北海道・旭川で女子高校生が川に落とされ亡くなった事件で、『週刊文春』に加害者女性との不倫疑惑を報じられた警察官らが、同加害者や未成年女性らと飲食をともにしているとみられる写真がみつかった。市内の歓楽街で写真を入手したという男性は「地元市民として情けない。警察は襟を正して」と、警察官らの不適切な行為を批判している。 ◆ ◆ ◆ 問題の写真を入手したのは、悪質ホスト問題の被害者などを支援する「青少年を守る父母の連絡協議会(青母連)」旭川支部長で、NPO法人「北海道駆け込み相談所」の代表も務める旭川市の岸本和幸さん(51)。同市内で探偵業を営む傍ら2011年からボランティアで夜の街の青少年らの困りごと相談に応じ始め、地域の問題のみならずいじめや家庭内暴力などの問題とも向き合ってきた。旭川の歓楽街「三六街」に加え、札幌・ススキノで働く女性からホスト被害の相談を受けたこともあり、活動を通じて
北海道旭川東高等学校(ほっかいどうあさひかわひがしこうとうがっこう、Hokkaido Asahikawa Higashi High School)は、北海道旭川市にある公立(道立)の高等学校。1903年開校の北海道庁立上川中学校を起源とする伝統校である。通称は「旭東(きょくとう)」「東高」など。 沿革[編集] 1903年 2月14日 - 文部省告示第27号を以て北海道庁立上川中学校を旭川に設置することを許可される。 1903年 5月1日 - 上川外2郡農会事務所を借用し、職員6名、生徒第1学年2学級、102名を以て授業を開始する。(この日を開校記念日とする) 1907年 - 塩田弓吉(教諭)による作詞作曲の校歌を制定する。(突兀七千有余尺) 1915年 4月19日 - 校名を北海道庁立旭川中学校に変更する。 1923年 5月1日 - 旭川中等夜学校(現在の定時制の前身)を設立。 1935年
北海道留萌市の17歳の女子高校生が先月、道内の川で遺体で見つかり、警察は、この高校生を監禁したなどとして逮捕していた10代と20代の容疑者2人について、橋から川に落として殺害した疑いで再逮捕しました。 再逮捕されたのは、いずれも旭川市の無職、内田梨瑚容疑者(21)と、19歳の女の容疑者の2人です。 警察によりますと、2人はことし4月19日未明、旭川市の渓谷、神居古潭(かむいこたん)にある橋から留萌市の17歳の女子高校生を川に落として殺害した疑いが持たれています。 高校生はことし4月から行方が分からなくなっていて、警察が交友関係などを捜査したところ、今回逮捕された2人といずれも16歳の無職の少年と少女、合わせて4人が事件前日の18日から翌日にかけて高校生から金品を脅し取ったり車で監禁して神居古潭まで連れて行ったりしていたことが分かり、監禁や恐喝などの疑いで逮捕していました。 遺体は先月下旬に
キユーピー株式会社との協働による「旭川産さつまいもPR企画」【第3弾】を開催しました! 詳細はこちらをご覧ください。 旭川の「さつまいも」 秋の味覚としてなじみ深いさつまいも。料理やお菓子など、様々な食べ方で楽しむことができ、栄養バランスが良く食物繊維が豊富な作物です。鹿児島県や茨城県が産地として有名ですが、近年の温暖化の影響もあり、北海道でも栽培地域が広がっており、旭川でも年々生産量が増えています。 旭川での栽培の経緯 さつまいもの原産地はメキシコを中心とする熱帯アメリカです。寒さに弱い作物なので、国内の主産地は関東地方以西の温暖地となっており、中でも、鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県が全国の収穫量の80%を占めています(令和4年産)。 従来は東北地方南部が農業としての栽培の北限とされてきましたが、近年の温暖化による夏の気温の上昇傾向もあり、これまで栽培に不向きとされてきた北海道でも、2
1972年、北海道旭川市で玉置浩二は、旭川市立神居中学校2年時のクラスに転入生だった武沢豊を迎える。中学進級時から自己流でギターを弾き始めていた玉置は、武沢の大きな掌に空手を稽古していると恐れを覚えるほどであったが、それがクラシックギターを習っているからだと知り、練習曲を上手く弾く武沢に惹かれ、バンド結成を誘う。 一方、1972年、同じ旭川で、中学3年の同級生とした矢萩渉がギター、田中裕二がドラムでバンドを結成していた。また、同じく旭川で六土開正は、1971年から1972年頃、年長者とバンドを組み活動していた。六土と矢萩/田中は中学同級生バンドとして知り合っていた。 1973年4月、玉置浩二(ボーカル)、武沢豊(ギター)、武沢俊也(武沢の兄、ギター・キーボード)の3人でバンド『インベーダー』を結成する。フォークグループとしてスタートし、演奏曲目はガロの「学生街の喫茶店」を得意とした。後にロ
