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memoに関するsphynxのブックマーク (58)

  • いやはやそれがひと昔前なのか - finalventの日記

    ⇒ひと世代前の勉強風景 - タケルンバ卿日記 ちなみに、どうでもいいが、昔はコピーのことを「ゼロックス」って言う人が結構いたよね。「すみません、これ10枚ゼロックスしてください」みたいな。もはや死語。 英語ではそう言うんだよ。今でも。 ちなみに私の時代でもゼロックスはあったけど、あれ、ふーと吹くと消えることがあったり、トナーで悶絶したり。 まだパソコンが一般化されてなかったので、打ち出しはワープロでしたな。Windowsも3.1だったし。パソコン高かったし。30万くらいした気がする。 ワープロはなかった。でも、なぜか初代でもないか2代くらいの東芝のを使っていた。 院生時代はゴルフボールを使ったが、学生時代はレッテラ。今でもタイプライターは打ちなくなるけど。 なもんで、当時は感熱紙に印刷しとりましたな。ツメでこすると黒くなることでおなじみのアレ。日あたりのいいところに置いておくと、文字が消え

    いやはやそれがひと昔前なのか - finalventの日記
  • チベット報道はワンパタンが多いがおっとこれはヲチ - finalventの日記

    べたで孫引きなんで引用するよ。 ⇒時事ドットコム:ラサ暴動で現地当局の対応批判=中国高官が異例の発言−香港紙 2008/04/26-16:30 ラサ暴動で現地当局の対応批判=中国高官が異例の発言−香港紙 【香港26日時事】26日付の香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストによると、チベット族が多い中国青海省の政治諮問機関・人民政治協商会議(政協)のバイマ主席(閣僚級)はこのほど、同紙のインタビューに応じ、隣接するチベット自治区のラサで3月に起きた暴動について、現地当局の対応の遅れを批判した。 中国高官が他の地方・部門を公然と批判するのは異例。共産党政権内部で、チベット族の騒乱が拡大して国際的非難を招いたことに関し、チベット自治区当局の責任を問う声が出ている可能性がある。

    チベット報道はワンパタンが多いがおっとこれはヲチ - finalventの日記
  • 朝日社説 北朝鮮とシリア―ぞっとする核拡散の闇 : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記

    空爆された建物や、原子炉と見られる内部の写真まで公表された。北朝鮮の黒鉛減速炉とそっくりだ。北朝鮮とシリアの核開発担当の高官だという2人が肩を寄せて立つ写真もある。 どうやってこんな写真を入手できたのか。スパイ小説を地でいくような離れ業に驚かされる。 シリア側はさっそく否定した。北朝鮮もかねて、核技術や物質は輸出していないと強調してきた。 だが示された資料を見る限り、両国の主張は信じられるものではない。米政府は「この型の炉は過去35年間、北朝鮮だけが建設している」などとして、北朝鮮の関与を強調した。 私としては今頃感はある。ただ、朝日新聞がこの問題に触れる時が来たのかなという感慨はある。 2004.05.19⇒極東ブログ: 北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連 2007.09.18⇒極東ブログ: イスラエルによるシリア空爆からシリアと北朝鮮の核コネクション報道のメモ 2007.09.20⇒極東ブ

    朝日社説 北朝鮮とシリア―ぞっとする核拡散の闇 : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記
  • グルジェフのことちょっと - finalventの日記

    コメントもろた⇒極東ブログ: 河合隼雄先生のこと そう考えると、結局、グルジェフが教えていた神秘思想の多くは、後の時代にどういうふうに捻じ曲げられても、それほど有害ではないような、どうでもよいことがたくさん含まれているということなのだろうと思います。肝心なのはエッセンスです。人間の実存への真剣な関心です。 ええ、私もそう思うようになりました。というか、年を取るにつれてベルゼブルがわかってきた部分があり、不思議な感じがします。あれを多くのグルジェフィアンは神話あるいは寓話として解釈し、それを信じてしまう。グルジェフはそういうバカなことすんなよという意図もあったのではないでしょうか。あれをベタに信じることはできません。しかも勝手に解釈もできません。では、というあたりから当にグルジェフに向き合う部分はあるなと思います。 最近、グルジェフについてはれいの三浦俊彦のもだけど、ぼんやり考えることは

    グルジェフのことちょっと - finalventの日記
  • 今日の増田 - finalventの日記

    ⇒人を信用できない人は死ぬべきなんですよね。 共感はするんだけど、そう言われてもキモいだろうけど。(他人のことは忘れることだよ。) 世の中は不合理かつ、不公平に出来ていることだけはっきりわかった。 ま、老いてごらん。たぶんとても苦しいだろうけど。そしてたぶん、自分の醜悪さが軽く死を越えるように思えることもあるだろうけど、その自分の醜悪さが、バラ肉のかたまりを煮たときのアクのように浮かび上がるころ、人生の色合いは変わる。 30年くらしてどこかにこっそり神のようなものがいて実は君を祝福していたような気がするならそれを、伝言ゲームのようにこっそり、無力に、また誰かに伝えること。

