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皮肉なことに、お金がないときほどお金がかかります。筆者は破産を経験しているので、その意味が身に染みてわかります。 お金がないと、食品の大量購入ができなかったり、長持ちする高品質の物が買えなかったり、電子機器をレンタルせざるを得なくなったりします。しかし、これらはすべて、長期的に見るとお金を損しています。さらに、お金がない状態が続くことで避けられないコストもあり、いっそう抜け出すのが困難になるという悪循環に陥ります。 食費を下げることはできるが、ヘルシーな食生活にはお金がかかる 学生に聞けばわかるように、お金があまりなくても、食べ物にありつくことはそれほど難しくありません。インスタントラーメンは、1パック20セントで売っています。問題は、ヘルシーな食べ物を食べること。インスタントラーメンの20%はただのカロリーで、残りの80%は塩分です。1年間それしか食べなければ、長期的な健康は深刻なリスク
2015-09-17 子どもが欲しいとは思っていなかった 子どもが欲しいとは思っていなかった。 子どもなんかいたら、自由で気ままな日々なんて望めない。好きなように本を読んで映画を見て、ゲームして、バンドをやって、好きなものを食べて好きなところに住んで好きなように仕事がしたい。自分が誰かに受け入れられるとも思ってなかったし、別に一人でいいと思って生きていた。だから子ども、いやそもそも結婚自体が、僕には制約としか感じていなかった。 そんなことを考えていたのに、一転して今から約三年前に結婚し、すでに一歳半の娘がいる。そこに至るまでは長くなるので細かくは語らないが、端的に言うと、転職や震災といった経験を経て、ようやく僕には大切な両親や友達がいて、さらにはパートナーにも恵まれていたことに気づけた。一人で生きていくだなんてヒロイックな傲慢だと気づいたのだ。 娘が産まれるまでも大変で、例えばいざ産まれる
はじめに 反知性主義をめぐる本を3冊読んだので、その話をちょっと書こう。なぜそんなものを読もうと思ったかというと、『現代思想』の「反知性主義特集」に対するアマゾンのレビューがぼくのツイッターでちょっと話題になっていたからだ。 「彼らは反知性主義だ」と規定する知性は知性主義的なのか? ぼくはこの特集を読んでいないし、読むつもりもない。が、このレビューの主張はよくわかると同時に、この特集のスタンスについて疑問が湧いてきた。 というのも、このレビューを信じるなら、この特集での「反知性主義」というのは、「自分とちがう考え」のことらしく(たとえば原発推進とか安部政権評価とか)、そしてそれを「反知性主義」と呼ぶのは、要するに「バーカ」というのをご立派に言い換えているだけらしいからだ。 さて、まずぼくはこの手の言い換えが嫌いだ。ぼくはしばしば、バカをバカとはっきり言うので、性格が悪いとか下品とか言われる
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。 結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。 病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。
「できるだけモノを買わない」ミニマリストの存在を知ったのは、はてなブログを始めてからだったので、これは「はてなしぐさ」の一部で、一般には普及していないんだろうなあと思っていた。また、「モノを買わないことがすばらしい」という考えは約20年も前に『清貧の思想』という本で流行っており、それがキャッチーな名前で再登場したのかくらいの認識だった。 ところが近日、本屋をいくつか回ったところミニマリズムに関する本がディスプレイに並んでいる。しかも集団で自己啓発会を開いたり、非ミニマリストをネットで攻撃する過激派までいるようだ。この点さえなければミニマリストは完全自給自足を目指すヤマギシ村のコンセプトに近いのだが、ミニマリストたちは情報発信だけマキシマムなのが特徴である。 興味を持ったので、ミニマリストのブログを検索して調べてみた。一例をここに引用させていただきたい。 (ミニマリストの)ブログは何のために
過去に月100時間の残業を経験しました。そのときの心と体の変化を思いだして書きます。今は過重労働に晒されていないので、なんとか元気です。 学生のときの友人と仕事の話をしていて「残業100時間」って言うと本気でドン引きされて本気で心配されたことが何回かあり、残業100時間の異常さを痛感しました(新卒で入った会社が己に与える影響は計り知れない)。 月に残業100時間というのは、 すべての平日で4時間残業(4h×20日=80h) 土曜日は3回出社(8h×3日=24h) 休日は、土曜1+日曜4=月5日だけ これで時間外労働が100時間ぐらいになります。平日は毎日9時-22時で働きます。家に着くのは22時45分です。職業はプログラマ。 寝られない 帰宅して、夕飯を軽く食べて風呂入って寝るんですが、寝られないんですよ。目が冴えるというか、脳がギンギンに冴えている状態なんですね。12時間もパソコンで知的