カタツムリを中間宿主とする寄生虫 子どものころに一緒に遊んだカタツムリ、そういえば大人になってからは見かけないな……。そんなひっそり生きている動物の、さらに内部に暮らす「寄生虫」に焦点を当てた大人たちがいます。寄生虫のなかでも吸虫類(扁形動物)はその発育環を完成させるために1つあるいは2つの中間宿主を必要とすることが多いのですが、一部のものはその中間宿主としてカタツムリの仲間を利用します。写真はすべて北海道旭川市に生息するカタツムリです。こんなに種類があることをご存知でしたか? 旭川市に生息するカタツムリ。公園に行けばすぐに見つけることができるが、本州では見られない、もしくは数が少ないものが多い。A:エゾマイマイ、B:サッポロマイマイ、C:ヒメマイマイ、D:オカモノアラガイ、E:パツラマイマイ 今回私たちは、旭川市内にいるカタツムリがある吸虫の中間宿主になっていることを突き止めました。さら
イオン北海道(本社・札幌市白石区)が、スクラップ&ビルドで建て替え新設する仮称「イオン旭川春光店」(旭川市春光町10-2ほか)の概要が明らかになった。それによると、新店舗の延べ床面積は旧店舗の半分程度になる見通し。(画像は、仮称「イオン旭川春光店」の配置計画図) イオン北海道は、北海道地域商業の活性化に関する条例に基づき、仮称「イオン旭川春光店」について特定小売業施設新設届け出を11月10日に行い、道が11月30日に公開した。それによると、敷地面積約7789坪(2万5706㎡)のうち、建築面積約2943坪(9712㎡)を使って建物を建設する。延べ床面積は約2852坪(9414㎡)、店舗面積は約1852坪(6112㎡)。イオン北海道以外の出店予定小売店舗は、未定。小売店舗以外に飲食店が約226坪(747㎡)となっている。 集客予定区域は、半径2㎞で1日当たり約4000人の利用を見込む。今後の
このページ名「旭川女子中学生いじめ凍死事件」は暫定的なものです。 議論はノートを参照してください。(2021年4月) 旭川女子中学生いじめ凍死事件(あさひかわ じょしちゅうがくせい いじめとうしじけん)は、2021年2月に発生した北海道旭川市の旭川市立北星中学校の女子生徒に対するいじめ、集団性的暴行により当該女子中学生の死亡につながったと報道されている事件である[1][2][3][4]。 経緯[編集] 事件[編集] 本事件は北海道旭川市の旭川市立北星中学校で発生した事件である[5][6]。当該女子中学生は2019年4月に同校に入学して間もなく、数人の中学生男女らにいじめられるようになった[1]。その中の他校の男子中学生に「裸の動画送って」「写真でもいい」「お願いお願い」といったLINEメッセージによる脅迫を受けた。被害者は恐怖を感じて自身のわいせつ画像を当該男子に送り、その画像が中学生のL
6項目の事実について「イジメだった」と認定 昨年2月13日に自宅から失踪し、翌月に旭川市内の公園で雪の中で亡くなっているのが見つかった爽彩さん。文春オンラインでは2021年4月15日から記事を公開し、これまでに爽彩さんが中学入学直後から凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。 これらの報道を受けて、昨年4月に旭川市教育委員会はイジメで重大な被害を受けた疑いがあるとして本件を「重大事態」と認定。昨年5月に設置された第三者委員会はイジメの事実確認や爽彩さんが亡くなったこととの因果関係などの再調査を進めていた。 委員会の発足から10カ月が経った3月27日、第三者委員会は旭川市内で母親と弁護団に調査報告を行った。2019年4月から2019年6月までの「事実経過」をまとめた中間報告書を読み上げ、これまで頑なに「イジメと認知するまでには至
第七師団が置かれた軍都旭川は、日華事変を境として市政や市民生活のうえに、いろいろな形で戦時体制の影響が強くあらわれるようになり、戦時統制経済のなかで、国策パルプ工業株式会社の旭川工場をはじめ、多くの軍需関係工場が設立された。 昭和16(1941)年12月8日、わが国はついに国運をかけた太平洋戦争に突入し、青壮年は相次いで戦場に動員され、銃後を守る国民は老若男女を問わず、組織的・系統的な体制のなかで国防の行動に組みいれられた。昭和19(1944)年後半には、一億総武装の閣議決定にもとづいて、婦女子の竹槍訓練が強化されるとともに、国土防衛隊や旭川配給挺身本隊、陸軍演劇奉公隊なども組織された。 昭和20(1945)年4月に宮城の一部が爆撃で炎上、まもなく本道にもB29が来襲するようになった。 ページトップへ戻る 旭川の工業は昭和15(1940)年8月に国策パルプ工業株式会社の旭川工場が落成された
