サミュエル・ベケットのテレビのための作品『ねえジョウ』には、声が登場する。身体を持たない声だけの存在であるその女性は、現前する男性を脅かす。男性はただ怯えるだけでひと言も発さない。それは幻聴かもしれない。しかし、その男性にしか聴こえていないはずの亡霊の声がわたしたちをも戦慄させる。なによりも「声」こそが、そこでは現前している。 「音」の持つリアリティがある。それは音楽であったり、ダンスであったり、演劇であったり、あるいは名付けようのないものであったり。それぞれに、音が、そのほかの要素と関係し、それに附随しながらも、それが強調され、重要な役割を果たしているような作品がある。それは、音楽や美術といったジャンルから音や響きを抽出することで、音そのものへと還元していったサウンド・アートが指向するものとも異なる。 ジョン・ケージは《4分33秒》において、時間の枠だけを提示することで、そこに体内からの