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現象学に関するushiwatatのブックマーク (19)

  • 「コンピューターと自分は一体」:実験で検証 | WIRED VISION

    前の記事 無料配信で書籍の売り上げが増加:41冊の調査結果 「コンピューターと自分は一体」:実験で検証 2010年3月11日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) フィードサイエンス・テクノロジー Brandon Keim (左)マルティン・ハイデッガー、(右)身体が道具を用いている際の全体的な相互作用の様子を図にしたもの。(A)は正常に機能する道具、(B)は機能しない道具を用いている場合。 Image credit: (左)WikiMedia Commons、(右)PLoS ONE。サイトトップの画像はwikimedia 一見単純な実験によって、偉大な哲学者の概念が検証された。その実験は、コンピューターのマウスを用いて、マウスが一時的に正しく機能しなくなるようにすることで、それを操作する人がどのような反応を示すかを調べるというものだ。 実験の結果、被験者の注意力に

    ushiwatat
    ushiwatat 2010/03/11
    いやそれって「検証」なの、とか、プロパーの人はどう考えているのか興味深い記事。
  • TechCrunch | Startup and Technology News

    Unlike Light’s older phones, the Light III sports a larger OLED display and an NFC chip to make way for future payment tools, as well as a camera.

    TechCrunch | Startup and Technology News
    ushiwatat
    ushiwatat 2009/07/05
    Webの「意識の流れ」という危うい比喩をするならユーザー自身が分析するはずはない。分析するユーザーは一階の「流れ」の中にいない。>|ユーザーは「意識の流れ」を深く分析したいのか|
  • すべての現象のなかに自己を証かす: DESIGN IT! w/LOVE

    様々な現象のなかで様々なものを感じ取っている自分を現象の只中において知るということなのだろう。 自我によってすべてを認識しようとするのが迷いなのだ、諸々の現象のなかに自我の在りようを認識するのが覚りである。 僕が「直観」と呼んだのは、道元のいう「覚り」に近いものなんだろうと感じます。ただ単に感じたままの感覚を「直観」と呼ぶのではなく、自分も含めてあるがままの現象とその現象を感じとっている過去にも未来にもつながった自分を認識することを僕は「直観」と呼びたい。 自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るもの『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが、自分も昔は自分の身体の外側、自分をさておいたものを環境と考えていたが、後になって自分も他人もすべてを含む入れ子状態のものを環境と定義するようになったと言っていました。 世阿弥の「離見の見」(見所より見るところ

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    ushiwatat 2009/05/24
    |答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証かすのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。|(『正法眼蔵』)
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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    ushiwatat 2008/11/09
    イーフー・トゥアン『空間の経験 身体から都市へ』(ちくま学芸文庫、1993)。|ある空間が「密度が高すぎる」と「感じる」という現象は、空間の体積や土地の面積で人間の数を割った数字ではとうてい説明できない|
  • インタフェースの大変動 最初の三〇年は始まりにすぎなかった。

    インタフェースの大変動 最初の30年は始まりにすぎなかった InterCommunication No. 60 Spring 2007 特集「デザイン/サイエンス」 に寄稿 渡邊恵太 稿は、近年のインターフェイス・デザインの考え方の変化について述べるものである。最初にインターフェイスの視点から現在動きの活発な企業や考え方について紹介する。そして、その企業に共通する点から認知科学的アプローチの限界を示唆する。それを背景に、これからのインターフェイスの考え方について述べる。 はじめに 今日のユーザー・インターフェイス研究の流れは、大きな変化を見せはじめている。たとえば、Macintoshとユーザー・インターフェイスは切っても切れない関係で、常に先端をリードしてきた存在である。そのApple社が先日の「Macworld Expo 2007」にて、「最初の30年は始まりにすぎなかった(The f

