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ブックマーク / mizunohosi.jugem.jp (9)

  • Blog向上委員会 | 無意味

    どこからか記事を引っ張って来て、それに感想を付けて記事にするブログの書き方。もしくは似たようなものとして読書感想文、映画の感想、ドラマなどなど。あとで読み返すために、今そのときを刻む思いで更新されるブログ。仮に読み返さなくても、少なくても私は読み返さないだろう、今を書き記していく事に意味はあるのかどうか。 無意味と題した今回の記事。このブログの存在。無意味な事は無駄なのか、いま無意味と思っていても将来、意味のあることに変わるかも知れない。ただ、そんな将来の漠然とした不確かな存在のためにブログを書きつづけるのか。 ブログ論、と世間で言われている文章を書いてきたが、ブログ論を書いて何になる、というのが今の私の現状。自分でも読み返さない、あとになって何も残らないブログ論に何の意味があるのか、そんな事を「また」思ってしまう。10代の、何でも興味を持っては手を出していたあの頃とは違って、将来、自

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    webmugi 2006/07/27
     ゲームやったり,漫画読んだり,TVみたり。それがブログに置き換わっただけ。
  • Blog向上委員会 | ブログを非公開にする

    ただ自分のためだけの場所。誰一人として他人には見せたくない、自分だけの日記。だったらネットの世界に置くな、というのはよく見かける反論。メモ帳にでも書いていればいいではないか、と私もつい最近まで非公開ブログを作る人に対して思っていた。 そんな私が非公開ブログを作ったわけ。ただ、自分の今の気持ちを風化させないため、記録しておきたいと切実に願ったから。人に見られなくてもいい、むしろ誰にも見せたくないことを書き綴った日記、今の私にはそれがある。ネットに上げなくても良かった。ただ、利便性を考えてネットという場所を選んだに過ぎない。 忘れないわけにはいかない。どんなに思い出深いことでも時間の経過とともに忘れ去っていく。だから残したい、自分のために。いま感じているこの気持ちをどこかに刻んでおきたい。 匿名なんだから公開しても良いじゃない、と思う人もいるかもしれない。私も思った。でも書かれている内

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    webmugi 2006/06/15
     ありだと思う。
  • Blog向上委員会 | コミュニケーションをとりたくなるブログ

    ただ、ブログ論のようなものはあまりコミュニケーションに発展しないのかもしれない。と言うのも、ブログ論は実体がないし、それぞれ考え方も違うし、そもそも書いている人の人となりすら分からないだろう。ネットに放り出された記事は私の手を離れ、一瞬の輝きとともに拡散されてしまう。その一瞬の輝きをもたらせてくれるのが、いつも取り上げてくれるニュースサイトだったり、ごく稀だが個人ブログに私の記事が引っ張られ、そこに新たな記事を紡がれることなのだ。 話は変わって。そもそも日記は自分をさらけ出す行為である。ブログでは自分をさらけ出して他人に興味を持ってもらう。だけど、自分を前面に押し出したブログに誰が興味を持ってくれるだろうか。むしろ、一枚壁をはさんでちらちらと覗けるくらいの方が興味を持ってもらえるのでは、なんて考えてしまった。 確かに自分の発した何かに対する反応を読むことは楽しい。日記を書いていて見

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    webmugi 2006/05/15
     言及ってのがいちばん濃いコミュニケーションかな
  • Blog向上委員会 | どこで満足するのか

    向上心という言葉を背に、空回りしている自分がいる。見えない何かが私を空回りさせている。ただ現実を見ればいい。今、目の前のことを一生懸命に取り組めばいい。 なぜ今を見ないで将来に夢を見るのか。私は自分に問いたい。いま私が立っているこの場所は、そんなにも不幸な立場なのか。ただ、足元に落ちている幸せに気づいていないだけではないか。 書ければそれだけでよかった。ブログは予期できないことが起こりうる。私の意識に関係なく突如、知ってしまった。それはまるで禁断の果実を思わせた。 果てを失った私の欲望。追い続けた、果てのない世界を。追っているつもりで全く進んでいないことに気づかないまま。次第に矛盾が生まれた。蜃気楼を思わせるその矛盾は、私の更新意欲を枯れさせた。 求めてしまう。完璧を、究極を、そして自ら破滅を招き入れる。いつになれば満足するのだ。コメントをもらえたら、一日100人訪れたら、

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    webmugi 2006/04/11
  • Blog向上委員会 | 開かれた世界へ

    そこに意味を見出せなくなった私は、書くことをやめた。読むことをやめた。閉じた世界から逃げたのだ。解決するすべを探ろうとせず、一目散に逃げ出したのだ。何もかも人の所為にして……。 閉じた世界に限界を感じたのなら自分から切り開いていけばいいとは、あのときの私は考えなかった。今だからこそ、と言う気はない。今になっても変わっていないからだ。 見てもらえれば勝ちである、という認識がある。何と勝負して、何に勝つのか皆目定かではないが、ブログで言えばアクセスさえしてくれたらいい、という、カウンターさえ回れば後は何もいらない、という何とも寂しく、寂しい? 人の価値観はこの際関係ないか。 中身が良ければ読んで貰えると思っていた時期が私にもあった。何を以ってして「良い」と判断するのか、自分ひとりの価値観で勝手に解釈し、勝手に沈んでいたあの頃だ。なぜアクセスしてもらえないのか、そんな自惚れに溺れてい

  • Blog向上委員会 | 近況とか、その2

    その自転車の多さに辟易しながら学校に向かう日々はイラっとすることもあるけれど、それはそれで充実していると感じている。その充実さに反比例してブログを書く気力という、漠然とした何かが減退していった。 自分でブログ論を書こうとは思わなくなった。他のブログ論を読まなくなった。はてブですら更新しなくなった。瞬発性のある記事ばかりを書いて自分の何になるのか、そんなことを最近のアクセス解析を見て思う。ただ最近、連続して「駄文にゅーす」に取り上げられたことが意外だった……。 ブログは面白いのだろうか。人にとっては面白いのだろう。私もそうだった。今はすでに変わってしまったこの気持ち。結局ブログは自分探しの旅であり、内に内に向かう開かれない世界であるように思う。そんな自分探しは高校生までで十分だ、と思ってしまった。いい大人が自分探しなど、いい加減外に目を向けたらどうなのか、そう思ってしまった。そしてま

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    webmugi 2006/03/25
     こういう気持ちになったこと,何度かあるよ。
  • Blog向上委員会 | 量産型ブログ

    読むところことごとく量産型。そりゃあんた、面白いブログを探そうとしないあんたの怠惰が原因ではないか、と言われればそれまでだけど、あいにく私もそれほど暇ではない。暇だが、そんな量産型な生活のためか、視線があちこちに行き渡りそれだけで一日が潰れてしまっている。これではだめだ、自分にそう言い聞かす。 そんな日々が自分に何をもたらせるのか、自分を成長させる糧となりうるのか、そもそもブログは己を成長させるためのツールなのか、そんなくだらないことに悶々としている。 どうせならひとつの事を追及していき、それによって生じた記憶しきれないノイズをブログに書き留めて、そんな使い方をブログに求めたいと考えるようになった。幸い私はいま中国に留学中の身。中国に関連するニュース、留学生活で生じた中国の珍事、中国人と日人の違い、中国語の不思議な疑問、中国のこんな日語に萌えました、そんな記事で埋め尽くされたブ

  • Blog向上委員会 | ノイズが走る

  • Blog向上委員会 | テール

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    webmugi 2006/02/12
     シッポでありたい。
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