信仰はないし。それに、「天」というか、「神」というかそういうものの考え方にはいろいろある、といえばそれだけのことで、個人的な思いにすぎないのだけど。というのは了解しているという前提で。 そして、努力に価値がないとは思わない。 でも、究極のところで、人の生きる道を開くのは努力ではなく、啓示だと私は考えている。 啓示というのは、ごく神話的に、あるいは比喩的に言えば、神だとか阿弥陀仏とかが、なんの脈絡もなく、なんの理由もなく、示してくれるものだ。あるいは与えてくれるもの。 吉本隆明は、人が渾身で生きるとき、これ以外生きようがないなという一本道が現れるとした。不可避ということだ。生きるというのはそういう姿なのだと。 私は少し吉本とは違うが、生きる道というのは、自分でどうとなるものではないとは思う。 啓示は条件や因果からは生じない。世界というのは巧妙なからくりではなく、ある究極の存在との、理由のない