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    ushiwatat 2008/10/23
    渡邊恵太氏(『InterCommunication』No. 60)。テリー・ウィノグラード、|「ユーザーの言っていることではなく、やっていることを信じろ」|、|人間の知性は何らかのモノや周辺と接触するときに表出する| など。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    ushiwatat 2008/07/06
    |太宰は「人間の生活の九十九パーセントは、ただ待って暮らしている」と書く。/それはつまり、人間を「期待」から「忘却」への移動体として位置づける行為だ。|
  • 肯定は否定に先立つ? - Living, Loving, Thinking, Again

    自己承認が、最初の他者(多くは親)による承認から生まれてくるのだとすれば、その親は誰に承認されたのか。──そのまた親から、ということになるのかもしれないが、このまま辿っていくならば、無限背進に陥る。最初に1をつくってしまえば、2、3、4を定義するのは簡単だ。しかし、最初に1をつくること。それが問題だ。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20071128/p1 この「無限背進」を肯定すること。つまり、現在私に聞こえる「承認」は源的な〈承認の一撃〉の倍音の倍音の倍音であることを肯定すること。 別様に考えてみる。どのような辛い瞬間においても、その人の肉体は生きてある。いわば、肉体と肉体の置かれた世界の構造、ありとあらゆる自然界の法則は、そこにそのような存在者がいることを承認している。その場において、我思うゆえに我あり、なのだが、そのように我があることは、その場で可能

    肯定は否定に先立つ? - Living, Loving, Thinking, Again
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    ushiwatat 2008/03/17
    他者について|肯定は否定に先立つ|かどうかという話。「無視」「ハブ」の構造はこの話を否定しない? |お前なんか死んでしまえ|という文例は肯定を踏まえたかなり積極的な否定だが……能動性においては同じか。
  • ついに日本語訳単行本化:ハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』、平凡社より | URGT-B(ウラゲツブログ)

    アリストテレスの現象学的解釈――『存在と時間』への道 マルティン・ハイデガー:著 高田珠樹:訳 平凡社 08年2月 定価2,940円 46判上製カバー装232頁 ISBN978-4-582-70277-4 帯文より:『存在と時間』の原型となった若きハイデガーの幻の草稿「ナトルプ報告」、初の邦訳単行化。「若きマルティン・ハイデガーの草稿、それも人の偉大な活動の始まりを示す原稿が出てきたというのは、まことにひとつの事件というほかない。……このアリストテレス理解は真にひとつの革命を引き起こすことになった。アリストテレスが、われわれのいる場に立ち現われ、われわれに向かって当に語り始めたのである」(ハンス=ゲオルク・ガダマー:書より)。 底:"Phänomenologische Interpretationen zu Aristoteles (Natorp-Brecht)", hrg. v

    ついに日本語訳単行本化:ハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』、平凡社より | URGT-B(ウラゲツブログ)
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    ushiwatat 2008/02/23
    高田珠樹訳『アリストテレスの現象学的解釈――『存在と時間』への道』。
  • 品川哲彦のホームページ

    品川哲彦のウェブサイト 2023年8月3日 更新 ようこそおいでくださいました。 ここは、哲学・倫理学を研究している品川哲彦のウェブサイトです。 さまざまな分野の研究を紹介しているイギリスのオンライン雑誌 Science Impact, 2021, no. 4, pp. 35-37 (2021=令和3)年5月17日) に私の研究が"Towards construction of the richer concept of justice and the effective concept of care"(「より豊かな正義概念とより効率的なケア概念の構築にむけて」)と題して紹介されました。同記事を掲載しているIngentaConnect  のサイト上のページはこちら。掲載記事のPDF版はこちらからもごらんになれます。 学術読み物「ケアの倫理とは、どういう思想か」を『作業療法ジャーナル』のコ

  • 活字中毒R。

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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    ushiwatat 2007/09/18
    前田隆司著『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?』の中での斎藤慶典氏との対談。チャーマーズの話など。「基づけ関係」は元ネタはFundierung、『論研』かな。
  • 活字中毒R。

