芸術は誰のものなのか。みんなのものなのか、あるいは見る人が見て分かれば良いものなのか。マルクス主義なら使用価値に対する交換価値としてこれを論じるだろうし、文化人類学なら生存財に対する威信財としてこれを論じるだろう。そのパラドックスは、私が愛してやまない『ギャラリーフェイク』第一話のモネのつみわらの話に集約的に表現されている。 ギャラリーフェイク(1) (ビッグコミックス) 作者: 細野不二彦出版社/メーカー: 小学館発売日: 2012/09/25メディア: Kindle版 クリック: 9回この商品を含むブログ (7件) を見る 何故急にこんなことを考えついたのかというと、最近、芸術は社会に役立つべきか、とか、あるいはモラルに著しく反する芸術は許容されるべきか、とかいう話題を立て続けに見たからである*1。 ここで時事的な問題をあれこれ批評する趣味は全くないし、当事者の人たちがしかるべく対応さ
「マンチェスター大学の応用倫理学の教授…。「生命の価値」(一九八五)と人体改造の問題を取り上げた「奇跡女とスーパーマン」という著書がある」(加藤尚武[1993:25])。 ウォーノック委員会のメンバーでもあった(川本隆史[1995a:103]) ☆ 本務校による紹介 http://les1.man.ac.uk/law/staff/john_harris.htm ☆ 著書 1980 Violence & Responsibility. Routledge & Kegan Paul. 1985 The Value of Life: An Introduction to Medical Ethics. Routledge & Kegan Paul. [独訳あり] 1989に Routledge から再版 ・再版されたものの内容を見てみる→amazon 1992 Wonderwoman and S
2年越しで雑誌「新潮」に掲載された渾身の連載に、さらに大幅な加筆修正を加えました。「関係の化学」という画期的な発見もさることながら、各章ごとに章の内容をまとめた{要約すると}を追加、加えて東浩紀氏推薦、と売れる要素満載の一作です。 以下、「あとがき」より抜粋。 私はときおり夢想する。おそらく一九世紀における「小説」こそが、すべての虚構の王なのではなかったか。ゲーテ、ディケンズ、バルザック、ブロンテ姉妹、フローベール、トルストイ、ドストエフスキーといった巨大な名前たちを思う時、今後いかなる表現者も、個人として彼らほど人々に愛され、あるいは高く評価されるということはありそうにない。映画にはじまる視覚表現の環境的発展が、表現スタイルの多様化を招くと同時に、一世紀をかけて、ゆっくりと「文学」を凋落させていったのではないか。 おそらく「リアリティ」の八割は「諸感覚の階層的な同期」によって与えることが
■[雑記][本]『言説分析の可能性』を読んだ 「言説」やら「言説分析」やらを、再度押さえたいと思って購入。 凄い社会学者たちによって、いろんな立場・角度から「『言説分析』とは何なのか/何でないのか」を論じた本かと。 言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から (シリーズ 社会学のアクチュアリティ:批判と創造) 作者: 佐藤俊樹, 友枝敏雄 出版社/メーカー: 東信堂 発売日: 2006/04 メディア: 単行本 面白かったのは、「言説分析」を従来の理論・方法との関係から論じた序章〜2章と終章。 序章の佐藤論文は、「言説分析とは何なのか」というのを、「これとはこういった点で違うから、こういうものではない」的な角度から論じようとしたもの。面白かったのは、 では、言説分析とテクストの知識社会学や計量分析は具体的にどこがちがうのか。一言でいえば、そのちがいは、ある意味的定在の意味を確定できる一定の単
あなたの生命的な躍動を萌芽させたい。あなたに宿った思索が「表現」に花開くために、縦横無尽に思索の種をまいていきます。 人々が自由に暮らせるのはよいことであり、自由を否定するのは近代=文明社会の否定だーー。このことは、一部の過激な宗教原理主義者を除けばだれも反対しないだろう。異論がないのは、その命題が「正しい」からではなく、すべての議論の前提になっているからだ。私たちは、生きるうえで「自分は人間である」という前提(これも近代のイデオロギーのひとつ)から出発するしかない。それと同様に、近代というパラダイムが変わらないかぎり、「自由」の価値を否定することもできない。このことをもっとも簡単に言うこともできる。 リバタリアニズムというのは、ようするに次のような政治思想だ。人は自由に生きるのがすばらしい。これに対して、リベラリズムは若干の修正を加える。人は自由に生きるのがすばらしい。しかし平等も大事で
「近代」の前提をぶっ壊した超問題作。 間違いなく2008年ベストの小説。その価値観のちゃぶ台返しっぷりには脱帽する。 クラーク「幼年期の終わり」やエヴァンゲリオンの人類補完計画など、人類の進化というテーマはSFではおなじみだが、これほど大胆かつ精密にこのテーマを扱った作品はないんじゃないか。 脳科学とナノテクノロジーの発達が心理学を変え、そして社会学や経済学をの前提をぶっ壊し、ついには世界を一変させてしまう……。そのプロセスは、単なる思考実験にとどまらない激烈なインパクトを持っている。 ストーリーがやや弱いとか、パロディが寒いとか、そんなささいな欠点は気にならない。圧倒的な面白さがある。 以下ネタバレ。 はたして人類は幸福になったのか? 【幸福を認識できるのか】 かなり疑問だ。そもそも意識を刈り取ることが「幸福」であることの根拠はミァハの「意識が無かったときは恍惚だった」という発言である。