歩けば歩く程人は幸せになれるというデータが出てる。1万歩以上良く歩く事、8時間以上寝ること、これが高ストレスの現代社会で人間らしく生きていく秘訣なのだ。/Gigazineは訳間違ってねーか? / “「何時間眠ると幸せになれるのか?…” http://t.co/CHcln9GgLH — Xevra Lindich (@xev_ra) 2015, 7月 7 皆「幸せになりたい!」と思っているが、幸せになる方法はデータで示されている。 この調査によると 8時間以上寝る事 1万歩以上歩く事 これを満たす事が幸せの必要条件だ。 logmi.jp この記事にも 「Cook」「Move」「Sleep」が現代のビジネスパーソンの3大必須スキル という説明があるが、Googleが社員に求める事の3大要素にも運動と睡眠が上げられている。 人間はそもそも脳が発達した動物に過ぎない。哺乳類として進化した数千万年の
昨日テレビ見てたらある番組がやってたんだ。 内容は中年のおっさんが地下アイドル(売れてない)を追っかけてるって話。 それがもう悲惨で悲惨で。 そのアイドル達は普段ある場所で肩揉みアイドルとしても活動してるんだよ。 追っかけのおっさん達はそこへ行きお金を払い肩を揉んでもらったり話したりするんだよ。 そんで1回2万とか払ってんの、娘くらいでもおかしくない子に。 挙げ句の果てはその中に所属してるアイドルに本当は肩なんて揉みたくないとか言われてんの。 そりゃみじめでしょうがなかったよ。 でもなんでこのおっさんは決して結ばれる事ない自分の娘程のアイドルにこんなに入れ込んでるのだろうと考えたんだよね。 ようはおっさんは自分が叶えられなかった明るい未来への希望を勝手にその子へ託してるんだよね。 その子が上り詰めていくのを自分と重ね合わせてもう一度人生をやり直そうとしてるんだよね。 それはおっさんが自分の
東京のスタジオでヌードデッサンをするグループ(2015年4月26日撮影)。(c)AFP/Yoshikazu TSUNO 【7月1日 AFP】サカイタカシさん(仮名)は41歳の健康な男性だ。良い仕事に就き、笑顔がチャーミングで、恋愛対象は女性だ。だが彼はセックスをしたことがない。日本で増加している、童貞のままの中年男性の一人だ。 サカイさんは一人の女性とどんな種類の関係も持ったことがなく、どうやって女性と出会うのかも分からないと語る。「彼女がいないし、できないし」「やる気がないといっても全くないわけじゃなくて、女性に対してはいいなと思うし。ただ他の人と同じように、それが結婚して子どもを生んでというコースに乗っかっていかないんだと」 サカイさんの話を聞いて、ハリウッドのコメディー映画『40歳の童貞男(The 40-Year-Old Virgin)』の主人公を思い浮かべるかもしれない。だが、ステ
かなり説得力のある本を読んでしまいました! 人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書) 作者: 諸富祥彦 出版社/メーカー: 幻冬舎 発売日: 2012/05/30 メディア: 新書 この商品を含むブログ (2件) を見る 諸冨さんの「人生を半分あきらめていきる」です。 この本、タイトルに惹かれちゃったんですよね。なんか時代の雰囲気を表していると思いませんか? ポイントは、タイトルにある「半分諦める」という言葉にあるんです。 現代は、生きづらさが蔓延しています。当ブログで何度もお伝えしているように、今後、経済成長を望む事は出来ないし、ブラック企業、ブラックバイト、高齢者の孤独死、そして貧困問題。 社会問題が山積みの中で、私たちがやらなければいけない事は何でしょうか? 僕は思うんです。僕らは、諸冨さんが本のタイトルで表したように、人生を半分諦めるべきなのではないか?! こんな事を言うと、「え
「君は何でも真剣に考えすぎだよ」と言われた。知ってる。ライフワークだからほっといて下さい。■最近は「服を着ていない猿」と「服を着た猿」の違いについて考えてるまず1点目の違いは、服を着た猿を殺すことは重罪だが、服を着ていない猿を殺しても何の罪にもならない。他に、服を着た猿は、服を着ていない猿よりも大抵頭がいい。ただし服を着た猿も、年齢が若いと知能はそう変わらない。他に何か違いがあるだろうか?みんな猿なのだ。本能に従って生きている。ただ猿よりも少しだけ、本能を隠すのが上手いだけだ。神様はこんな服を着た猿を他の動物と区別して扱い、愛しているのだろうか?いや、そんなはずがない。■愛されるために必要なことは、愛することと、理解することだ私たち人間は猿とは違うことを示すために、もっと神様を理解しないといけない神様は今何を考えているのだろう?ドイツの貿易黒字に頭を悩ませているだろうか?柏木由紀のスキャン
中学を卒業後、各地を転々としていたわけで、地元のつながりとか、仲間とか、そういったものを語るときの自分の目は、 どこか遠くのラピュタを見つめるような目をしていたと思う。 けれども、最近、仕事がきっかけで、また中学のある地域へ引っ越してきたことで、それが少しずつ、それがそうでもなくなってきたのである。 ここ半年ぐらいの生活はというと、会社に行って、プログラミングをして、帰って、またプログラミングを黙々とするみたいな感じだった。 土日も基本的には同じで、いや、酷くて、基本的にこもっている。日曜日の夜になると、カーテンをジャッとあけて、漂流してねぇな、なんて確認して謎の安心を得て月曜日に備える感じだ。 テレビもねぇ、ラジオもねぇを地で行っていて、世の中のニュースがまったくわからない。 わかるのは、カラパイアとからばQとかの世界のどうでもいいニュースばかりだ。 Yahoo!トピックスとかを見ればま