    『Q&A』(恩田陸著・幻冬舎文庫)より。 (作中の、あるドラマ脚家とその友人との会話の一部です) 【「言葉は怖いんだよ」 確かに、よく取材とかするの? 「まあね。プロデューサーとか、スタッフと何人かで一緒に取材したり、資料読んだり、話聞いたりすることはある。でも、あんまり取材には頼らないなあ」 細かいところが違うとか抗議来たりしないの。 「抗議はいろいろ来るよ。でも、しょせんはフィクションだし、ファンタジーなんだから、いちいち気にしていると切りがない。ドキュメンタリーとドラマの違いって分かる?」 脚があるかないかってことじゃないの。 「ドキュメンタリーだって、脚がないわけじゃないよ。あたしが思うに、ドキュメンタリーは見えるフィクションで、ドラマは見えないフィクションだよ」 見えるフィクションって。 「実在するフィクションとも言えるかな。交通事故があった。目撃者が証言した。目撃者は確か

  • 汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理 この考え方をブログの対話に適用するとどうなるかという話。 専制君主としての「客観性」 「君の(あいつの)意見は客観的ではない」という悪口は、私が若い頃にはよく聞いたが、最近はほとんど聞かない。 日常会話の中でそういうことを言う人が客観的であったことの方が稀であるような気もするが、ともかく「客観的」であることが何らかの権威に通じていた時代の端っこに私は生まれている。だから、その失墜には多少の生活史的な実感がある。 日常会話の中と同様、学問の世界でも「客観的」という価値基準の権威は激しく失墜している。 こので主張されている「構造構成主義」とその中のキーワードの一つである「関心相関性」という概念。どちらも、質的に多義性を含んでいて、いろいろな説明の仕方があるが、私としては「客観性という価値からの戦略的撤退」と位置づけたい。 「構造構成主義」は、現代

    汎用のブログ間対話プロトコルとしての「関心相関性」 - アンカテ(Uncategorizable Blog)
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    ushiwatat 2007/06/15
    構造構成主義と「関心相関性」について。
  • 世の中は嘘でできている? - finalventの日記

    ⇒たけくまメモ : 最近の雑感 それで、俺がバブル前夜だった10代末からず〜っと思っていたことは、「世の中は、基的にウソでできている、覚めない夢なのではないか」という漠然とした感じでした。これは、思春期の子供がよく抱く妄想なんだそうですが、俺は40をとうに越えてもまだ拭えないでいます。 私はちょっと違うかな。 世の中、嘘が多いなとは思う。覚めない夢というより、ちょっと正直なことをいうと転生の感覚のようなものはある(感覚としてだけね)。 私が思うのは、なんというか、私は一種の独我論者もであるので、世界というのは私だけに与えられているとまず起点として考える。世界は私からしか見えない。しかし、どういうわけか、私の人生は世界の運動の端役というかゴミだった。なんかとてつもなく不出来な間違った小説を読んでいるような感触はある。ただ、じゃあ、私が普通の物語のように世界の主人公であるべきかというと、そこ

    世の中は嘘でできている? - finalventの日記
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    ushiwatat 2007/06/13
    超越論的という語は使わないのか。
  • ホームレスになってみよう。 - 不謹慎な箱男

    | | 世に曰く | 「乞は三日やったらやめられない。」 | らしい。 | | | | | | | | そいつが当かどうか試してみてぇ! | | | | ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 | | ※以下、長い文章が続きます。そして余り笑どころはありませんのでご覚悟下さい。 | | || | | 6/6の朝に自宅を出発し、 湘南新宿ラインに乗り込み新宿へ向かう。 | | 昼前に新宿駅へ到着。 | | 期待と不安と胸の動悸が高まる。 | | | | | | 3日後に家へ帰るときの為に持ってきた着替えの服、金、を全てバックに詰めて コインロッカーに放り込む。 | | | | 今俺にあるのは ・衣服 ・コインロッカーの鍵 の2つだけだ。 | | | | | ロッカーに鍵をかけて歩き出す。 | | | | | | | | | | 爆発的に(

