宗教学的なモデ

    猫猫先生、「最近の妙な仏教ブームは」と。 - finalventの日記
  • みじめさ - finalventの日記

    みじめさみたいなものが50歳になってもつきまとうとは思ってもいなかったな。ただ、それを言うなら、20歳過ぎても生きていると思っていなかったし、40歳の自分とか想像もつかなかった。でも、50歳になった。漱石の年齢も超えてしまった。そして、率直に思うのだけど、漱石は越えがたいとは当然思うけど、同時に漱石先生、幼いなとは思うようになった。 ネットにいると、どうしても罵倒というのは受ける。バカだとか、その他いろいろ修辞。でも、ようするに、お前バカだろ恥ずかしいなということなんだが、俺は自分はバカだと思っているし、恥ずかしい人間だなと思っている。 そこを克服しようとはあまり思っていないのが、また、別の人をいらだたせてしまうのかもしれない。 僕は、中学生・高校生のころ、亀井勝一郎もよく読んだ。今にして思うと亀井は浅薄な人だなという思いと、それはそれで立派な人としていいんじゃないかの二面があるにはある。

    みじめさ - finalventの日記
  • チベット的癒しの話: 極東ブログ

    虐待されているチベットの人のことを思いながら書棚のを手にとって少し考えた。まとまった話ではない。雑談がてらに。 以前も少し触れたけど、ダニエル・ゴールマンが編集した「心ひとつで人生は変えられる」(参照)は、ダライ・ラマを交えた、「こころはからだを癒すのか」というテーマの討論会のまとめだ。この中で、心の傷を負ったチベット人の話が出てくる。ちょっと読むと、ダライ・ラマの意見はあっけらかんとした印象がある。 ダライ・ラマ 強制収容所に長くいたチベット難民は、収容所の体験が貴重だったとよくいいます。そこは最高の精神修行の場だったと。チベット人の場合、トラウマがこころに深い傷を残すいうことは珍しいんじゃないかな。その道の専門家にインタビューしてもらえばおわかりになると思うが、チベット難民はほかの難民とは違うと思いますね。 ダニエル・ゴールマン 彼らは悪夢に苦しまないんですか? ほかの拷問体験者みた

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