JR旭川駅前から8条通までの1キロメートルをまっすぐに続く常設の歩行者天国をご存知でしょうか。1972年6月に日本初の歩行者天国として平和通買物公園が開設されました。 現在はデパート、商店、カフェなどが連なり、夏まつりのパレードや冬まつりの氷彫刻世界大会の会場になるなど、華やかな旭川の中心部です。 その平和通買物公園の8条通に、60年以上の歴史ある和菓子店「お菓子 にちりん」があります。店主の意志で一度閉店が決まったお店は、今再開し営業を続けています。そんなお店の歴史と、新しいオーナーさんにお話を伺いました。 昭和34年から続く「お菓子 にちりん」 1959年創業の「お菓子 にちりん(以下、にちりん)」は、初代オーナー山本寅二さんがオープンさせた和菓子店です。創業当初からこの場所で手作りの和菓子を販売してきました。餅菓子を中心にケーキなどの洋生菓子を作り、他店に卸していたこともあります。
旭川市を代表するご当地グルメといえば、ご存知“旭川ラーメン”。そのラーメンにやわらかく煮込んだ“ホルモン”をトッピングした『旭川しょうゆホルメン』をご存じでしょうか? 旭川市は、かつて養豚がさかんで新鮮な豚のモツが手に入りやすかったことから、ホルモンは旭川市民にとって身近なグルメでした。 『旭川しょうゆホルメン』は、“旭川しょうゆラーメン”と“ホルモン”という旭川の2大ソウルフードがコラボした絶品グルメなのです。 旭川しょうゆホルメン5人組 現在、『旭川しょうゆホルメン』を提供しているのは、次の5店の人気ラーメン店です。 ・羅亜〜麺 加藤屋 ・旭川ラーメン さいじょう ・らーめん夢想(むそう) ・旭川らーめん いってつ庵 ・らーめん耀(よう) 『旭川しょうゆホルメン』の公式ホームページでは“旭川しょうゆホルメン5人組”のお店として紹介されています。 今回は、このなかから『旭川しょうゆホルメ
突然変なことを言うようだけど、一人旅の時代が来ているのではないかと思う。 こんにちは、phaです旅行というのはみんなで楽しむもので、一人旅なんていうのは一匹狼を気取った変人がやること、と昔は思われていたらしい。 しかし徐々にそんな風潮も薄れ、ふらっと気軽に一人旅をする人がここ最近は増えてきているように思う。さらに、このコロナ禍のもとではリモートワークやワーケーションがトレンドになりつつある。 まさに一人旅にうってつけのタイミングだ。 そんなわけで10月のある日、行ったことのない土地に一人で行ってみよう、と思い立って、北海道の旭川に降り立った。 東京・羽田空港から旭川空港までは約1時間45分今回、一人旅の参考にしようと思っているのが、人気ドラマである『孤独のグルメ』と『サ道』だ。2つとも、旭川でロケをしている回があるのだ 酒は飲めないけれど、一人でメシ屋に入り好きな料理を頼みまくる井之頭五郎
2021年5月9日、北海道旭川市ーー。地元の生活を支えてきたイトーヨーカ堂旭川店が40年の歴史に幕を閉じました。閉店時の店長によるお別れの挨拶には、詰めかけた約200人の市民が拍手で見送り、涙を流した人もいたという報道もあります。 さらに同年2月28日。人口35万人を誇る福島県いわき市。街の中心部、平地区のシンボル的存在だったイトーヨーカ堂平店が閉店しました。 こちらも1971年に建てられた施設が施設老朽化し、東日本大震災時の損傷などもあり、「地域のお客様のニーズに対応できなくなった」ことを理由に50年以上の歴史に幕を閉じています。 実はいま、あなたがかつて育った地元でもイトーヨーカ堂の閉店が相次いでいるのです。 少しだけ例を挙げるとしても、これだけの店舗が閉店しています。 2019年1月20日 釧路店(北海道) 2019年2月17日 古河店(茨城県) 2019年2月17日 東大阪店(大阪
〈皆様のご協力ありがとうございました。今日娘は残念な姿ではありますが見つかりました〉 住宅街には1メートル近い積雪が残り、春の到来はまだ遠いと感じられる3月下旬の北海道・旭川市。わずかに解け始めた市内の公園の雪の中から、市内に住む中学2年生、廣瀬爽彩(さあや)さん(14)が、変わり果てた姿で見つかった。最愛の娘を亡くした母親は、自身のSNSで辛い胸の内を冒頭のように綴った。 ※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだ
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