ピアニストの手というと華奢で繊細な印象を持ちやすいが、中村紘子さんの手はどちらかといえば逞しかった。 伝説的なサロンだった東京・三田の自宅の広いリビングにはグランドピアノのわきに、石膏でできた実物大のショパンの左手のレプリカが置かれていた。 21歳の時、ワルシャワのショパン国際ピアノコンクールに最年少で入賞して国際舞台へデビューを飾った折の記念品で、それを手に取りながら「私の手より小さい」と重ねて見せたことがある。 その逞しさは国際的なクラシック音楽の戦場でたたかうピアニストを「蛮族」と名付けて、日ごろのたゆまぬ鍛錬と研究を積み重ねながら戦後の日本のピアニストを世界に導いてきた、中村さんの勲章であったろう。 日本人のピアノを縛り続けた、折った指を鍵盤に立てて弾く「ハイフィンガー」と呼ばれる奏法を改めた。その探求のなかからチャイコフスキーやブラームス、ショパンといった作曲家のレパートリーに独
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