→紀伊國屋書店で購入 地方のうらぶれたレッスンスタジオの本棚に並んでいたのを拾い読みしていたところ、やめられなくなってしまった。こっそり鞄に入れて持ち帰ってしまおうかとも考えたが、かろうじて踏みとどまった。自宅に帰ってネットで検索してみたが、これが何とすでに絶版…。1999年の本だから何とかなるだろうと思ったのが間違いだった。ようやく古本として入手して以来、私の大切な一冊となっている。 江時は音楽家でも医者でもない。しかしベートーヴェンと同じタイプの聴覚障害を持つ人である。だからこそ実感できるさまざまな悩みや苦労が紹介され、他の誰に創作も体験もできない、当事者のみが語れる現実が繰り広げられるのだ。 江時は、ベートーヴェンの難聴は20代後半からではなく(ベートーヴェン自身はそう告白している)、もっと若いとき、それもボン時代から始まっていたのだろうと推察する。また、ベートーヴェンの聴力は晩年に
→紀伊國屋書店で購入 車を運転中、ラジオから流れてきた物語に思わず耳を奪われた。本の朗読だった。「僕」が子供の頃、毎日を自然の中で過ごし、いろいろな昆虫や小動物を見つけては育てた思い出が語られる。命を慈しみ、大切に育てた気持ちが痛いほど感じられる、すてきな内容だった。話なかばにして目的地に到着したが、どうしてもスイッチを切る気になれず、とうとう番組の最後まで聞いてしまった。 私はいま東京の都心に住んでいる。生まれて以来の安住の地だ。安住、とは言っても隣接する大通りには日夜数え切れないほどの車が往来し、近隣の建物も鉄筋のマンションなど人工的な建造物ばかりとなった。土はほとんど見えない。しかし私が生まれ育ったウン十年前には、ここにもあふれんばかりの自然が存在していた。西岸良平の『三丁目の夕日』ばりの風景そのままと言って良く、夜空には天の川が見えたし、周囲が暗くなるにつれ、窓から漏れる光を求めて
→紀伊國屋書店で購入 「ユニークフェイス研究に光を当てた労作」 本書は、日本というユニークフェイス研究不毛の地に、はじめて登場した日本人研究者による学術書です。 私が1999年からユニークフェイス問題を公に語り初めて10年。ようやく日本の現状を研究者が調査結果を単行本化してくれました。待望されていた書籍です。 私は1996年から97年にかけて英米カナダで情報を収集し、日本ではこの問題については研究の蓄積がないことに気がついていました。1999年から大学関係者に、ユニークフェイス研究をしてほしい、と機会をみつけて語ってきました。しかし、その反応は鈍いものでした。国内での先行研究がない、ということは、その研究の価値を判断する能力のある日本国内の権威・専門家(大学教授)がいない、ということを意味します。 少子化による大学冬の時代です。若い研究者たちは就職先がありません。 大学院卒業生の就職先がな
→紀伊國屋書店で購入 はじめてパリに行ったとき、その街並み、建築はもちろんだが、ああ、西洋だなあ、としみじみ感じたのは、建設現場のありようを見たときだった。ちょうどルーヴル美術館が「グラン・ルーヴル・プロジェ」、ミッテラン政権下の大再開発の真っ最中だったのだ。館の入り口に辿りつくまでに、改築現場脇の殺伐とした通りを長々と歩かなくてはならなかったのだが、その広大さと、仕事をしているのかいないのか、なんだかやけにのんびりしているようにみえる現場の人たちの様子をみて、ここでは百年も二百年も先までもつ建築物を造ろうとしているのだなあ、年中、壊したり建てたりをくりかえてしている日本の都市の建設現場とはずいぶん趣がちがう、と妙に感心した。その直後の日本では、メセナという言葉がやたらと飛び交い、美術館がうようよと建った。あのバブル期の建設ラッシュ、今はさすがにおさまった感があるが、それでも新しい美術館は
→紀伊國屋書店で購入 「「モラルハラスメント」と翻訳者の社会的責任」 高野 優(=翻訳家) 翻訳者は社会的な存在ではない。と、長い間、思っていた。もちろん冷静に考えれば、それがまちがいだとすぐわかる。なんらかの職業についていて、社会と関わりを持たないということはないからだ。それなのに、「社会と関わっている実感」がないのはどうしてだろう? その理由はおそらく、本が実用品ではなく、たとえ読者に感動を与えても、その感動が個人的で、訳者のところまで返ってくることがほとんどないからだろう。あるいはこれには私自身のトラウマも関係しているのかもしれない。翻訳者を目指して、仕事もなく、原書ばかり読んでいた頃、サラリーマンでも店屋さんでも職人さんでも、汗水流して働いている人が羨ましく思えた。「この人たちは社会に貢献している。それにひきかえ……」というわけである。そうなのだ。「社会的な存在ではない」というのは
・絶対貧困 世界最貧民の目線 「物乞う仏陀」に続いて読んだこれも当たりですっかり石井光太ドキュメンタリのファンになってしまった。 世界の5人に1人は1日1ドル以下で暮らしている。物乞い、物売り、ストリートチルドレン、売春婦...路上やスラムに暮らす世界最貧民の実情を生々しくレポートする。その貧困の悲惨さを強調するのではなく、彼らがどんな生活をして、日々何を考えているのか、を潜入取材による同じレベルの目線で明らかにしていく。 ・男女はどんな恋愛をしているか ・どんなセックスをしているか ・出産や葬儀はどうしているか ・トイレはどのようになっているか ・路上でどのように、いくらくらい稼ぎ、そして巻き上げられているか ・貧困女性が多く従事する性産業の実態 など。大きくスラム編、路上生活編、売春編の3章構成。知らないことの連続。 「しかし、スラムだって路上だって、売春宿だって、そこで生きているのは
