トーマス・アンドリューズ・ジュニア(Thomas Andrews, Jr., 1873年2月7日 - 1912年4月15日)は、アイルランド生まれの実業家・造船家。ベルファストにある造船会社ハーランド・アンド・ウルフの常務取締役兼設計部門部長。アンドリューズは遠洋定期客船タイタニック号の設計担当者だった。彼はタイタニック号の処女航海に同行し、1912年4月14日に船が氷山に衝突して沈没した事故で、亡くなった犠牲者のうちの1人である。 経歴[編集] 幼少期[編集] 家族写真、1895年。右から2人めがトーマス。 トーマス・アンドリューズは、アイルランド北部、ダウン県コンバーのアルダラ・ハウスで、アイルランド枢密院のメンバーである父トーマス・アンドリューズと母エリザ・ピリーの間に生まれた。 弟はのちの北アイルランド首相J.M.アンドリューズであり、トーマス・アンドリューズの一家はコンバーのアル