noteで「緩やかな始まりの終わり」という漫画を不定期で連載しているのですが、三話で更新が止まっています。 更新を待ってくれている方々申し訳ありません。 三話分を一挙掲載いたします。 そして漫画の後更新が止まっている言い訳がましさを時間がある方だけ読んでいただけたら幸いです。 描けないのである。 続きが・・・・。 この漫画を描いていると昔を思い出し、どうしようもない気持ちと共に、これまでに感じた事のない自己嫌悪に陥り涙が止まらなくなってしまいます。 Twitterの漫画もなるべく祖母のことを描かないようにしています。 かわりに思考が停止してしまうような、くだらん漫画ばかり描いています。 これは防衛本能なのでしょうか。 祖母が亡くなり、もう何年も月日が経とうとしているにも関わらず未だ気持ちの整理が全くついていない状況で過去に囚われまくっています。 大切な人を亡くした時、一体どうやって立ち直れ
僕は発達障害だが、それがわかったことで救われた人間だ。 自分は子どもの頃からできることとできないことがくっきり分かれ、そのどちらを見たかによって他人の評価も異なった。 それはまるで、自分の中にできるやつとダメな奴が共存しているのでは?と思うほどに自分に対する評価・努力してできること・できないことの差は大きかった。 不安定な評価や成果に疑問を抱き続け、24年。自分が発達障害だったと知った。 わかったことで発達障害が治るわけでも障害そのものは解決するわけじゃない。 でも、ある種の自己喪失・不可解さからは救われ、前向きになることはできた。 障害や病気に一番迷惑してるのは自分自身ですが?躁うつ病担ったのをきっかけに通った精神科で、いくつかの性格診断・聞き取りそしてIQテストを経て自分が発達障害だとわかった。 言語系のIQが高く、動作系のIQが障害者ギリギリだった事がわかり、自分を評価してる人として
才気あふれるMatsuki***さんのこのツィートを見て、思わずふいた。 なぜひとはオッサンになると戦国武将や三国志で物事を分析したがるようになるのか。その謎を解くために我々取材班は現地へと向かった— Matsuki *** (@liliput) 2015, 6月 1 この疑問は、僕が若いころに持っていた疑問とまったく同じだからだ。 オッサンどもは馬鹿じゃないのか、と思っていた。 完全なオッサンになった今、あれほど不思議だった謎がようやく解けた。というか、自分もそういうオッサンになっていることに気づいた。 そこで、自分の心の中に取材班を派遣して、その理由を探ってきた。おおむね、その理由は以下の5つによるものと思われる。 Matsuki***さんが何十年かのちに、三国志に関する記事を書いて1,000はてブというところを見たうえで、あの世へ旅立ちたいものだ。*1 1.時の流れ、変化が早すぎてつ
DVをしてきた父親をずっと憎んできた。 DVそのものというよりも、家庭内で突然キレる、レジャーの最中にほぼ必ずキレるという習慣が、おれから家庭=安心という概念を失わせ、部屋にこもってゲームや物語や勉強を続け、極力家庭に興味を持たず、逃避する人間になるしかなかった。部屋の鍵もかけられなかったから、教室や予備校、図書館に逃避せざるをえず、一人暮らしをしたいがためだけに名門大学に合格した。両親は無邪気によろこんでいた。おれはそれとなく両親のせいで自分がいかに惨めな時代を送ってきたかを知らせてきたが、自分たちがあれだけキレて子どもから安心を奪っていたことについては、完全に無自覚であった。自分たちが日常的にキレていたということすら、思い出せないようであった。暴力についても、普通に許容範囲だったと感じているようだった。相手が女子どもであるという斟酌は無いようだった。貧しいながら食事と住居を提供してきた
2015-05-30 僕はもうすぐ28歳にもなるのに、自分を特別な人間だと思っている スポンサードリンク いつの日か、人類が溺れ苦しんでいるドブの沼から這い出せるんじゃないかって、淡い希望を抱えているんだ。 金持ちになって、女の子にモテて、自由な時間も手に入れられる、そんな未来が来るはずだ 誰が見ても別格だと仰天するような人生を必ず送れると、信じて疑っていないからこそ、自害する事なしに生きられている。 僕は一般の人々よりも、心が弱く、度胸もなく、知識も浅い。 であるから、浅はかな幻想の世界に身を浸していなければ、現実の熱に溶かされて消えてなくなってしまうと思うんだ。 社会性もなければ、自己抑制力もない。 世間が道を示してくれたとしても、一切の応答を示さず、一人寂しく部屋で閉じこもるような頑固さを持ち合わせた、社会のゴミなんだ。 現社会システムに全く適応出来ず、そうでありながら、背
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