5年前の2011年8月15日、福島市で開催されたイベントが話題を呼んだ。「フェスティバルFUKUSHIMA!」と名付けられたそのイベントは、福島にゆかりのある3人、ミュージシャンの遠藤ミチロウ、詩人の和合亮一、音楽家の大友良英が4月に立ち上げた「プロジェクトFUKUSHIMA!」の一環として開催された。東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所事故から間もない時期に、なぜ彼らはこのプロジェクトを立ち上げたのか? さらに8月に多くの人々を集めてフェスを行ったのはなぜなのか? フェスでは、演奏以外に、運営や司会進行も担当した大友氏に話を聞いた。 きっかけは遠藤ミチロウのひとこと ――大友さんは、東日本大震災の年、2011年の4月28日に、東京藝術大学で「文化の役目について:震災と福島の人災を受けて」という講演をされました。その講演の記録を読んで、「福島」をポジティブな名前に変換する、とい
被災地でいま、自分たちに何ができるのか-。震災後、生まれ故郷の福島が直面する現実を言葉で発信し続ける詩人の和合亮一さん(45)と、10代を福島で過ごし、話題のテレビドラマ「あまちゃん」で作曲を手がける音楽家の大友良英さん(54)に、そんな題で手紙を交わしてもらいました。震災と原発事故に見舞われた福島に根を下ろして活動する2人の往復書簡からは、まだ見ぬ未来をつくる決意が伝わってきます。 ◇ □和合亮一さん…往信 ◆「あきらめない背中」手渡す 福島市街地の野外フェスティバル(フェスティバルFUKUSHIMA!、8月15日)、お疲れ様でした。あらためて、大友さんにお手紙を書くとは不思議です。突然ですが、私がずっと大友さんに抱いている印象は、今年に入り「あまちゃん」のドラマ音楽を担当した音楽プロデューサーというより、また、かねてから世界で高く評価を受けているミュ
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