父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一[4]。「実家はおでん屋」と語ることもあるが[5]、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校[6][7]、名古屋大学文学部卒業[8]。 1954年、NHKに入局[9]。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが[5]、1962年に退局し[9]、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。まずジュブナイル小説から小説家活動を本格化させ、トラベル・ミステリやユーモア・ミステリを多く執筆するほか、特殊設定や叙述トリックなどを駆使した実験的な本格ミステリも多い。そうした傾向の代表作に『合本・青春殺人事件』『デッド・デテクティブ』、日本推理作家協会賞を受賞した『