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人生と増田文学に関するtxmx5のブックマーク (4)

  • ほぼ叔父に育てられた

    父親はモラハラで母に興味が無く気まぐれに私を殴り 母親はアル中で不倫中毒で家事一切しない 共働きで父母どちらも炊事洗濯掃除全くしない そんな家庭で育った 乳幼児の頃から当に叔父に助けられて育った 叔父は母の年離れた弟で叔父が大学生の時に私が生まれた 私が生まれたばかりの頃から母の子育てを危ぶんだ叔父は私の世話をかって出た(らしい) それから小学校に入学するまで母の実家で祖父母と叔父と暮らしていた 高齢者のパート賃金と大学生だった叔父のバイト代、叔父が就職したら新卒の給料が頼りだったので裕福とは言えない暮らしだったが穏やかだった 小学校入学とともに父母に引き取られた 地獄だった 叔父は土日に遊びに連れ出してくれたり母の実家にお泊まりさせてくれたりした 母はなぜか実家にあまり来ないので叔父と祖父母といられて懐かしいごはんがべられて嬉しかった 10代になると自分の家庭が明らかにおかしいことが

    ほぼ叔父に育てられた
  • 落ちこぼれの姉

    わたしはお姉ちゃんである。ただ妹よりも2年早く生まれただけのお姉ちゃんだ。明日死ぬかもしれないから好きなことして楽しく生きていようなんて自分勝手になんとなく残りの人生を生きてる、はっきり言って落ちこぼれのお姉ちゃんである。 妹は真面目に勉強をして試験を通り国が定めた資格を持ってたぶんわたしの10倍くらいの給料を貰って毎日仕事をがんばっている。我ながらよくできた妹だ。子供の時から可愛がってきたせいで若干気の強い子にはなってしまったけど、社会でそれを出したりはしない。いわゆる世渡り上手だ。(誤解のないように書いておくがわたしこと姉と妹は仲が良い。わたしはシスコンだと自負している) かくいうわたしは特になりたいものもなかったしやりたいこともなかったしなんとなく親に言われて行った学校を途中で辞め数年会社員をしていたが、なんとなくこんな毎日を続けてて楽しいのだろうかと思って会社をやめた。 しばらく休

    落ちこぼれの姉
  • ぼくが自殺を決行した話をする

    今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま

    ぼくが自殺を決行した話をする
  • 私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。 一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。 しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコがべれなかった。 これは、私と、ちょっと変わったお母さんのお話です。 お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。 私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛ホームズくらいなら読めるようになっていた。 絵を描くのも大好

    私の記憶の始まりは、田舎に向かう新幹線の途中。 全く知らないおじさんに..
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