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  • 暴力や虐待について - Arisanのノート

    その後もだらだらと読んでいたフロイトの『人はなぜ戦争をするのか』(光文社古典新訳文庫)を、中山元の解説とあとがきまで、やっと読み通した。 結論として、フロイトの最後の思想になるらしい「死の欲動」と呼ばれるものは、分かるところもあるのだが、そこから人間のさまざまな暴力、とりわけ戦争のようなものまで理解しようとするのにはやはりついていけないところがある。 「戦争をなくせない」ということと、「欲動(能)をなくせない」ということとは、次元の違う問題であろう。フロイトの思想には、そこを混同することによって、「暴力の社会性」みたいなものを見えなくさせるところがあると思う。 また、「攻撃性」や「破壊性」をあれだけ人間の「質」みたいなものとして強調したことには、やはり時代的な制約みたいなものを感じる。 資主義の発達とか帝国主義の膨張や世界戦争とか、現実の社会のあり方から影響されたイデオロギーみたいな

    暴力や虐待について - Arisanのノート
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20080304/1204589003

    sphynx
    sphynx 2008/03/04
  • 2008-03-01 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! [思ったこと]ダンコーガイには狂気が足りない?

    東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) 駒場寮の北寮9Bの部屋、「基礎科学研究会」、略して「KKK」の部屋 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように 「代わりに面接受けろ」入寮の面接は「替え玉」で突破 「経営と文体の基は寮での読書で培った」 東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にか…

    2008-03-01 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ! [思ったこと]ダンコーガイには狂気が足りない?
  • 「アラブに生まれるということは、つらい思いをしろということだ!」 - 地を這う難破船

    『アラビアのロレンス』の結末近く、アンソニー・クイン演じるアウダ・アブ・タイが、ロレンスと共に見た未来に敗れ去っていくオマー・シャリフ演じるアリの背に、投げかける言葉。私はこの言葉を愛し、よく改変して座右の銘とした。「男に生まれるということは(ry」。そして「人間世界に生まれるということは、つらい思いをしろということだ!」と。 ただし。アウダと違って私は一応は近代人なので、つらい思いをしろということだ! と宣告して諒、とはいかない。「人間世界に生まれるということは、つらい思いをしろということだ」というのは歴史的な事実であるが、そのことを単に諒とするわけにはいかないから人は共同体を社会を育み、かくて近代の社会がある。その現代においてなお。たぶん誰しも「人間世界に生まれるということは、つらい思いをしろということだ」という認識を心に秘めている。然るに近代の社会はその外部に存在する。 その乖離を「

    「アラブに生まれるということは、つらい思いをしろということだ!」 - 地を這う難破船
  • 梅田望夫著「ウェブ時代 5つの定理」、読んだよ - finalventの日記

    ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!: 梅田望夫 特設サイト⇒文藝春秋|梅田望夫著「ウェブ時代 5つの定理」 充実してますな⇒リンク集⇒文藝春秋|梅田望夫著「ウェブ時代 5つの定理」|ビジョナリーたちの名言リンク集 冒頭のゴードン・ベルが梅っちらしい。というか、その秘密の一つのわかりやすい部分の根幹だろう。 if frustration is greater than reward and greed is greater than fear of failure and a new technology/product is possible then begin exit(job); get(tools to write business plan); write(business plan); get(venture capital); start(new compan

  • 人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を

    だから、他人があーだこーだいう筋合いはないし、自分ですらその「責任」について思い悩む必要はないと思います。趣味ならいいんですが。 今現在の人生は、自分と、他人と、環境との相互作用によって形成されていて、これからの人生もそう。 まずコントロールできるのは自分であるとはいえ、結果は相互作用によって生まれるので最終的にはカオスです。 そして、そういうカオスなリスクをある程度ヘッジするために、人間は社会を持っている。 出来る限りのリスクを社会を使ってヘッジしながら、自分は自分で選択を積み重ねていく、というのが人類が21世紀までに積み重ねてきた人生のノウハウです。 アリやハチといった社会性昆虫では、おのおのの「個体」があるとはいえ、もはやそのコロニー自体が一個の生物と考えても良いくらいの徹底した機能分担が成されています。社会機能が生存に必須になっているため、「進化」ですら今後は個体レベルでなく、集団

    人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を
  • 小市民からの脱出 - raurublock on Hatena

    やっぱダンコーガイさすがだなあ。全く同感だ。 小市民の敵は、小市民 (404 Blog not found) しかし、その小市民の幸福を奪い合っているのが、他ならぬ小市民としたらどうだろう。 ただし、「マッチョにならなければ幸福になれないか」という話に直接コメントするのは避けておいて、別の方向に目を向けたい。青臭い理想主義とか机上の空論とか言われるのを承知で敢えて言おう。今週はいろいろあったせいで、これを言わずにおれん心理状態なのだ。 他人の痛みを少しでも理解できるようにならんか、みなのしゅう もっと詳しく言うとこんな感じ。 例え他人が自分の痛みを理解してくれないとしても、自分は他人の痛みを理解できるようになろう、そう思わんか 小市民がなぜ小市民同士で傷つけあうのか。その理由はこう考えればわかる。 人は他人の痛みがわからない。これはマッチョも小市民も同じ。 小市民は「他人は俺の痛みを理解し

