九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)の建設問題が暗礁に乗り上げている。一般には、メリットの少ない佐賀県が財政負担の額で妥協するかどうかが焦点のように語られているが、それはいささか当を得ていない議論である。 白紙に戻った大前提 改めて整理すると、同ルートは、JRがまだ国鉄だった1972年、当時の運輸省が定めた新幹線基本計画で福岡市と長崎市を結ぶ路線として決まり、翌年、全国5路線の一つとして整備計画に格上げされたが、国鉄経営の悪化で建設は棚上げになった。 この時点で、ルートは佐賀県鳥栖市で分岐するとか、佐賀駅を通過するなどとは書かれていない。それ以降、佐賀県内のルートや整備方式、並行在来線についてさまざま議論があって、決着は付いていなかった。 JRの発足に伴い、経費節減案を前提に整備新幹線の建設が再開された。西九州ルートはスーパー特急方式(曲線の多い武雄温泉-長崎=当初は諫早=間だけ新ルートを
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