構築主義社会問題論の文献 A Comprehensive Bibliography of Constructionist Studies on Social Problems Final update: February 20, 2005 ←BACK 目次へJUMP ●前置き ─ スキップしていただいてぜんぜん構わない,しちくどい使用上の注意 (1) これは中河の恣意的なリストです。構築主義モードの研究に興味をお持ちの方にとっては,何かの役に立つこともあると思いますが,このリストをどうか,あまり額面どおりに受けとらないでください。 (2) そもそも,構築主義というカテゴリーをさまざまな論文にあてはめ,それに基づいてこうしたリストを作ること自体が,他のあらゆるカテゴリー化&分類の営為と同じく,構築的な作業です。それは,ひとつの輪郭のはっきりした「構築主義というもの」がある,という想定を伝えま
思想地図〈vol.2〉特集・ジェネレーション (NHKブックス別巻) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: 日本放送出版協会発売日: 2008/12メディア: 単行本購入: 37人 クリック: 362回この商品を含むブログ (105件) を見る 遅まきながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 そして遅まきながら、『思想地図』第二号。どの論考も面白かったのだが、全部レビューする気力がないので、5本ばかしピックアップして紹介させていただく。 本書は「特集:ジェネレーション」となっているが、実質「ジェネレーション」パートと「インフラ」パートに分かれている。これを編者の二人になぞらえて北田パート・東パートと名づけてもいいのだが、若干互いのセレクションが入り混じっている感じもあるので、適切ではない。 「世代間対立という罠 上野千鶴子インタビュー」 『SIGHT』誌上
「イスラエルがかわいそうになってきたよ」@増田 本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら、どのように考えることになるのか。 犠牲を分けない イスラエルによる今回のガザ侵攻以前から、多くのパレスチナ人が殺されている。暗殺攻撃によって、あるいは、経済封鎖に起因する食料・医療等の不足によって。また、多くの人が、イスラエルによって逮捕(=事実上の拉致)されている。イスラエルによるパレスチナ人への人権侵害は枚挙に暇がないほどだ。 そこに、今回のガザ侵攻によって、既に700名余の死者と数千人の負傷者が生み出された。今回の攻撃がもたらしたものは、平穏だった日々の破壊ではない。既に悲惨すぎるほどだった状況がさらに悲惨なものになった、つまり、追い撃ちだ。 今回の攻撃のきっかけとなったとされている、ハマスのロケット砲の攻撃によって、聞くところでは、4名のイスラエル兵士が死亡し、30名余の負傷者が出たとされてい
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 本当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基本的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系
* * * * * * * 訳者より ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考の本文のはじめに次のような註を附している。 各文の番号としての小数は、当の文の論理的重要度、私の叙述においてその文に置かれているアクセントを示唆する。文 n.1、n.2、n.3 等々は No. n の文への註であり、n.m1、n.m2 等々は No. n.m の文への註、以下同様。 これに従って原文の一部とオグデンによる英訳全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(www.kfs.org/~jonathan/witt)があるが、それを真似て日本語版をつくってみた。(なお、原文全篇をハイパーテクスト化して公開しているサイト(tractatus.hochholzer.info)もある。) 翻訳に際しては、edition suhrkamp の Tractatus logico-philosoph
仕事を後任に引き継ぎ、ニャチャンを離れることになった。 2年以上暮らしたホー・スン・フン通り31番地の家も引き払った。 思えば、ここが社会人になって一番長く住んだ家だったかもしれない。 今日、昼前のフライトでニャチャンを発ち、サイゴンへ。 明朝、福岡に到着予定である。 2006年7月、はじめてベトナムに足を踏み入れた日に始めたこの日記も、区切りのよい本日をもってひとまず終了としたい。 *** すこしあとがきめいたことを記しておこう。 私は以前、パレスチナ・ガザ自治区で仕事をしていたときにも日記をつけていたことがある。 このブログはその続編のつもりで書いてきたものである。 パレスチナでは、常にエドワード・サイードを意識していたが、ベトナムではそれがチャン・デュク・タオであった。 彼らのように徹底して理論的に考えながら、否応なく<土地>に巻き込まれていった思想家たちに、私は興味を覚える。 ある
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