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ブックマーク / nonokayume.blog14.fc2.com (2)

  • 明けぬ夜の夢: 「いい子」でいないと生きてこられなかった

    ヘボメガネ一進一退:「いい人」になる必要なんてないを読んで思い出したことなどを。  「いい人」というと何となく自己犠牲という言葉を思い出す。自分の欲求や感情よりも、社会的な規範や他人の感情を優先してしまう。自分の欲求を通すことに罪悪感を感じてしまう。私の思う「いい人」像というのは、そういう感じ。  私の思い込みかもしれないけれど「いい人」であることを求められる職業というものがあると思う。いわゆる「聖職者」と呼ばれる職業の人たち。学校の先生や医療関係者など。  ここからは自分語りなんですが。  私の父は小学校の教員をしていた。娘の私から見た父は、立派な教育者という感じではなく、ちょっと短気でやや理屈っぽい普通のおじさんという感じ。  私は小学生の頃は、そこそこ勉強ができる子だった。テストで良い点数をとると「ののかちゃんのお父さんは先生だからね」と言われた。できて当然のように思われていたような

  • 明けぬ夜の夢: 正しさを求めすぎると

    こうしてネット上に文章を出すということを続けていて、何となく息苦しさというか不自由さを感じることがある。これは誰もが思うことなのかもしれないけれど。昔、レンタル日記に書いていたときの方が、自分のやりたいようにやっていたという気がする。 私は、自分と違う意見に出会ったとき、「私、間違っているんじゃないか」と思ってしまうことが多いような気がする。当に間違っていることもあると思う。でも「絶対に、これが正しい」ということってあるんだろうか。正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとか、そういうことを考えすぎちゃうと、私は何も書けなくなってしまうんだ。 いつだったか「過剰適応」ということを言われたことがある。環境に適応しようとして、自分自身を抑えつけてしまうこと。カウンセラーさんに「何を聞いても、優等生的な答えが返ってくる」と言われたこともあった。私は常に正しくあろうと、良い人であろうとしてしまう

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