図書館のプロが伝える調査のツボ 作者: 高田高史出版社/メーカー: 柏書房発売日: 2009/07/01メディア: 単行本購入: 7人 クリック: 23回この商品を含むブログ (11件) を見る書店員の私にとって、図書館とは近くて遠い存在です。1年に1回行くか行かないか。同じ本を扱っているというのに、何かわからないけど両者の間には透明な壁があるような気がしてなりません。私の気のせいですかね? さて、これは図書館の本です。 図書館にはレファレンスサービスというのがあり、調べモノを手伝ってくれるサービスがあるんだそうです。世の中の大抵のことはGoogle先生に聞けばある程度教えてはくれる便利なインターネット社会ですが、ネットの検索程度では事足らない深い調べ物をするときは、図書館に聞いてみな、ということみたいです。ほほう、そんなサービスが図書館にはあるのですか。普段図書館を利用しないから全然知ら
・ドラゴンクエストIX 星空の守り人 と 東京ディズニーリゾート便利帖 連休にディズニーランドへ行った。ドラクエ9の"すれちがい通信"をするために。 ドラクエ9はニンテンドーDSの無線LAN機能を使って呼び込みモードにしておくと、近距離(10メートルから30メートル)にいるプレイヤーを自分のゲーム世界に迎えることができる。呼び込み人数に応じてゲーム内"宿屋"が大きくなる。 アトラクションやパレード待ちをしていると次々に釣れる、釣れる。一度に3人ずつしか呼び込めない仕様のため、かかったかなー?と頻繁にDSの蓋を開けて"ホイホイチェック"しないといけないのだが、さすが天下のディズニーランド入れ食いである。しかもプロフィールを見ると全国からプレイヤーが集まっている。 「夜のパレードが楽しみ」「水をかけられてびしょぬれになっちゃいましたー」などディズニーランドに関する情報をメッセージに書き込んでい
まず断っておくが僕はタバコを吸わない。で、あるにもかかわらず、昨今の喫煙事情には同情すら感じてしまう。室内はもちろん屋外でも吸えるスペースは限られている。喫煙所に人が群がる光景は、窮屈そうでかわいそう。 著者はこのような状況を中世の魔女狩りに例える。そして禁煙ファシズムに真っ向から対立する。その論調は鬼気迫るものがある。もちろん、国立大学の教員である著者自身が100本以上のパイプを保有する愛煙家であるのは言うまでもない。 本書によると原因はWHO(世界保健機関)の極端な禁煙キャンペーンにあるという。タバコ規制条約の締約国である日本は方針に従わなければならない。その流れのなかで公共機関の禁煙化、tasupoの導入…が進んでいるらしい。対して、著者はタバコの有害性を問い直し、受動喫煙にいたっては「詭弁」と断じる。 著者が闘っているのは喫煙問題だけでなく、そこから見えてくる単一の価値観を押し付け
→紀伊國屋書店で購入 「ロンドンで育てられたライオン、アフリカに帰る」 今回読んだ『A Lion Called Christian』は1971年に一度出版されているが、ビデオクリップをネット上で観ることができるYou Tubeからの国際的大人気を受け、加筆・修正がくわえられ再出版されたものだ。売れ行きは好調で、今年3月に出版されてすぐにニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー・リスト上位に入った。 You Tubeでの人気について著者たちは次のように語っている。 「2007年の終わり頃に、僕たちのビデオがYou Tubeに流れているというメールを受け取り始めた。誰がYou Tubeに載せたのか知らないが、あまり気にもしなかった。でも、08年になってウィットニー・ヒューストンの曲をバックに付けたものが流れ始め、それを観た人が知り合いに送り遂には世界中の人が観るようになった」 You Tubeのこ
→紀伊國屋書店で購入 「「家畜化」されたハチたちの現在」 数年前までうちの近くに養蜂所があった、と書くと里山に暮らしているように聞こえるが、住まいは都心にある。JR信濃町駅を出て四谷方面にむかう途中に、うっそうと庭木の繁る洋館の屋敷が建っていた。そこの庭に、十何箱の巣箱が置かれていたのである。 そんな場所で蜜が集まるのか思いきや、これが集まるのである。養蜂所の方に取材したことがあるが、「理想的な環境」とのことだった。蜂は半径4キロメートルほどの範囲を飛行して蜜を集めるが、線路をへだてた南側には東宮御所、東には皇居、西には新宿御苑があり、街路樹もたくさんあって蜜源が豊富だという。 蜂といえば花畑を連想するので、木に咲く花にも蜂が飛んでいくのは意外だった。また「蜂の目で見れば、都心でも一年中どこかに花が咲いているんです」という言葉にも目からウロコが落ちた。冬場にも咲いている花があるのだ。巣箱は
・ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い 最近、盛り上がってきたヤンキーという文化集団の研究。これまで表で語られることが少なかった日本の地方の不良文化の系譜を明らかにする。特攻服の暴走族、リーゼントのツッパリ、ギャル、スケバン、レディース、DQNなどヤンキーと、曖昧にされてきた周辺の概念を定義していくのが面白い。 著者は、ヤンキー的であるとは、 ・階層的には下(と見なされがち) ・旧来型の男女性役割(男の側は女性に対して、性的でありかつ家庭的であることを求める。概して早熟・早婚) ・ドメスティック(自国的)やネイバーフッド(地元)を指向 というファクターを帯びていることだという仮説を提示する。 ヤンキー研究の意義を「階層的に下位に位置づけられることが、自身のアイデンティティを毀損しない生き方」をポジティブに語ることに見出している。上品・洗練・高尚な文化資本だけで社会は成り立っていない以上、「バ
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