LGBT問題に対する寄稿が批判され、休刊が決まった雑誌「新潮45」について、同じ新潮社が発刊する老舗文芸誌「新潮」が最新号で「人間にとって変えられない属性に対する蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現」と批判した。 10月7日発売の新潮11月号に矢野優編集長による編集後記として掲載された。新潮に寄稿する小説家からも「新潮45」を批判する声は多く、雑誌としての見解を示した形だ。
![文芸誌「新潮」が「新潮45」を異例の批判 「認識不足としか言いようのない…」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7d4f0d8ad6d7093def8f7d35d464f00aceb4dd9d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg.huffingtonpost.com%2Fasset%2F5c63a7742600004502fda18f.jpeg%3Fops%3D1200_630)
曽野綾子氏が『新潮45』(2015年4月号)の連載コラムで、産経新聞のコラムをめぐる騒動について触れている。南アフリカを例に出し、人種に基づいて居住区を分けた方がいいと主張する内容のコラムを産経新聞に記したことから、発想が人種隔離政策「アパルトヘイト」そのものだと批判を浴びた一件だ。 『新潮45』での連載タイトルは「人間関係愚痴話」であり、今回のコラムのタイトルは「第四十七回 『たかが』の精神」となっている。何が「たかが」なのか。その答えは本文に書いている。 麹町の大使館に着くまでの間に、私はシスター(※引用者注:曽野氏が通訳を頼んだ知人)に「ねえ、『たかが』って英語でなんて言うの?」と尋ねた。 「たかが、って、どういうこと?」 「たかが小説家のエッセイです、と言ってほしいのよ。いい小説家もいるけど、悪い小説家もいるのが、この世界の特徴です。でもいずれにせよ、たかが、なのよ」 (…)ただ私
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