    小市民からの脱出 - raurublock on Hatena
    sphynx
    sphynx 2008/02/29
  • 「人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む。」と鷲峰雪緒は言った - 地を這う難破船

    ⇒404 Blog Not Found:自己責任から自己権利へ 小飼弾さんの議論には、わかることとわからないことが、常にある。わかることはある。人間の生を、そして現在を、保証するものなどない、という認識から出発する言葉であり議論である、ということは。ニヒリズムではない。保証するものがないところから、いかに生き、一回性の現在を過ごすか、「よりよく」あらんとするか。そういうこと。単なる、物心において、智情意において、自らに恃むところある者がそのことにのみ拠って示すオプティミズムでないことについても、いうまでもない。 私もまた、世代的には所謂ロスト・ジェネレーションに該当しはするが、先日増田でも拝見したが、正直に言って、その類の言説にはピンとこない。異論があるでもなく、というか社会批評としては異論なきこというまでもないが、自らにとっては単にピンとこない。むろんそれには折に触れ記してきた私の個人史

    「人はサイコロと同じで、自らを人生の中へと投げ込む。」と鷲峰雪緒は言った - 地を這う難破船
  • 暴力について - Arisanのノート

    ゆうべNHKのクローズアップ現代で、「デートDV」についてとりあげられていた。 DV(ドメスティック・バイオレンス)とか、虐待、セクハラといったテーマについて考える場合、大事なポイントは、「昔から、それらは普通に行われていた」ということではないかと思う。 つまり、最近(「近代」とか「戦後」とか「グローバル化」とか以後)に発生したり急増した現象ではなくて、むしろこれらは昔の方がひどかったはずであり、あまりにも日常的にあったので問題とも思われていなかった。いや、「あまりにも多かったから問題にされなかった」のかどうかはともかく、ともかく今のように問題化される以前から、それらのひどいことは公然と行われてきたのである。 過去の事柄としては、「戦争の暴力」とか殺人などの見えやすい暴力だけが、告発の対象になるけど、DVや虐待やセクハラも、やはり昔から人間は行ってきていて、それらは昔の社会の方がひどかった

    暴力について - Arisanのノート
  • 『人はなぜ戦争をするのか』(フロイト) - Arisanのノート

    人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) 作者: フロイト,中山元出版社/メーカー: 光文社発売日: 2008/02/07メディア: 文庫購入: 11人 クリック: 85回この商品を含むブログ (44件) を見る 書所収の文のうち、第一次大戦中の1915年に書かれた「戦争と死に関する時評」から。 フロイトは、「汝殺すなかれ」という道徳的な掟や、殺人や戦争を禁じるような文化的な仕組みが、原始人が自分の「愛する者」の死に直面したときに感じた「アンビバレントな葛藤」に起因する、一種の神経症のようなものであると述べている。 わたしたちにとってこれらの愛する人は、内的な所有物であり、みずからの自我の一部である。しかし同時にある意味では見知らぬ人であり、ときには敵でもある。もっとも濃やかで親密な愛情関係のうちにも、ごく稀な状況を例外として、わずかな敵意がこびりついていて、無意

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  • 戦争と製造業と官僚制のみがリアルというパラダイム - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    読解力の決定的な差 - 素通りできなかった時のために その同じについて、そのが否定的に捉えているとしか思えないことを常日頃披露なさってる方が、つまりそのに恐らくやんわりとDISられてる(と私には思える)人が、好意的ともとれる書評をしている( 「非集中化した私」と「自分探Sier」の葛藤 - アンカテ(Uncategorizable Blog) )のである。 「自分探しが止まらない」は単なる社会批判のとだけとらえるより、単純に割り切れない入り組んだ表現として受けとめた方が面白いと思う。これについては、id:yamatedolphinさんが引用している深町秋生さんも、次のような感想を読むと同じような感想を持たれたように感じる。 とはいえこの韜晦男の言葉はどこまでが気でどこまでがネタなのかがわからないのだが この人はどことなく一力茶屋で遊びほうける大石内蔵助に似ている。 だけど、「批判

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  • 一部でありがちな増田 - finalventの日記

    ⇒そんな技術力は誰も持ってないけど この手の幻想、フランスのカルトなんかも主張してたな。 「私」というのは、道元の言う有時の存在なんですよ。今、ここにのみあり、全体とともにある。 うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に邊際をつくさずといふ事なく、處處に踏せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり。以命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、その壽者命者あること、かくのごとし。 つうわけで、「私」というのはこの有時そのものなんですよ。コピーできないのな。

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  • Enemy of the Sun - FC2 BLOG パスワード認証

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 連絡は→http://b.hatena.ne.jp/CrowClaw/ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

  • 自分探しというのは - finalventの日記

    「君は今のままの君でいいよ」という他者を見つけたときに終わる。 あるいは⇒極東ブログ: [書評]さまよう魂(ジョナサン・コット) あるいは⇒極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)

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