    ホームレスになってみよう。 - 不謹慎な箱男
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    ushiwatat 2007/06/11
    2泊3日のホームレス体験談。世界・街の現れ方の変化、昼間にしか寝れないこと、ペンと日記帳の比喩など。
  • 新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

    新R25は、仕事人生を楽しむビジネスパーソンのための「ビジネスバラエティメディア」です。編集部によるインタビューコンテンツを通じて、R25世代のみなさんの"小さな一歩"を応援します。

    新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。
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    ushiwatat 2007/05/20
    嶋津秀昭氏による開発機器とのこと。「痛みの定量評価」がキーワード。ただすべてが客観化されるわけではないとのこと。
  • 囚人のジレンマλ[λ] ? - λちゃんとブロガーたちのクァドレンマ

    存在のジレンマ λちゃん λちゃん この世界には 決して何モノも存在などしはしない しょせんこの世は夢/幻 認知のジレンマ λちゃん λちゃん もしも色々なモノが 存在できたとしてみよう けれど それらを正しく認識してごらん? しょせん 都合良く間違いだらけの勝手な世界 伝達のジレンマ λちゃん λちゃん もしもお前が 凡てを正しく認識できたとしてみよう けれど それらを正しく私に伝えてごらん? しょせん 独りよがりの孤独な世界 代理のジレンマ λちゃん λちゃん もしもお前が 凡てを正しく認識し それらを正しく 私に伝達できたとしてみよう けれど 私の考えを当ててごらん? しょせん 私ら別の人 内なる世界も 別々に ジレンマで同じ答えを出すのは夢/幻!?

    囚人のジレンマλ[λ] ? - λちゃんとブロガーたちのクァドレンマ
  • 暴走する九鬼周造先生 - G★RDIAS

    私が真の哲学者に感じるのは、一種の「暴走感覚」だ。ニーチェの暴走感覚はまた格別だが、フロイトやフーコーにもそれを感じる。日では、なんと言っても九鬼周造だろう。私は、日の哲学者では彼にいちばん才能を感じるのだが、それは私が九鬼の暴走に惚れ込んでいるからにちがいない。 九鬼の代表作のひとつに『「いき」の構造』がある。 「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫) 作者: 九鬼周造出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/09/17メディア: 文庫購入: 15人 クリック: 50回この商品を含むブログ (90件) を見る 九鬼は「いき(粋)」とは何かを哲学的に考察する。九鬼によれば「いき」とは、「媚態」というものが、武士道にもとづく「意気地」と、仏教にもとづく「諦め」によって、完成させられたものだ。九鬼曰く、「いき」とは「垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」である(29頁

    暴走する九鬼周造先生 - G★RDIAS
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/04/26
    『「いき」の構造』をその暴走感覚から読む。
  • 「私」おばけのフッサール - G★RDIAS

    フッサールはドイツ(オーストリア)の哲学者で、「現象学」の創始者。20世紀の哲学や社会学に大きな影響を与えた。その最晩年の主著が、この『デカルト的省察』である。 デカルト的省察 (岩波文庫) 作者: フッサール,浜渦辰二出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2001/02/16メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 44回この商品を含むブログ (42件) を見る このの中で、フッサールは、「我思うゆえに我あり」のデカルト原理にまで戻って、もう一度、確かなものとは何かをはっきりさせようとしている。不確かかもしれないものをぜんぶカッコに入れて除外していくと、結局、「私」みたいなものだけが残る(これはデカルトがやったこと)。でも、すぐに問題になるのは、じゃあ、「他人」っていないの?ということ。「他人」がいることまで不確かだって言うのなら、それは「独我論」じゃないのか? フッサールは、それに答

    「私」おばけのフッサール - G★RDIAS
    ushiwatat
    ushiwatat 2007/04/11
    浜渦さんが訳したCMの書評。
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